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犯罪とは?/ アイフル

[ 265] 有名人犯罪歴データベース
[引用サイト]  http://kei.kir.jp/kokuhatsu/warumono00.html

(1965)端正なマスクと異色の経歴を買われ俳優に転向。暴力団関係者との付き合いは続いており、友人がある一家の跡目を襲名した際には、その記念に開かれた賭場に顔を出し、後日警察に逮捕されている。テレビ時代劇「新・三匹の侍」にも主演している。監督を務めた五社英雄とは互いに義兄弟と認めた間柄
【和泉元彌】(和泉元弥)狂言師。和泉流二十世宗家。本名:山脇元彌(もとひさ)/(2005.11.24)道路交通法違反容疑で逮捕。同日中に簡易裁判所の略式命令を受け、罰金1万円を払い釈放。和泉氏は2003年4月14日午後、東京都港区西新橋で、制限時間1時間の駐車スペースに2時間にわたりとめた疑い。反則金1万円納付を求める反則切符を渡されたが納付せず、その後計6回の呼び出しにも応じなかったため、悪質として逮捕に至った。調べに対し和泉氏は「仕事が忙しく払えなかった」と話したという。また公式サイトでは「納付のために何度か分室まで行ったが業務時間に間に合わなかった」と言い訳している/(2006.6.9)「能楽協会」から退会処分を受けたことは不当として、退会処分の無効確認と損害賠償を求めて協会を提訴していたが、この日、訴えは棄却された。元彌は、公演への遅刻などを理由に、協会から退会処分を受けている/(2006.6.27)元彌の母節子(セッチー)が代表取締役、元彌と姉達が取締役を務める株式会社「和泉宗家」が所得隠しをしていた容疑が報じられる。この会社は和泉流狂言の公演の運営管理などを行っているが、東京国税局の調べによると、公演料の一部を簿外口座に振り込ませるなどして、意図的に隠蔽。5年間で申告漏れは2億円を超えるという。同社は所得隠しを否定して異議申し立て中/(2006.7.13)東京都豊島区内で乗用車を運転中、バイクと接触する人身事故を起こす。調べによると、妻と子供を車に乗せ食事に出かけ、ファミリーレストランの駐車場に入ろうと左折した際、後ろから来たオートバイと接触。オートバイの男性は全治1週間の打撲傷を負ったという。警察は元彌の安全確認不十分として、業務上過失傷害容疑で書類送検
【一条さゆり】ストリップの女王と言われた/(1972.5.7)大阪野田の「吉野ミュージックホール劇場」で引退記念興業の公演中、公然わいせつの現行犯で逮捕された。一条は公然わいせつの逮捕歴9回で、執行猶予中だった。この事件の裁判中に、一条が日活ロマンポルノに出演するなどしたこともあって、判決は実刑一ヶ月となった
【井筒和幸】映画監督。代表作「パッチギ !」「ゲロッパ!」/(1991.9.21)静岡県駿東郡小山町上野の奥の沢川にて、映画「東方見聞録」撮影中、俳優林健太郎氏が死亡。井筒和幸監督・小笠原直樹助監督は業務上過失致死罪で書類送検された。死亡した林氏は、重量8kgの鎧を着て手を縛られた状態で人工の滝壷に入れられていた。映画はお蔵入り。制作費10億円はパーになり、井筒が所属していたディレクターズ・カンパニーは倒産。井筒が林氏の家族に賠償金を払っていることは美談として語られがちだが、実際は、林氏の両親に告訴された井筒が「林が自分の言うことを聞かず、勝手な行動を取ったため事故が起こった」と供述し被害者側感情を損ねたため、賠償金額が跳ね上がっただけ/(2005)北朝鮮当局さえ認めている日本人拉致事件について「"ある日、平和な日本から人が北に連れ去られた"という物語を作り上げ、日々それを塗り替え、挙げ句に国交交渉どころか、経済制裁論にまでエスカレートさせてしまった」と発言。物議をかもす。井筒は、スタント死亡事件後は、朝鮮総連(北朝鮮の組織)幹部を父に持つシネカノンの李鳳宇(リ・ボンウ)の支援を受け(前述の林氏家族への慰謝料を肩代わり)、総連の集会に出席するなどしている。総連は「韓流のように朝流」が出来ないかと李氏に相談。「パッチギ
【稲垣吾郎】アイドルグループ「SMAP」メンバー/(2001.8.24)東京都渋谷区の路上で駐車違反。釈放後の記者会見で「数人のファンに追いかけられてパニック状態だった」と語った。活字メディアは「稲垣容疑者」と報道したが、民放各社は「稲垣メンバー」と呼んだ(NHKはさん付け)/(2001.9.21)東京地検で起訴猶予処分の判決。稲垣メンバーは「人がだんだん集まってきて、このままでは写真に撮られて雑誌に掲載されると思い、場所を変えて人目につかないところで手続きしてもらおうと思った」と釈明。東京地検は起訴猶予処分の理由について「動機は、公衆の面前で交通違反を取り締まられ、人目にさらされることを恐れて、その場を離れようとしたもので、悪質とまではいえない」と語った
【ウド鈴木】本名鈴木任紀(すずき ひでき)。お笑いコンビ「キャイ〜ン」メンバー/(2002.11.1)深夜、東京都新宿区歌舞伎町で若者と殴り合い、暴行容疑で書類送検。サインを求めてきた若者の態度に腹を立て口論になったところを、別の若者グループがデジカメで撮影したため騒ぎが大きくなったといわれる。この騒ぎで鈴木は額を6針縫うケガを負った/(2007.4.13)乗用車を運転してフジテレビ本社前の交差点を直進する際、右折車と衝突事故。女性側は当初、ウドが信号無視をしていたと主張。その後、双方とも前方不注意で書類送検された
【大木ひかり】1981年から関西漫才コンビ「大木こだま・ひかり」として「お笑いスター誕生」に登場。6週目まで勝ち進んだところで、覚醒剤使用が発覚して一時雲隠れ。すぐに復帰し10週勝ち抜きでチャンピオンになったが、収録終了直後その場で逮捕。グランプリを獲得した瞬間にコンビ解消
【大鶴義丹】俳優・作家/(1993.5.10)東京都港区青山の路上で酒気帯び運転で現行犯逮捕。港区内の飲食店二箇所でビールなどを飲み帰宅途中だったが、不審な走行でパトロール中の警官に制止されたという。大鶴は前年にはビールのCMに起用されていた。また、鈴鹿サーキットでのレースにドライバーとして出場経験もあった
【織田無道】本名織田礼介。タレント・僧侶/(2003.2.20)「支離滅裂ともいえる虚偽の弁解に終始するなど、聖職たるべき地位にある僧侶として見苦しい限りだ」として、有印私文書偽造などの罪で有罪判決。暴力団関係者らと宗教法人乗っ取りを計画。虚偽の代表役員就任登記などをし、宗教法人の前代表役員(織田に勝手にやめさせられていたという)に訴えられていた。暴力団員関係者らは別の宗教法人が経営する霊園へ、織田住職の寺を経営参加させるよう要求しており、霊園の収益が目的だったとされる。織田住職は即日控訴。(2004.6.8)上告棄却。有印私文書偽造などの罪で、懲役2年6ヶ月(執行猶予4年)の有罪が確定
【掛布雅之】元プロ野球選手/(1987.3.22)飲酒運転による道路交通法違反で現行犯逮捕。兵庫県西宮市の名神高速道路西宮料金所手前の上り線で検問中の警察官により発見された。調べに対し、「大阪市内の飲食店でウイスキーのボトルを半分あけた他に日本酒やビールを飲んで帰宅途中だった」と自供。球団は厳重説諭と自宅謹慎3日間、罰金100万円を本人に通告
青少年保護育成条例違反で神奈川県警少年課と横浜磯子署に取り調べを受ける。女子高生ら少女二人とみだらな行為をしていた疑い。知り合いの会社役員に女子高生とスナック店員(二人とも17歳)を紹介され、ホテルに行っていたという。発覚後芸能活動を中断しサラリーマンに。1984年に「桂勝枝」として復帰。1986年に自ら二代目「桂きん枝」を襲名(芸名を元に戻しただけ?)
【金山一彦】俳優/(1990.11.5)東京都渋谷区千駄ヶ谷の路上で、暴行による現行犯逮捕。前方を走行するライトバンが遅いことに腹を立てた金山が、信号で停止した際、ライトバンの運転手に唾を吐きかけたり顔面を殴るなどの暴行を加えた。金山は芸能人仲間の草野球の試合で勝ち、祝杯をあげ帰宅途中だった
処分保留で釈放後、記者会見では留置場では男子房に収監され「男もののパンツをはかされた」といった話で笑いを誘おうとしたり、刑務所では化粧もできないなどと不満を漏らす。そして、「大麻は誰にもらったか分からない葉巻入れの缶に入っていた。よくいろんな物をもらうが、いちいち確かめてられない」とあくまで自分のものでないと主張。また、コカインに関し「知人から歯痛の鎮痛剤としてもらったもので、コカインだとは知らなかった」と要領を得ない説明に終始。
「大麻は私の家にあったのだし、コカインとされた薬も飲んでいたのは事実。不当逮捕ではないと思う」と容疑を事実上認めた。謝罪の言葉も「そういうものをやっている人を自宅に入れたわたしの不徳の致すところ」と最後まで歯切れが悪く、釈然とせず
【木村一八】俳優。横山やすしの息子/(1988.11.25)六本木の路上で酒に酔い(当時19歳)、通りがかりのタクシーを蹴り、注意しようと降りてきた運転手に殴る蹴るの乱暴。運転手は頭蓋骨骨折・脳挫傷で全治一ヶ月の重傷を負わせる。警視庁麻布署は傷害の現行犯で逮捕。当時所属していた吉本興業を追放され、父親である横山やすしも監督不行き届きとして謹慎処分を受けた。本人は少年院送致/(1995.2.23)六本木の路上で米国人少年に暴行を加えたとして麻布署に逮捕される。歩行中肩がぶつかったことで口論となり、少年の顔を蹴るなどの暴行を加えたという。少年は、左まゆ外側挫傷・左眼けん打撲などで全治10日。傷害罪で罰金20万円/(2006.3.8)銃刀法違反の現行犯で逮捕。8日午前4時半頃、東京都渋谷区道玄坂で百貨店前の路上に車を止めていたところ、警察官に職務質問され、トランクの中の日本刀が見つかる。木村容疑者は「以前に友人からもらった刀を入れっ放しにしていた」と供述。住所については「友人の家を転々としている」と話した
青になったと勘違いした」と釈明。追突された車を運転していた男性は首に1週間のケガを負った。相撲協会に報告したのは事件発覚後の5月2日だったことについては、事故相手と保険会社を交えた事故処理に追われていたためと釈明。相撲協会は現役力士の運転を禁止している
【窪塚洋介】俳優/(2003.10.23)暴行容疑で書類送検。10月3日夜、長女が生まれた横須賀市内の病院駐車場でカメラマンに写真をとられた際、カメラマンに蹴りを入れた疑い。カメラマンは被害届を出していたが示談が成立。被害届けは取り下げられた。窪塚の代理人は「結果的に蹴った行為について申し訳なかったということです」と示談の経緯を説明/(2004.6.6)正午頃、自宅マンションベランダから落下(9階。高さ約26m)。重傷を負う。事務所側は鯉のぼりを設置していた際の事故と説明したが、落下地点がベランダから水平距離で9m先のフェンス部分だったため、ある程度の勢いをつけないと不可能ではないかとも言われている
【小泉今日子】タレント/(2005.1.26)東京都目黒区で自家用車を運転し帰宅中、駐車中のバイク(無人)に接触し転倒させ、そのまま走り去った。バイクの持ち主の新聞配達員がナンバーを覚えており、同日中に小泉所有の車と判明。翌日、道路交通法(措置義務)違反の疑いで目黒署から事情聴取を受けた。小泉は「事故当時、車のタイヤがパンクしており、ガタガタと走っていて気付かなかった」「何かにぶつかったことには気付いていたが、大したことはないと思って自分勝手に判断してしまった」と釈明。書類送検後、同年3月15日起訴猶予処分に
【沢田研二】歌手/(1988.5.20)東京・世田谷区上野毛の十字路で沢田運転の乗用車がタクシーに衝突。タクシーには乗客がいたが沢田をはじめ、いずれもケガはなかった。警視庁玉川署の調べで沢田は同区下北沢の居酒屋で日本酒三合を飲んで帰宅途中、一時停止せず十字路に入ったとみて道交法違反(酒気帯び運転、一時停止違反)で書類送検
傷害と恐喝の容疑で逮捕。知人の専門学校生が杉浦宅から盗んだお金ををめぐるトラブル。杉浦は相手を叩くなどして返済を求めたという。(2002.7.2)処分保留のまま釈放。大阪地検は傷害容疑については嫌疑なしで不起訴、恐喝容疑も「被害者が処分を望んでいない」として起訴猶予処分に
【杉本哲太】俳優/(2005.7.17)他人の自転車を持ち去ろうとしていたとして、占有離脱物横領容疑で世田谷署に事情聴取を受けた。17日深夜、世田谷区の路上を自転車で走行中、警察官に職務質問を受けた。杉本は「当時は酩酊状態で記憶が定かではなかった。大変申し訳ないことをした」と話しているという。書類送検されず、微罪処分となる見通し。友人との飲み会に自分の自転車で出かけたが、帰宅時に自転車を間違えたらしい。
(2006.7)杉本哲太が映画「日本の自転車泥棒」に主演することが発表された。元競輪選手が自転車を盗みながら岩手から東京へ向かうという内容。杉本の自転車盗事件前に決まっていた企画とはいえ、内容が内容だけに白紙化も予想されたが、本人も反省しているとのことで白紙化はまぬがれた
【炭谷宗佑】(すみたにそうすけ)日本テレビアナウンサー。スポーツ実況や「新どっちの料理ショー」などを担当/(2006.2.20)横浜駅のエスカレーターで、前に立っていた女子高生のスカートの中をカメラ付き携帯電話で撮影。鉄道警察隊員が犯行を目撃、任意で事情聴取したところ隠し撮りを認めた。炭谷は県迷惑防止条例違反容疑で書類送検。同年5月2日、起訴猶予処分に。事件が明るみに出たのは、犯行から3ヶ月近くが過ぎた5月17日。日テレ広報部は「社員のプライバシー」として炭谷の名前は明かさず、また「適切な処分を行った」としたが、どのような処分かは公表しなかった。週刊文春によると、日テレはこの件を口外しないよう社員に一筆書かせていたとのこと。5月29日の定例会見で、日テレ久保伸太郎社長は「ご迷惑をお掛けした」と陳謝したが、処分内容などについては「適切な処置を取った」としか語らなかった。事件を公表しなかったことについては、「会社と個人の責任は別」と語った
【せんだみつお(せんだ光雄)】お笑いタレント、本名・中野光雄。ムッシュ中野という芸名だったこともある/(2000.9、当時53歳)酒気帯び運転・車に当て逃げ、業務上過失致傷および道交法違反。警視庁丸の内署は22日、東京都千代田区皇居外苑1丁目の二重橋交差点で、自分のギャグから付けたナンバー「7878(なはなは)」の愛車BMWを運転中、会社員の男性(24)の赤信号で停車していたワゴン車に追突、首に軽傷を負わせ、その後、ワゴン車を追い越し同交差点を左折。祝田橋を右折し、桜田門方向へ約600メートルを車で逃走したという。追突された会社員は車で追いかけ、桜田門交差点で同容疑者の車の前に回り込んで停車させた。会社員は路上で同容疑者を取り押さえ、丸の内署に携帯電話で通報。「自分のやったことを分かっているのか!」と問いつめる会社員に対し、せんだ容疑者はぼう然とした様子で「自分は逃げたつもりはない。安全な場所まで退避しただけだ」とうそぶいたという。業務上過失傷害と道交法違反の現行犯逮捕された。事故当時、相当酒に酔っていたという。せんだの息からはアルコールも検出され、調べに対し「友人宅でビールを3本飲んでいた」と供述。うそをついたのはせんだ容疑者だけでない。マネジャーも「そんなことはない。ドラマのためにダイエット中で貧血を起こして事故につながった」などと飲酒運転を否定。同容疑者の保身のために虚偽の報告をしたとみられる。さらに、マネジャーは取材に対しても「交通事故なんて起こしてません」と話した。事故から約1日たってようやく事の重大さに気づいたのか、せんだ容疑者は「申し訳ないことをした。今後一切しません」と反省の態度をみせたという
【そのまんま東】本名東国原英夫(ひがしこくばるひでお)。タレント。たけし軍団。フリーアナウンサー片平きみよ(現片平夏貴)・女優かとうかずこの元夫/(1995)19歳看護婦と不倫。テレビで土下座してかとうかずこに謝罪。東は、結婚後も度々浮気騒動を起こし、その度に、「まだイレてなかった」などと釈明/(1998.6)週刊誌に東の個人事務所から女性と一緒に出てくる現場写真を掲載され、不倫発覚。相手女性について「年齢も知らない」と弁明(ちなみに20代)。釈明会見では「これからやる予定だったのに」と未遂を強調/(1998.10)東京・渋谷区にあるイメクラ「年中夢中」が警視庁少年二課などに児童福祉法違反の疑いで摘発され、経営者の園田浩史容疑者(当時28歳)が逮捕された。同店は家出中だった当時16歳の少女を雇っていたが、5月に保護され、供述の中で東の名前があがった。東はこの少女から「体感サービス」を受けており、捜査に当たった警視庁田園調布署が、6月と9月の数回にわたり、参考人として東から事情を聴取。東は「18歳未満とは知らなかった」という。発覚当時、2本のレギュラー番組があったが出演を自粛。約1年5カ月半の謹慎生活後、告白本を出版。その内容は警視庁の刑事とのやりとりを面白おかしく書いたり、収入がゼロで、貯金が底をついたため、子供の地域振興券を飲み代にあてた話、謹慎中の猛勉強で今年、早稲田大学第二文学部に入学を果たせたことなどを明かしている(当時41歳で2児の父)
【たけし軍団】ビートたけしの弟子のお笑いタレント集団/(1986.12.9)写真週刊誌フライデーの記者が、下校途中のビートたけしの女友達の女子大生から、大学の門の前で談話を取ろうとし、嫌がられて取材拒否をさせると、追いかけ、手首をつかまえるなどして無理やり話を聞こうとしたことから、ビートたけしとたけし軍団の十一人が抗議し、電話で話し合いを求めたところ、フライデー側が応じなかったため、講談社に押しかけ、編集次長風呂中斉ら5人に、カサで殴りかかるなどの暴行を加え、通報でかけつけた大塚署員に傷害と暴力行為の現行犯で逮捕
【立浪和義】プロ野球中日野手。2001年にプロ野球選手会理事に就任/(2000.5.6)ナゴヤドームで行われた試合で、判定を不服として、橘高淳審判員に対して中日の星野監督・立浪選手・大西選手が暴行。右肋骨骨折および左肩、背部打撲のケガを負わせる。立浪はセリーグから出場停止5日間(3試合)と制裁金20万円の処分を受ける。なお、上記の3名に対して、一般の野球ファンが暴行で刑事告発。起訴猶予処分/(2002.12)愛知県内で制限速度を50キロ以上超えるスピード違反を犯す。過去にも違反があったため、運転免許取り消し(欠格期間1年)の行政処分。中日球団は立浪に対して口頭で注意を促した/(2004.10)前年の10月22日、大阪のホテルに呼び出した女性にラッシュという揮発剤をかがせ、レイプした疑惑が週刊誌で報じられる。また、その示談に暴力団組員を仲介役としたとして、暴力団幹部と共に強姦・脅迫で告訴される/(2005.9)妻子のある立浪だが、タレント梅宮アンナとの不倫密会が発覚。二人で焼肉を食べた後、都内のホテルに移動。翌日の夕方チェックアウト
【デヴィ・スカルノ】デヴィ夫人(デビ夫人)。本名根本七保子。元インドネシア大統領スカルノの第3夫人/(1993.1.23)暴行と公共道徳違反で米コロラド州の裁判所から禁固60日と罰金700ドルの有罪判決を言い渡される。コロラド州のスキーロッジで開かれたパーティで、15年来の友人でオスメニア元比大統領の孫娘であるビクトリアに、「デビ夫人はスカルノ大統領と実際には結婚しておらず、高級コールガールみたいだっただけ。実際の年齢は60歳。手術を重ねて若くみせているだけ」とののしられ激怒。ビクトリアの顔をシャンパングラスで殴打し、37針縫う大けがをさせた。コロラド州の刑務所に収監されたが、共同電はデビ夫人は複数の窓のある部屋に収監され、囚人服の着用も強制されない環境下で服役していると伝えた/「週刊新潮」に"チャリティパーティの寄付金を一部引き出した"と書かれ名誉毀損で訴えたが、「記事は大筋で真実」として敗訴/野村沙知代に名誉毀損で訴えられ敗訴/(2006.9.20)名誉棄損をめぐる裁判で敗訴し、損害賠償金30万円の支払いを命じられる。デヴィ夫人は、テレビ番組で「元社員から暴行を受けた」と発言。夫人の経営するイベント企画会社に勤めていたこの元社員に対し、損害賠償を求める訴えを起こした。これを受けて、この元社員は、デヴィ夫人に対し名誉毀損で損害賠償220万円を求める訴訟を起こしていた。裁判では、どちらが暴力をふるったのか争われたが、「元社員が夫人に暴力を振るった事実はない」として、デヴィ夫人の敗訴となった
【寺山修司】作家/(1979.12.12)暴力行為の現行犯で逮捕。寺山が主催する劇団天井桟敷と、近所で公演していた劇団状況劇場の団員同士が大乱闘を起こしていた。寺山と状況劇場主催の唐十郎を含め、計9人が逮捕された。騒ぎの一週間ほど前に、天井桟敷が状況劇場に対して、開幕祝いと称した葬式用の花束を贈っていた。これをいやがらせととった状況劇場の団員が、「寺山を出せ」と怒鳴り込んだのが発端/覗きの現行犯で逮捕
【所ジョージ】本名芳賀隆之(はがたかゆき)。タレント/(2004.10.25)東京都大田区の首都高速を、制限時速を50キロ上回る時速130キロで走行。オービスに撮影される。警察に事情聴取を受け、道交法違反(速度超過)で免許停止に。所属事務所は「仕事に遅れそうだったため、うっかりスピードを出しすぎたらしい」と発表。ちなみに、所は無類の車好き(特にアメ車)で、東京成城の自宅には10台分のカースペースがある。車関連のテレビなどの仕事も多かった。かつて所は、シートベルトやヘルメットの着用義務も、「よけいなお世話。つけるもつけないも本人の自由」と深夜番組で公言していた
【ナインティナイン】お笑いコンビ/(1996.8.6)日本テレビのバラエティー番組で、日本テレビのプロデューサーや、タレント、ナインティナイン、バルセロナ五輪銀メダリスト池谷幸雄ら六人が、渋谷駅前の交差点で縄跳びをしたり、信号機にぶら下がって前回りをするなどして、道交法違反で書類送検
【永井宏】漫才コンビ「リアルモード」元メンバー/現住建造物放火の疑いで緊急逮捕される。自ら希望して「リアルモード」を解散した永井容者が、元の相方にコンビ復活を申し入れたが断られ(すでに相方は新しいコンビを組んでいた)、逆上して放火したとみられている
【中村福助】歌舞伎役者。中村橋之助の兄/(1997.11.20)東京都港区の路上で追突事故を起こし道交法違反で現行犯逮捕。また、飲酒運転の容疑で書類送検。ベンツで東銀座の歌舞伎座に向かう途中、スピードを落としきれずに前方の車に衝突したという。その日出演予定だった歌舞伎座では、「風邪による腹痛で体調不良のため」と休演理由が説明された
【中山一也】俳優/(1983.2.28)東京都渋谷区のNHK西館7階リハーサル室前の廊下で、芥川賞作家高橋三千綱の太ももを果物ナイフで刺し10日間のケガを負わせ、傷害と銃刀法違反で現行犯逮捕。中山は「その傷の痛みは俺の心の痛みだ」と絶叫したという。高橋の映画から降ろされたと逆恨みしての犯行/(1987.4.7)北の国からの脚本家倉本聰の自宅前でナイフをわき腹に突き刺し切腹。倉本に発見され助けられた。中山と倉本は面識が無かった/(1988.1.9)東京都中央区築地の松竹本社ビル1階の映画館「松竹セントラル」に乗用車で突っ込みガラス5枚などを損壊、器物破損の疑いで緊急逮捕。中山はクラクションを鳴らしながら、時速20キロほどで突っ込んでいた。「エルム街の悪夢3」上映中だったがケガ人は無し。調べに対し、わざと突っ込んだことは認めたが、理由については「今は言えない」と口をつぐんだ。のちに「俺みたいな役者を使わない日本の映画界が悪いってこじつけて、もっと若い元気ある役者を使いましょうってゆーキャンペーンで突っ込んだの」と語った
調べによると、佐藤さんは11月29日、同容疑者と会食した後、行方不明となった。佐藤さんと知り合いのマージャン店店員、川原裕一被告(当時30歳)が今月2日、「西川容疑者に頼まれて一緒に遺体を運んで捨てた」と供述(死体遺棄罪で起訴済み)。遺体は同県朝日村の林道わきで発見された。西川容疑者は佐藤さんにマージャン店開設資金の融資を依頼していた。
【根津甚八】俳優。(2004.7.6)東京都目黒区内で自家用車を運転中、交差点で自転車の男性と衝突。男性は死亡した。現場は制限時速30km/hの区間だったが、男性は10メートル近く跳ね飛ばされていた。事故の2年前、根津氏は右目下直筋肥大を発症し、通院治療を行っていた。通夜に駆けつけた根津だが、事故のショックのせいか足を引きずりながら歩き、両脇を夫人と関係者に支えられている状態だったという。根津は業務上過失致死容疑で書類送検される見込み
【野村沙知代】野村克也の妻でタレント/(1996)衆院選の際、学歴詐称したとして東京地検に公職選挙法違反で告発される。選挙期間中に「コロンビア大留学」と印刷した名刺を配ったほか、外国人記者クラブでの会見で「昭和27年暮れにコロンビア大に行き、翌年の春季講習から受講を始めた」と発言したというもの。騒動の火付け役となった女優浅香光代が7月19日に東京地検に告発し、ミッチーサッチー騒動などと言われた。(1999.11.18)東京地検特捜部が再度の不起訴処分を決定/(2001.11.29)二男ケニーの嫁から1000万円の損害賠償を求める訴えを起こされる。三男カツノリの嫁とサッチーの共著「日本一勇気ある嫁」の内容は虚偽であり、名誉を傷つけられたしている/(2001.12.5)1999年までの3年間に、個人や経営する会社「ノムラ」「ディーアンドケイー」の2社の所得計5億7000万円余りを隠し、所得税と法人税合わせて約2億1000万円を免れた疑いで逮捕。野村沙知代とアメリカ人の前夫の間の二男ケニーは、年末に沙知代から所得隠しに協力するよう電話で要請された会話を録音し、マスコミに公開。警察の調べにも協力した。野村沙知代は5000万円で保釈。老後の為の貯蓄欲しさに脱税したという。夫の野村克也がこの件が元で阪神タイガースの監督を辞任/(2001.12)1999年から2000年にかけて、他人名義での株取引を証券会社に要求していたことが発覚。自分が保有するセメント会社の株を売却する際、証券会社に自分がオーナーを務める少年野球チームの監督名など、他人名義で口座を開設することを要求。仮名や借名による株取引は脱税に悪用されることが多いため、証券会社は拒否。最終的に野村克也名義で口座を開設していた。検察の調べで、脱税で得た資金で株取引を行っていたことが明らかになっている。この他、個人や会社の経費の大半が水増し申告されたことも明らかになっている。計上された架空経費は2000年までの5年間に計約1億4000万円にも上っている
【萩原健一】俳優。愛称ショーケン/(1983.4.18)渋谷区元代々木の自宅マンション大麻で逮捕。自分のバンドのメンバーのギター奏者チェピートこと竹内正彦から大麻を買い、所持していたもの。翌年、懲役1年執行猶予3年の有罪判決/(1984.2.4)道交法違反(酒気帯び運転)の現行犯で逮捕。調べによると、東京都新宿区山手通りの交差点で萩原の運転する乗用車がオートバイと衝突。オートバイを運転していた会社員は5日間のケガ/(1985.12.21)飲酒運転で現行犯逮捕/女優倍賞美津子と二人でいるところを撮影した写真週刊誌フライデーの編集者とカメラマンに暴力をふるったとして、障害傷害罪で告訴されたが、東京地検は、フライデー側にも行き過ぎがあり、「嫌疑は不十分」として不起訴処分
書類送検もされたが、「すでに肉体的・精神的制裁を受けている」として起訴猶予処分に。当時の不倫相手細川ふみえに会いに行く際の事故だとも言われる/AV女優憂花かすみ(ゆうがかすみ)との不倫発覚/(1996)「オフィス北野」が税務調査で所得申告漏れを指摘されていたことが発覚。たけしと軍団のタレントが仕事の打ち合わせなどで飲み食いした費用を「経費」として申告。国税局は、「打ち合わせに酒は不要」として、課税対象である「交際費」として認定。1995年9月までの2年間で申告漏れは6500万円にのぼるという。追徴税額二千数百万円で修正申告
【ビートきよし】漫才コンビ「ツービート」時代のビートたけしの相方。タレント。本名兼子二郎/(1982)雑誌「スコラ」に掲載したビートきよし名義のエッセイ全文が、加藤諦三早大教授の著作「愛すること愛されること」の章の盗用であることが発覚。きよしは「書くヒマが無くマネージャーに頼んだところ、マネージャーが盗用した」として、テレビでマネージャーにあやまらせた/(1998.9/当時48歳)が、バカラ賭博を開いたとして摘発された横浜市内のカジノ店に客として賭博に加わっていたことが1989年9月14日までにわかった。神奈川県警捜査四課などはすでにキヨシから事情を聴いており、とばく容疑で書類送検する方針。 調べによると、キヨシは8月30日朝、横浜市中区福富町仲通のカジノ店『フラミンゴ』でバカラと呼ばれるトランプを使った賭博をした疑い。同課は同日、同店の捜索を行い、従業員15人を逮捕するとともに外国人13人を含む38人の客も賭博容疑で摘発した。その客の中にキヨシも含まれていた。キヨシは知人と一緒に同店を訪れていたという。同店は昨年11月ごろ開店し、年中無休で24時間営業を行っていた。連日約2億5000万円が動く大掛かりな賭博が行われていたものとみられており、捜索では店内の換金所にあった現金2300万円や、バカラ台6台が押収
【平林正司】慶應義塾大学法学部助教授。バレエ史家/(1992)盗撮の企てが発覚し停職処分(のちに復職)。複数の女子学生を自宅に招き、壁に穴を開けてビデオカメラを仕込んだ風呂場で入浴させ盗撮しようとしたが、カメラを発見されてしまった。慶応大は、ナルシストである平林が、自分の裸体を撮影するためにカメラを仕込んだと説明
【ボビー・オロゴン】タレント/(2006.1.25)所属事務所で暴れ数人にケガを負わせたとして暴行容疑で事情聴取。ギャラ交渉のため所属事務所を訪れたが、打ち合わせ中だった社長に断られ激昂。机や椅子を投げ「金よこせ」とわめいた。その際、鈴木宗男の元秘書ムルアカ氏に殴られたと主張し、その際に出来たという上唇の裏の傷も見せた。ボビーの専属マネージャーが事務所を通さず仕事を受けていたことが発覚して1週間後の事件だった。その後事務所側・ムルアカ氏側と和解が成立。ムルアカ氏とは、「カッとなってつかみあいになっただけ」とのこと。(2006.2.16)暴行容疑で書類送検。事件直後は否定していたが、事務所の社長を椅子に押し倒したことなどを認めた。3月末まで芸能活動謹慎予定。(2006.3)「既に社会的制裁を受けている」として起訴猶予処分
【前川勝彦】本名前川克彦。オリックス投手。PL学園野球部史上初のエースで4番。ドラフト1位で近鉄入団し、2001年には12勝を挙げて優勝に貢献/(1999.12.1)12月1日に契約更改の交渉があったがすっぽかしてしまう。「11月31日だと思うてました」と釈明。運転免許を没収され、1年間の掃除当番を命じられる。この年、日本ワースト記録となる5連続四球を達成/(2002.12)スピード違反や駐車違反の累積で点数超過。免許取り消し処分を受ける。そのことを隠したまま、球場や練習場などへ車で通い続けた。2004年に阪神にトレードで移籍。阪神はトレード移籍の選手には免許の確認をしておらず、無免許運転は見過ごされる。なお、阪神時代、プレシーズンにヤンキースと対戦し、前川は殊勲の勝ち星を挙げている/(2005)免許取り消し状態にも関わらず、ジープ型のベンツを購入(2007年のひき逃げ事件もこの車で起こす)。この年の選手名鑑では愛車を「ベンツ」と紹介/(2007.1.7)業務上過失傷害と道交法違反(ひき逃げ、無免許)で逮捕。調べによると、6日午後2時ごろ、大阪の心斎橋筋の御堂筋交差点で、前川容疑者の運転するジープ型のベンツが、左折時に横断歩道上の自転車の女性と接触。女性は首・両膝などに1週間のケガ。車を止め信号を巡って女性と口論になったところに、居合わせた大阪府警機動隊員が近づき免許証の提示を求めると、「免許は車に置いてある」と言って車に戻り、車が御堂筋の側道をふさいでいたため、「移動させます」と言って、そのまま逃走。ナンバーを覚えられていたため、7日朝、自宅で逮捕された。「選手生命が終わると思って逃げた」と供述。大阪府警南署員によると、「逃げなければ逮捕は無かったと思う」とのこと。同日、所属するオリックス首脳陣が会見を開き陳謝。とりあえずの処分として、無期限謹慎処分を下したことを発表。雑賀忠夫社長は「社会奉仕をして反省すれば復帰も」「チームの成績でばん回する」と述べた。管理者責任について問われると、「前川のみを処分するのが当然」と答えた。(2007.1.8)事故の隠ぺい工作疑惑が発覚。自転車と接触した際、バンパーに傷が出来ていたが、これを見えにくくするようワックスが塗られていた
旧陸軍航空隊の飛行服と日の丸のハチ巻きで身を固めた特攻隊スタイルで、突っ込む直前、無線を通じ、「天皇陛下万歳」と叫んだという。三島崇拝者で、前野は、「児玉は右翼などではない。天皇の名を利用した利権屋だ」などと激しく批判しており、児玉殺害を狙った自爆テロとわかった
【松坂大輔】西武投手/(2000.7)埼玉県戸田市を通る首都高速で時速134キロを出して車を運転、免許を停止させられた。しかし停止期間中の2000年9月13日、都内で車を無免許運転したとして道交法違反で書類送検。のちに免許取り消しの行政処分。車は西部球団が所有するものだった。「タクシーを使うと行き先がマスコミに知られると思った」と釈明(ちなみに「行き先」は現在の奥さんの住むマンション)。そこで松坂が犯した駐車違反の身代わりを務めた西部球団広報部長と、管理責任を問われた球団社長は辞任に追い込まれた(広報部長は犯人隠避の疑いで書類送検もされる)。松坂は「ファンの皆さんには野球で償っていく」と表明し、2001年には球界史上最年少の1億円プレーヤーとなった
【宮古世里恵】元日活女優/(1953.7.9)別の女性と結婚の決まった内縁の夫が「結婚後も、お前さえよければつきあってもいい」と言った言葉に腹を立て、男が寝入ったところで西洋カミソリで性器を切り取り、外のマンホールに捨て、介抱しているところを発見され、男が全治1ヶ月の怪我で寝ているのに付き添っている所を病院で逮捕
【横山ノック】(本名山田勇)お笑いタレント・元参院議員・元大阪府知事/(2000.8)府知事選挙中、運動員の女子大生にわいせつな行為をしたとして、強制わいせつ罪で懲役1年6月執行猶予3年(求刑懲役1年6月)の判決。大阪地裁の川合昌幸裁判長は「知事という自らの地位に酔いしれ、おごった犯行で、厳しい非難は免れない。被害者の傷も大きい」と判決理由を述べた。1999年4月の府知事選において、ワゴン車内で女子大生の下腹部を触るなどしていた。ノックは昭和43年の参院選時には「とにかく悪いことをせん人を選んでください」と言って初当選していた
【横山やすし】漫才コンビ「やすし・きよし」。横山ノックの弟子/(1986.3.3)貸金訴訟の敗訴に伴う供託金を納めなかったため自宅のテレビ・冷蔵庫など、家具類十数点を差し押えられる/(1989.2.12)長男・木村一八の障害事件による逮捕で謹慎中の漫才師横山やすしが、大阪市住之江区粉浜西三丁目、阪神高速道路堺線下り車線で、無理な追い越しをしようとして、交通事故を起こし相手にけがをさせた。飲酒運転だった/(同年.4.17)、大阪市淀川区新高一丁目の路上で、飲酒運転の横山やすしの車が赤信号を無理に右折。無職小林弘介さんのミニバイクと衝突。小林さんは十日間のけが。この事故で、吉本興業から所属契約をすべて解除され、事実上の懲戒解雇/(同年.8.29)兵庫県赤穂市の「ホテル音羽ノ森」の観光客用クルーザーへ無断で乗り込んだところ、ホテル従業員に「宿泊者専用だから」と降りるよう言われたが断り、従業員2名を殴るなどして暴行の疑いで書類送検。略式起訴(求刑・罰金5万円)された。当時、横山は「ホテル音羽ノ森」に到着する前から、ファンとの昼食で水割り・ビールなどを飲んでいた
【ローズ】巨人野手/(2004.5.6)東京都港区西麻布の路上で駐車違反で捕まる。その際、米国で発給された国際免許証を提示したが、その免許証は期限切れだった。日本で使用できる国際免許証は、有効期限1年と定められ、それ以降は、米国で再発行を受けるか、日本の免許証に切り替えなければならない。駐車違反だけでなく、無免許運転として書類送検。巨人球団広報部は「適正な運転免許を取得するよう注意した。出場停止処分などは考えていない」とのコメントを発表
【渡辺二郎】ボクシング元世界チャンピオン/(1995.8.30)貸付金回収をめぐって債務者らに暴力をふるい小切手を脅し取った容疑で逮捕。渡辺が役員を務める大阪市の輸入会社「ジェイビィインターナショナル」の事務所に債務者を呼び出し、「はよ借金返せ」「お前らみたいなヤツは死ね」「わしが本気で殴ったら死ぬぞ。ゴルァ!」などと脅して返済を迫ったされるが、処分保留で釈放/(2000.7.19)入手した短銃を譲り渡したとして、銃刀法違反で4年6ヶ月の実刑判決を受ける。前年8月に大阪で起こった覚せい剤にからむ男性射殺事件で起訴された会社役員に、渡辺被告は銃を譲り渡していた

 

[ 266] 少年犯罪データベースドア
[引用サイト]  http://blog.livedoor.jp/kangaeru2001/

『「ニート」って言うな!』にも執筆されてる後藤和智氏が『若者論を疑え!』(宝島社新書)という初の単独著作本を出されまして、『戦前の少年犯罪』のこともその中で取り上げていただいて、おまけに一冊送ってきていただいたので宣伝しておきます。
後藤氏がこういう本を出すと聞いて、この人のやり方で肝心のそのおかしな若者論を喜んでいる年寄り読者に届くのかいなと正直疑問を持っていたのですが、読んでみるとこれは勘違いした年寄りを説き伏せて改心させる本ではなくて、そういうおかしな若者論に対抗しようとする若者に向けたものなんですな。
少年犯罪が増えてるだとかゲーム脳だとかニート叩きだとかの間違った言説を正す科学的データを提示し、闘う若者へ武器を提供する「武器屋」であると、後藤氏は自分を規定しています。
勘違いした年寄りを成敗して間違った若者論を一掃するにはずいぶんと回りくどいですが、直接年寄り読者を説き伏せるには向いていない後藤氏のやり方としてはまことに正しい方向です。しかし、また退屈な方法論でもある。ところが、後藤氏はその「武器屋」に徹しきれないために、この本をなんともおもしろいものにして、しかもたんに間違った若者論を一掃するなんて次元とは違う、もっと大きな流れを生み出すための一筋の光をそこに見出すことができるようになっているのです。
売りらしい細かいデータではなく、より重要なその流れの可能性をこそ読み取るべき本で、後藤氏の意図とはまったく違ったところで歴史的一冊になるやもしれません。いや、微かには意識してるんですかね。
冒頭に本田由紀氏との対談が出てきます。これは若者論に対抗するための作戦会議というか、むしろいきなり反省会のようになっていて、とても敵である年寄りに見せられるようなもんではありません。私は本田氏のことはなにも知らないのでホンネなのかディベートとしてツッコミ役を買って出てるだけなのかよく判りませんが、あなたのやり方はほんとに有効なの? とか意地悪く問いかけて、また後藤氏のほうも負ける戦いかもしれないとかえらく弱気に答えています。本田氏はさらに踏み込んで、若者論を疑うことによってあなたはほんとは何がしたいの? はたまた、そんな闘いをしているあなたはいったい何者なの? と問うているようにさえ見えます。本田氏のツッコミのせいと云うよりも、後藤氏の「武器屋」としての弱さがそう見せているのかもしれません。
この本では何故か別の人がインタビューしてまとめた腐女子とケータイ小説家についてのルポ2本がいまどきの若者の生態として入ってるのですが、本田氏との対談部分はまるで若者論と闘うことに人生を賭けたひとりの若者のルポルタージュみたいになっています。この3本が並ぶことによって、おかしな若者論と闘うことが、腐女子のようなひとつの若者のカテゴリーとして捉えうることを示しているのです。このことこそが、この本の唯一最大の価値なのです。
惜しむらくはこの闘う若者たちにはまだ名前がない。後藤氏はこの本で、ニートだとか準ひきこもりだとかの名前をつけてカテゴライズすることの恐ろしさを説いていますが、名付けることによって、カテゴライズすることによって生まれる力もあるのです。
腐女子、その黎明期はJuneという名のカテゴリーができたことによって、それまで理由も判らず息苦しい日々を送っていた何十万人かの女子に居場所と生き甲斐ができ、その何割かには職業と収入さえもたらしたわけです。そこに市場ができたという事実は見逃せません。
この本のルポではケータイ小説家もたんなる商品を売って金儲けする商売人ではなく、小説を書くことで人生の目標を見出し、読者やケータイ小説家同士のつながりを通じて相手を瘉すことによって自分も瘉されるひとつの目的で結ばれたコミュニティーの一員としてカテゴライズされて取り上げられています。
精神性と金銭の両輪がなければ人間の誇りは保てないというのが、ぎりぎりまで追い詰められた現代の若者の結論でしょう。
後藤氏は闘うための武器を提供する以前に、不当な若者論によって叩かれて落ち込んでいる若者にあなたは悪くないんだよということを伝えたいと云ってます。それに対して、本田氏はそんなことで弱っている若者なんてほんとにいるのかなあと疑っています。以前の私なら同じように疑うところですが、『戦前の少年犯罪』などという若者論を疑えカテゴリーでは端っこのほうの本を読んでさえ溜飲が下がって元気が出るなんていう方が何人もいるのを知って、いまの若者は思った以上に抑圧されてるんだなということが判りました。
こういう若者たちをいかに結集させることができるか。「武器屋」の第一の仕事は買ってくれる顧客を増やすために市場を作り上げること、それはつまり戦争を起こすことだということを、後藤氏は肝に銘じなければなりません。それは歴史や『サイボーグ009』なんかが教えるところです。
たとえば、チベットだとか、関係のない遠い国の揉め事に入れあげる若者がいるのは何故なのか。そんなことよりも目の前に、自分たちの利害からも、客観的科学的にも、「正しい戦い」があるというのに、こっちの戦線に参加するほうが誇りと充実感が得られるぞと示せるかどうか。
これだけ明確な敵が目の前にいるなんてのは幸運です。全共闘なんかは大学の学費値上げなんてインフレの時代には当たり前のことに反対する名目であれだけの人を集めて市場を作って、いまだにそれで食ってる人がいたりします。なにやら誇りさえも持っていたりするみたいです。
考えてみれば、赤木智弘氏が云うところの、「希望は、戦争」「丸山眞男をひっぱたきたい」の両方とも適えることのできる戦場がいまここにはあるわけです。しかも、戦死なんて覚悟しなくともよいし、充分に勝算もある。職業と収入さえ得られるかもしれない。
この本の「武器」となるデータの部分はいまさら読む必要はないでしょう。ほかの方も指摘しているように、なんだか読みにくい書き方になってますし。
それよりも、ルポ3本を読みこんで、どうしたら若者論と戦う人々を腐女子やケータイ小説家のようにカテゴライズできるか、できるとしたらその市場規模は腐女子レベルなのかケータイ小説家レベルなのか全共闘レベルなのか、それとも戦前の青年将校のように、軍部のなかでさえ少数派で、やったことは線香花火だけれどメディアのなかで伝説として語られるような存在となるのか、戦略を考え抜くべきでしょう。
腐女子なんかは特定の趣味を持った女子以外には参加できませんので隔離された世界となりますが、若者論なら年寄りも、あるいは国政も関わってくることになりますから、腐女子レベルの市場創出でも世の中に大きな影響力を持つことになります。出版もテレビも苦しい時代に、若者の読者をこれだけ集められるのならメディアの中心ともなりうる。そもそも、この規模にならないのなら、個人的にもぐら叩きをしていればいいのであって、「武器屋」なんか必要ありません。若者論を疑うことで食えるようになるのが重要です。それは間違った若者論を一掃するなんてことよりも遥かに重要です。
年寄り世代から反攻勢があったりしたら、いっそう戦争が盛り上がって、雑誌というものが息を吹き返したりするかもしれません。ここまで行ったら、新しいカテゴリーを見出したこの本は歴史的一冊だったということになりますな。
私は若者でもないし、若者ともまったく接点がないので救おうとかなんとか大それたことはまったく思わず、ただメディアの、情報の流れ方の実験としてこういうことをやってるので、非常に無責任な立場から勝手なことを云うだけですが、なんでも盛り上がるのは結構なことです。情熱の先走りが重要な革命や戦争にこういう俯瞰的な分析は妨げになるやもしれませんが、私のようなもんに本を送ってきて読めと仰るのはこうこうことですから仕方ありません。
この本のデータは白書なんかを元にしているので、古いし5年ごとだったりでいただけません。「武器屋」を名乗るなら、加工済みの白書ではなく、一次資料の政府統計を使っていただきたい。自殺統計なんかも年齡別の各年のデータを誰もウェブにアップしてくれんので、結局、私がやるはめになりそうな気がする。
検察の尊属殺関係統計をまとめようと四苦八苦していたんですが、あまりの複雑怪奇さに中断しています。きっとおもしろい結果が出ると思うのに。
こういうところをできれば後藤氏にはやっていただきたいと思います。少なくとも、私なんかよりは数百倍数字には強いでしょうから。
また、『青少年非行・犯罪史資料』を元にするのもどうかと思います。あれは全国紙の東京版の記事だけを集めたもので、しかも東京版に載ってる重要事件も結構落ちてたりするし。学者は本が好きなので、どうもこういうのだけ読んで発言する人がいて困る。先日、宮崎哲弥氏にお逢いしたときに、どうせあの本を読んでるだけなんでしょみたいなことを訊いたら、いや、もちろんデータマンは雇ったけど他の新聞記事も網羅蒐集して読み込んだと仰ってまして、ああこの人はちゃんとやってんだなと感心しました。
ニートは武士の魂を受け継ぐ正当な後継者だとかいう、いつもの適当な理論を吹いた内容ですので読んでいただけたら。
後藤和智氏も『若者論を疑え!』では、基本書に徹するためとかいうよくわからん理由で、出鱈目若者論を名指しで批判することは避けているんですが、この雑誌では「インチキ「若者」論の元凶はコイツらだ!!」というタイトルで執筆されているようですから、聖戦の火の手を揚げているのではないでしょうか。手元にないので、まだ読んでないのですが。
ほかにも小飼弾氏と赤木智弘氏の対談だとか、豪華面子がそろっています。リンク先の目次をご覧いただければ。
『戦前の少年犯罪』には載せることのできなかった戦前の事件についての内容です。とにかく数が多くて、この手のものは無限に書けてしまいます。
文章はいつもの調子なんですが、やたらとおどろおどろしい誌面デザインになってまして、なにやら鬼畜系ライターになってしまったかのようでもあります。鬼畜路線は90年代には儲かったらしいんですが、最近は厳しいようでどんなもんなんだか。
編集部のほうで当時の新聞記事の画像を載せてもらってますので、それだけでもご覧いただければ。昔の新聞のおもしろさの雰囲気だけでも味わえるかと思います。
戦前については犯罪だけではなく、ほのぼの系やら、びっくり系やら、おもしろ系やらのデータを大量に蓄積してしまったので、そっちのほうもこれからは出してバランスを取っていかねばなりませんな。もともと、私は犯罪にはまったくなんの興味もない人間なので。
とにかく、戦前という時代についてはほんとに実像が知られていない。戦時中も食べ物を粗末にしていたり、太りすぎて新しいダイエット法に大金を出して飛びついていた人が結構いたことなんてみんな忘れてしまっていて、驚きの連続だったりします。
新婚旅行で離婚するカップルが大勢いたりとか、子どもにおかしな名前をつけて受け付けなかった役所を訴えるだとか。戦前はおもしろいですよ。
戦前についての歴史書は高尚なのばかりで、こっちの路線の人はいないんでしょうかね。山本夏彦なんかもわりといいかげんところもあるんですが、誰もチェックしてないようですし。
ところで、『戦前の少年犯罪』を出して一番意外だったのは、結構あちこちで話題になったのに雑誌の執筆依頼がまったくなかったことです。本の準備のために時間を取られて収入が激減して、この先も次の本のために同じような状況になるので当面は雑誌の原稿料でしのごうかと目論んでいたのに当てが外れて大笑いといったところでした。
これでは雑誌も売れんはずだなあなどと思っていると、一番最初に執筆依頼が来たのが毎日新聞で、ほーと思ったわけです。新聞ならではの表現の制限もあると云いつつ最低限の直しだけで掲載した原稿はなかなか思い切った内容でしたし。とくにタイトルは読めば読むほど凄いことを云っていて、まあ、ちょっと見では判らないようなテクニックは駆使しているわけですが、それでもよく通ったもんです。
取材も雑誌はまったくなく、新聞が2件で、新聞はやはりかなり深刻に危機感を持って、なんとかしないといけないという焦りがあるのは感じます。雑誌は先行きヤバイとはいってもつぶれたらまた新しい雑誌をやればいいやというところがまだまだあって、新聞のようにつぶれたらもうお終い、次はないというほんとの後がない切羽詰った感はありません。
毎日新聞に論稿が掲載された2月15日の前日にようやく雑誌からの依頼もあったのですが、せっかくお話をいただいて、しかもありがたくお受けしておいてこんなことを云うのもなんですが、まあこれは褒め言葉として雑誌のなかでも一番最底辺でなんでもありのはずのナックルズみたいなのよりも新聞のほうが先駆けたというので結構な感慨がありました。
こういう話をすると、あんたそれは自分ひとりの体験だけであまりに一般化し過ぎてるだろと云われたりもするのですが、私は結構この件については状況を的確に表してると勝手に思っています。
雑誌からの話が、新聞に載る一日前というのがかろうじての救いで、これが紙面を見てからなんてことになればもういよいよ雑誌も終わりかという感じでした。さすがにナックルズの面目躍如といったところです。
雑誌もこれからいよいよ死ぬところまで追い詰められるでしょうから、そこで初めてほんとになんでもありのおもしろいことになるだろうと私は期待しています。
佐々木譲さんの小説『警官の血』に時代背景に合わないおかしな言葉が出てくると編集者や校閲者まで非難し、佐々木さんとやり合いになったみたいです。
この呉さんの指摘は仮に正しい内容だったとしてもずいぶんくだらないツッコミのような気がしますが、さらに輪をかけてそのことごとくが変なんです。
「なんたらかんたら」については佐々木さんのブログで校閲さんが反証を出しているのですが、これは全13巻の小学館『日本国語大辞典』の内容です。大阪では昔から普通に使われていた「なんたらかんたら」を呉さんがご存じなかったということはあり得るとしても、言葉の移り変わりを知るには一番基本的な資料となるこの辞典を調べてないというのは驚きです。とくに人をあげつらうようなことをする場合は、最低限この程度のことはすると思うのですが。
昭和二十年代に普通に使われていた「市民」や「女性」がおかしいというのも、どうも意図がよく判りません。ひょっとするとこういう言葉は上流社会のインテリだけのもので庶民は使わないという意味なのかもしれませんが、とりあえず「市民」については昭和23年に公開された映画『シミキンのオオ!市民諸君』を掲げれば充分でしょう。
当時大人気だったシミキンこと清水金一・主演、川島雄三・監督のドタバタコメディーで、当然のことに一般大衆が笑いながら観たものです。それ以前から新聞では、民主主義推進のためには「市民」の確立が大切だといったようなおそらくはGHQ主導の記事がちょくちょく載ってまして、パロディーにするぐらいこの言葉が浸透していたのです。むしろ、うんざりするくらい流布していたからこういうおちょくり映画ができたと思います。
ちなみに、原作は昭和21年から連載された横井福次郎の人気マンガ『オオ!市民諸君』で、去年出た『戦後漫画のトップランナー横井福次郎―手塚治虫もひれ伏した天才漫画家の軌跡』でくわしく紹介されてますので、マンガの研究などされている方はすでに読んでご存知だと思います。私は読んでおらず、この頃の映画に「市民」をタイトルにしたものがたぶんあるだろうと調べてみて、いま知りました。
「女性」に関しましては青空文庫で検索するとこれだけ出てきます。戦前に太宰治や岡本かの子なんかがこれだけよく使っていた言葉なら、戦後の人も使っていただろうなとお判りいただけると思います。
もうちょっと大衆的な人気作家のほうがいいかと、手元にあった石坂洋次郎『何処へ』をペラペラめくっているとこんな場面がありました。
「そうげや、そんならいいどもな。私はまたこのごろ女性々々というのは、若い綺麗な女の子のことばかりかしらんと思っていたんすや……」
この部分は昭和14年に雑誌に掲載され、昭和22年に本にするときに推敲したということです。舞台は昭和14年みたいですが、この時代にこんな云い方はありませんと注意しなかったとは、昔の編集者や校閲者はけしからんことですね。
石坂さんは結構最近までご健在だったので青空文庫にないのがおしいところです。この続きがいいのですが。ぶった切って申し訳ない。
「空気が読めない」につきましては、産経が愛している朝日新聞昭和53年6月22日の産経がもっとも好きそうな『「右旋回」の空気読む』という記事なんかどうでしょうか。記事本文では「この際できるものはやっておこうという防衛庁内部の空気を反映している」という文章が出ています。一面の見出しでなんの注釈も括弧もなく「空気読む」が出ているのですから、それ以前から普通に使われていた言葉だと云っていいと思います。少なくとも「最近の流行語である」から昔は使われていなかったとは云えないでしょう。
このようにいつから使われてたかは例を挙げれば簡単に証明できますが、いつ以前は無かったというのは非常に難しいことです。とくにそれが言葉なんてやっかいなものであればなおさらです。
それをこの時代はこんな言葉は使わなかったなんて、調べもせずに不用意に断定される呉智英という方は、言葉に対するもっとも根本的なセンスと畏敬の念が欠けているような気がしないでもありません。
昭和32年2月3日の朝日新聞には「都心の”バラック集落”立ち退き」という大きい記事が出てまして、「「部落」の代用語として「集落」が使われるのは近時」と仰るその近時とはいつのことなのかはなかなか難しいことで、相当に調べ上げてからでないと大まかなことも云えないだろうと思います。
何ヶ月も前のこんな記事をいまごろ見つけたのは、【断 呉智英】「大阪の食い倒れ」ってホント?をたまたま読んだからなんですが、ここでも「大阪の食い倒れなんて、戦後のことだ。」なんておかしなことを書かれております。
大坂の食い倒れについて言及した江戸時代の文献なんかいくらでもあるのにこの人は調べてもいないのだろうか、まとめてアップしてやろうかと思ったのですが、こちらの方が、その続きと合わせてすでに網羅されておりまして、おまけに『読書家の新技術』という呉さんのご著書で江戸時代のことについて記されていることも知りました。するといったい今回の食い倒れ記事はどういう意味なんでしょうか。さっぱり訳が判りませんです。
「ホームレスが公園などに「テント村」を作っている光景が十数年続いただけで、終戦期の焼け跡に戦災被災者のテント村ができた(バラック村だよ)と平気で書く小説家まで出てくるほどだ。」
これは佐々木譲さんに反論されて、再反論で「『警官の血』には他にもおかしなところがあるが、それは別の機会に。」と記されたその具体例なんだそうですが、かなり驚きました。
呉さんはいったいどのようなところから終戦直後には「テント村」などないとお考えになられたのでしょうか。まさかこの時代にテントそのものが存在しなったなんて思ってはおられないでしょうし、普通はあってもおかしくないなと思うところで、無いと思っても一応は調べてみるのが当然だと思うのですが。とくに人をあげつらうようなことをする場合は。
昭和22年1月21日の読売新聞には「テント村増設 あふれる収容者に都もあわてる」なんて記事が出ています。4月5日には一泊5円のテントホテルが都内各所に開店したという記事があります。
この頃はテントの新聞広告が大量に出てまして、需要の大きさが判ります。時代背景を考えれば当然でしょう。たぶん、山登りのためだけの需要ではないと思います。
呉さんは「作者も体験し多くの読者の記憶にもある終戦期の話だ」と仰っておられますが、『戦前の少年犯罪』に記しましたように、その時代を生きているだけでその時代のことがわかるのなら教育などまったく必要ありません。今現在のことも、我々はきちんと調べて学ばないと理解はできないのです。何十年も前のことならなおさらです。考えれば誰でも判ることです。
呉さんのこの記事は小説ではありませんし、名指しで人をあげつらうようなことをしているので、産経の担当者は『警官の血』の編集者よりも慎重になったでしょうけど、なにも調べていないのでしょうか。
もっとも、別に産経だけではなく、どこの新聞社も出版社もまともなチェック体制なんかありません。この私の文章は、呉さんや産経に限って云っているのではありません。全体的に能力が低く、職業への矜持(きょうじ)や責任感もない例として出しただけです。
呉さんは昔はきちんとしたチェック体制があったように仰っていますが、昔の新聞や本しか読まない私は怪しいと思っています。ごく一部にはちゃんとしている人もたまたま偶然いたから伝説として残っているだけで、それも現在のウェブ上でオープンな形で多くの人にチェックされるような体制と比べたら大したことではありません。
戦前や戦後すぐのことに言及する方は、私のように当時の地方紙や週刊誌まで読み込めとは云いませんが、せめて読売や朝日の検索くらいはやっておいてほしいものです。ここでずらずら並べたようなことは調べるのにそれぞれ5分もかかっていません。バカでもできることです。
なんだかんだで世の中進んできてるのですから、いいかげんもう、調べもせずに適当なことを書いてひとさまからお金を取るなどというデタラメな商売は終わりにすべきではないでしょうか。
念のため付け加えておきますが、知識がないことや間違えることが悪いと云ってるわけではありません。最低限のことはやるべきだと云ってるだけで、知的怠惰なその姿勢を問題にしているのです。
知らないことなど無限にあって、どこまでやっても当然間違いはあるでしょう。この私の文章にもたぶんあるでしょうから、お判りの方はご指摘いただければ。
ところで、私はなぜか最近このように言葉の使われ方の歴史を調べることが多いのですが、ウェブ上で簡単に用例が年代順に取り出せる検索エンジンがあれば便利でいいなと思っています。たとえば、
昭和15年の『女人訓戒』で太宰治はこんな凡庸な考察をしてる。「女性には、このような肉体倒錯が非常にしばしば見受けられるようである。動物との肉体交流を平気で肯定しているのである。」
という記述をしているサイトがあれば、「女性」で検索すると昭和15年の用例として出てくるようなものです。このサイトに年代が無くても、よそのサイトに昭和15年の『女人訓戒』というのがあれば結びつけて検索して年代ごとに並ぶようにしていただければありがたい。
青空文庫のみなさまも、初出情報を充実していただけるとまことに幸いであります。テキスト化作業、ご苦労様であります。
産経新聞も過去の記事をすべてデジタルデータにして公開していただければと思います。読売や朝日のシステムは、1984年以前は見出し検索とシステム側が恣意的に付けたキーワードで検索できるだけで全文検索はできませんから、こういうことを調べるには限界があるのです。大阪はおもしろい事件が多いので需要は大きいでしょう。
一番最初にウェブ上で無料で過去記事すべてを全文検索できるようにした新聞だけが、次の時代まで唯一生き残ることができると私は考えております。すでにマイクロフィルム化している画像をアップして、ウェブ上の人々が競ってテキスト化する仕組みを作り上げれば、そのコミュニティーそのものが大きな資産になるはずです。
これからの時代は純粋な読者というのはなくなり、例えばテキスト化を手伝ってくれる共同作業者であり、その文章やデータを活用して別の情報を生み出す真の意味での編集者、間違いをチェックしてくれる校閲者、この三つのいずれか、あるいはすべてを兼ね備えた読者しかいなくなります。いち早くウェブ上で無料で過去記事すべてを全文検索できるようにすれば、このすべての次代の読者を独占できるのです。
おふたりのご意見と読み比べるのもまた一興かと思います。藤本氏は昔の家族は犯罪防止効果があったので家族の絆を取り戻すことが大切と仰っております。佐木氏はおじおばを殺すのも尊属殺規定に含まれていたと仰っておりまして、これはずいぶん驚きました。尊属殺人とは直系尊属だけが対象なので、おじおばは違います。興味のある方は図書館ででも読んでみてください。
戦前は少年の親殺しが多発していました。ぶらぶらしている今でいうニートが、働けと叱られて親を殺したりする事件は珍しくなく、とくに一家皆殺しが多いのが特徴でした。昭和9(1934)年には奈良県で19歳が何人殺せるか試すため斧で家族5人を襲い、終戦間際には長野県の16歳が盗みを叱られて家族5人をカナヅチと斧で惨殺しています。教育勅語で、親を大切に、兄弟仲良くと教えていたのは、戦前は家族の争いが絶えなかったためなのでしょう。仲がいいなら、こんなことをありがたいお言葉で毎日聞かせるはずがありません。
戦後も親殺しや一家皆殺しが続発しますが、昭和30年代の検察統計を見ると、尊属殺と尊属傷害致死で計年間150人前後、映画「三丁目の夕日」の舞台となった昭和33(1958)年は164人が送検で、少年など送検されない事件も合わせるともっとありました。尊属殺は祖父母や舅姑も対象ですが、95%前後が自分の親殺しです。
近年の親への殺人と傷害致死は150件前後、2006年は169件ですから、人口が今の7割強だった昭和30年代、親殺しはずいぶん多かったわけです。なお、尊属殺は死刑か無期で、親の虐待などの事情がある場合は傷害致死にして刑を軽くすることもあったので、ここでは傷害致死を足しています。
「三丁目の夕日」時代より家族内の殺人が増加と言っているのなら基本的データを何も調べず妄想を語っているので、その手の新聞やテレビ番組はまともに相手にしないほうが無難です。拙著『戦前の少年犯罪』や少年犯罪データベースを見ていただければ昔は異様な家族殺しが多かったことがわかります。しかし昔は家族以外の殺人も多く、隣人一家皆殺しや、主婦が近所の幼児を殺害なんて事件がよくあり、今では濃密なつきあいをしなくなったこともあってこんなご近所殺人は減りました。人は知り合うほどに憎しみを抱く機会も増えるわけで、挨拶は殺人の始まりとすらいえます。80年代に半分まで減った親殺しがまた増加傾向なら、近所づきあいが希薄な現代でも、家族関係だけは古き良き日本の姿に戻りつつあるということなのです。
戦前は雇い主宅に住み込みで働く若者が多く、叱られたり、同僚ばかり可愛がることへの嫉妬など家族殺しに近い動機で、主人一家皆殺し事件がよくありましたが、今では激減。伝統が廃れて住み込みもなくなり、職場は仕事に通うだけでそそくさと帰るというのでは相手に殺したいほどの特別の感情も湧きません。
家族も一緒に住まず事務的な会話だけの関係にすれば、殺人はほぼなくなるかもしれません。伝統的家族回帰を願う人は、家族とは本来、殺し合う可能性が高いものだと正しく認識すべきで、過去をきちんと調べて学び、親兄弟殺しは昔のほうが多発したことを知るべきです。無知な者が過剰に騒ぐことで追い詰められる人もいて、起きなくてもいい事件が起きるようなこともあるわけですから。
幼女レイプ殺人を犯す者たち呪いではない、それは祟りだよ。貴様が妖と呼び身勝手に殺したものたちのな。 (冬枯れの街)
若者論を疑うことは人生の目標となりえるか?[本屋から図書館から遠く離れて]管賀さんのエントリの一節から我田引水的に考えたこと・・・活字媒体はこれからどうなるのか? (躁うつ病高齢ニートの映画・TV・床屋政談日誌)

 

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