指摘とは?/ アイフル
[ 273] Life is beautiful: 大人になると誰も間違いを指摘してくれなくなる
[引用サイト] http://satoshi.blogs.com/life/2005/12/post_2.html
リーダーシップについて恋はブックマークジョブスに学ぶプレゼンスキルGoogle OS を妄想するアップルにして欲しい次の革命ソウルのあるもの作りプロトタイプの効用 息子たちの学校の繋がりで知り合いになった人たちと、持ち回りでホスト役を担当し、不定期にホームパーティをするのだが、今回少し興味深い現象を観察したので、今日はそれについてのエントリー。 話は、たまたま仕事関係でシアトルに来ていた「自称ワイン通」のゲストを交えた、前々回のパーティに遡る。フランスに何年か住んだことがあり、ワインのうんちくを始めたら止まらない人らしい。ワインの勉強を始めたばかりの私の妻が、ちょうど良い機会と色々と質問をしていたのだが、その中に一つこんなものがあった。 この会話がどうも腑に落ちなかった私としては、そのパーティの後、近所のワイン専門店に行って真偽のほどを確かめずにはいられなかった。すると、やはりメルローはブドウの種類で、実際にフランス産のメルローワインも何本も置いてある。店の人によると、フランスではメルローは他のブドウから作ったワインとブレンドされることが多いらしいが、「メルローはブドウの種類」という私達の理解は正しいらしい(参照)。 その次の回のホームパーティの時、たまたま我が家がホストだったので、そのワイン専門店で買った「フランス産のメルロー」を含めた何本かのワインを出して皆で飲み比べをした。すると、「やはりメルローは苦味が少ない」、「僕はカベルネ・ソービニヨンの方が好きだな」などと、皆当然のように「メルローはブドウの種類」を前提として会話をしているではないか。と言う事は、その前のパーティにおける「自称ワイン通」氏の発言が誤りだと言う事は皆が気が付いていたのに、誰も指摘しなかったのである。 この件でつくづく思い知ったのは、「大人になると誰も間違いを指摘してくれなくなる」という悲しい事実である。その「自称ワイン通」氏も、たまたまメルローの定義について誤った知識を仕入れてしまったままワインに詳しくなってしまったために、いまさら誰も間違いを指摘してくれなくなってしまったのである。 実は、私自身も同じような経験をしたことがある。フォント関連のテクノロジーに関しての知識を仕入れたばかりの時に学会で話す機会があったのだが、あいにく私に教えてくれた人がフランス人だったために、「ヒンティング」という言葉を「インティング」として覚えてしまい(フランス人は「h」が発音できない)、そのまま何度も使ってしまったのだ。舞台の上で専門家ぶって話す私の間違いを誰も指摘はしてくれず、しばらく後で自分の間違いに気が付いた時には、かなりショックであった。 その時にも思ったのだが、「間違いを指摘してもらえる大人」にならなければいけないとつくづく思う。このブログでも、しょっちゅう誤字・脱字を繰り返している私だが、それを指摘してくれる人には本当に感謝しなければいけない。遠慮がちに、「あげ足を取るようで申し訳ありませんが…」と指摘してくれる人がいるのだが、大歓迎なので、これからもどんどん、遠慮せずに私の誤りを指摘していただきたい。 「大人になると誰も間違いを指摘してくれなくなる」という面白いエントリーがあったので、紹介します。重要な部分はおそらくこの部分。 その時にも思ったのだが、「間違いを指摘してもらえる大人」にならなければいけないとつくづく思う。このブログでも、しょっちゅう誤字・脱字を繰り返している私だが、それを指摘してくれる人には本当に感謝しなければいけない。 間違いを指摘され、指摘することにおいての自分のルールを書いておきます。 間違いを指摘されるために ある程度考えて「もうこれ以上自分の頭で考えても広がりがないな」と思った段階でネタはブログで公開してみる。 コメント、トラックバック、ブックマークコメント等をみて反応を見てみる 広がりがあるな... [続きを読む] Life is beautiful で『大人になると誰も間違いを指摘してくれなくなる』というエントリーを読んだ.一般人との対話における外国語の間違いにも結構当てはまる気がする. この話を読んだときに思い出したエピソードがある.四谷の日米会話学院に通っていたとき,もう日本に十数年以上滞在しているアメリカ人の先生らと飲みに行った.具体的には覚えていないけど,自分が言ったある事柄に対してその先生が「勉強しました.」と日本語でお礼を言った.そこで「その場合は『勉強になりました』と言うべきですよ.」と間違いを... [続きを読む] 「間違いを指摘してもらえる大人」にならなければいけないとつくづく思う。このブログでも、しょっちゅう誤字・脱字を繰り返している私だが、それを指摘してくれる人には本当に感謝しなければいけない。 私自身、最近は自分の間違いを指摘されることや、 他人の間違いを指摘することが少ないと思う。 satoshiさんの言う『大人になると誰も間違いを指摘してくれなくなる』ということも実感する。 そこには、 他人に対する遠慮があったり、半ば”あきらめ”ていたり、”妙な波風を立てたくない”と思ったり、、、 と「大人... [続きを読む] 漢字の読み方や、カタカナ語などの意味など、情報量は年々と増加傾向にあると思います。 その中で、情報の間違いというものは誰にでもあるもので、それが全く無い聖人などは存在しないのではないかと思います。 そんな中、確かに大人になると、人は人の間違いを正すことが少なくなるような気がします。 例えば取引先の重役の間違いを正す、ちょっとした酒宴で同席した人の間違いを正す、ちょっと顔見知り程度の友達の言葉を訂正する・・・どれもなかなか難しい事です。 もちろん、全てを正すことが正解であるとは思えませんが、その人の為... [続きを読む] 確かにオトナになるにつれ、つっこまれ率はかなり減ってるのは事実。んじゃ逆に、オトナになるにつれ、つっこんでるか?そう考えると、お互いに遠慮してしまっているのかな? 指摘というか、ツッコミをしてもらえる、そしてツッコミをする、というのはその人の人間性(キャラ)やキャリアとは関係ないと思う。確かにちょっとコワイ人とかちょー尊敬してる人とかにはツッコミづらいときもあるけど^^; 大学の講義で教授が冒頭から「一見は百聞に如かずと言います」(わざと言ってるわけではないのは文脈から確実)とやりだして、90分の間に何度も繰り返すのですが、満座の学生は結局誰も指摘できずに終わった……、という経験が実際にあります。何の講義で何という教授だったかはもう忘れましたが、もしかしたらあの先生は毎年毎年同じ事を繰り返しているのかも知れません。そう考えると確かに怖いことかも。 程度の差はあれどこにでもあることなんだと思いますが、間違いを指摘してもらえることは確かに大事だと思います。間違いを指摘できる環境がないと同じ間違いを何度も繰り返すことになると。大事故の時にミスした本人でも正直に申告すれば免責するなどの制度も広い意味でそういうことなのだとか。そういう本を読んだような憶えがあります。 「次の回」ですよね、確かに。修正しました。かな漢はウィンドウズ標準のIMEです。確かにかな漢の精度は悪いのですが、それを見逃すことが多い私です。「しょっちゅう誤字・脱字を繰り返している」と書いている記事で誤字をしているんじゃ仕方ありませんね。ご指摘ありがとうございます! 小さな事ですが、土塊(つちくれ)を(どこん)と読んでた教授がいましたが、今もたくさんの学生の前で間違い続けているのかも・・・。 話は変わりますが。自動車では、新機種の試作から量産までの期間が、通常3年掛けているが、トヨタは、それを1年に短縮して、苦境にあえぐビッグスリーをさらに引き離す予定であると。 本当にトヨタはすごい会社です。これからは、いかに米国政府を怒らせないように「GMを生かさず殺さず」に共存して行くかが鍵になりますね。 すると相手は「あれ、それで本当に良かったんだっけ?」と少し不安になるらしく、言葉などの場合は辞書で調べたりして、自分で気がついてくれる事も多いですよ。 |
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