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成仁とは?/ アイフル

[ 324] 五十嵐仁の転成仁語:So-net blog
[引用サイト]  http://igajin.blog.so-net.ne.jp/

これまでご愛顧いただきました「五十嵐仁の転成仁語」を、こちらに引っ越しました。今後とも、ご愛顧のほどを。
昨日の『朝日新聞』に興味深い記事が出ています。「変転経済 証言でたどる同時代史 48」です。 ここには、社会政策学会での私の報告に関連する重要な証言が、いくつか明らかにされています。若干、コメントしておくことにしましょう。 第1に、小泉構造改革の始まりは、2000年からの「裏官邸」だったということです。これは、「政策を提言する経済人と学者のタスクフォース」のことで、「牛尾が竹中に声をかけ、前年9月から毎週末、官邸近くのホテルに集ま」り、「政府側からは官房長官の中川秀直を中心に、月1回は森も出席した」といいます。 ここには「二つの流れが合流」していました。一つは、「『失われた10年』の間、経済政策が場当たり的だったことに失望していた経済学者ら」で、「もう一つが米国型経営を志向する経営者ら」です。 新聞にはこう書かれていますが、前者は、一貫した新自由主義的経済政策の実現を目指す新古典派経済学者たちであり、後者は、日本型ステークホルダー論に対して株主主権論を主張した宮内さんの仲間たちです。これらの人々が構造改革をになうことになったのは、小泉さんが首相となって「裏官邸」から「裏」が取れたからでしょう。 第2に、小泉構造改革は「土光臨調」に始まる流れを受け継いでいるということです。これについて牛尾さんは、「土光臨調に参加し、3大民営化として国鉄、電電公社、郵政を考えたが、郵政だけできなかった」と述べています。 つまり、新自由主義政策は第2臨調に始まり、その嚆矢は国鉄改革でした。そして、やり残した郵政改革を実現するために、小泉さんに協力したというわけです。 先日の学会報告や拙著『労働政策』で、私は新自由主義政策の3段階を主張しました。その始まりは中曽根内閣の「臨調・行革路線」で、その省庁は国鉄改革だったとしましたが、牛尾さんの証言は基本的にこれを裏付けるものです。 第3に、小泉構造改革は「未完」だということです。この特集の最初の「吹き出し」には、「官主導経済を壊そうとする、初の本格的な『非官僚政権』の試みは、しかし未完に終わる」と書かれています。 これを裏付けるように、牛尾治朗氏は「小泉後の政権は、グライダーのように勢いで飛んできたが、第2のエンジンが出ていない」と言い、竹中平蔵氏も「だが、小泉後の政権では改革が動かなくなった」と述べています。 これについても、私は「06年転換説」を唱え、学会報告のペーパーで「小泉首相にとって改革とは郵政民営化のことであり、それが実現したために改革への情熱が冷めてしまったものと思われる」と書きました。この記事では、「小泉改革は、皮肉にも、郵政選挙の大勝を機に勢いを失った。小泉の熱が冷め、それが周囲にも分かったからだ」と書かれています。 このように、小泉内閣は郵政民営化を「政治信条」とする「変人宰相の個性に頼った異端の政権」だったというのが、この記事の結論です。そこに「限界」があったのだと……。 小泉首相は去り、財界の中でも「米国型経営を志向する経営者ら」の発言力は失われたようです。しかし、八代さんなど新古典派経済学者たちは、今も経済財政諮問会議や規制改革会議などで「活躍」されています。 これらの人々はどうなるのでしょうか。退場するのも、もうすぐだということなのでしょうか。
連日、四川大地震についての報道がなされています。あまりの大災害と犠牲の多さに、コメントするのがはばかられるほどです。 せき止めダムなどによる二次災害の発生を防ぎ、一日も早い復旧を願っています。日本を含めた国際社会は、可能な限りの援助と協力を行うべきでしょう。 今日の『毎日新聞』の「余録」に、「今は観光名所となった杜甫の草堂も四川大地震で破損した」と書いてあります。これを読んで、「やはり、そうだったのか」と思いました。 1989年8月27日、私はこの「杜甫草堂」を訪ねています。その前には、同じ成都にある「武候伺」にも行きました。 「武候」というのは諸葛亮孔明のことで、死後の号である「忠武候」にちなんで付けられたものです。ここには、孔明の主人であった劉備玄徳はじめ関羽や張飛などの像とともに、高さ12メートルほどの玄徳の墓がありました。これらの像や墓はどうなったのでしょうか。 杜甫草堂を訪問した翌日には、都江堰や青城山に行くバスツアーに参加しました。都江堰や青城山の映像はテレビでも放映されていましたが、地震の被害で変わり果てた姿を見るのは辛いものです。 この時の中国の旅については、「中国の旅の空から」という表題で連載しました。成都訪問について書いているのは、『労働法律旬報』No.1233です。 都江堰と青城山について、私は次のように書いています。 バスは途中、紀元前300年前後に作られた「都江堰」という古代の水利施設に寄りました。この堰堤は、山を切り開いて取水口を作り、長江にいたる本流とは別に成都平原に注ぐ灌漑用水路をひき、この用水路に土砂が流れ込むのを防いで水量を調節する工夫がなされているそうです。眼前に広がる川の流れを見ながら、2200年前の古代中国の土木技術の水準の高さに驚きました。 ……青城山は標高1620メートルの道教ゆかりの山で、38の寺院があります。山頂までずっと石段が続いており、2時間ほどかけて登りましたが、思っていたほど景色はよくありませんでした。 その都江堰と青城山も、今は崩れ落ちて瓦礫の山となっているようです。多くの人命が犠牲となっただけでなく、このような貴重な文化遺産も一瞬のうちに失われてしまいました。 瓦礫の下敷きとなった人々を救うべく、日本からも救助隊が派遣されました。しかし、生存者を救出することはできず、今は医療関係者だけが活動を続けています。 復興支援のための物資を輸送するために、自衛隊機を派遣するという案も浮上しました。しかし、軍用機の派遣は断念され、民間機で輸送することになったそうです。当然でしょう。 日本から派遣されている人々は、数十人の規模にすぎません。その10倍、100倍の人々を派遣するような体制を、どうして取らないのでしょうか。 これについて、私は拙著『活憲−「特上の国」づくりをめざして』(山吹書店・績文堂)で、「国際的な災害救助隊と警察の画期的な拡充」を提案したことがあります。「自然災害に対しては、軍隊よりも専門的な能力を持った災害救助隊のほうが役に立つことは明らか」だからです。 そのために自衛隊を縮小し、その人員をまわすことを提案しました。具体的には、次のような内容です。 自衛隊を縮小して救助隊を創設すれば、全国にある緊急消防救助隊の何倍もの人員を擁する常設部隊ができあがることになります。これらの人々を中心に、消防、医療、防疫・衛生、土木・建設、運輸、警察・警備などの専門的な教育と訓練を施し、必要に応じて日本全国はもとより、世界各地に緊急派遣する体制をとります。どのような状況のもとで、どこに派遣されるかわかりませんから、これらの部隊は自己完結的なものでなければなりません。この点では、自衛隊時代の訓練と経験が役立つことでしょう。 これらの部隊の運用にあたっては、国内の各自治体や消防署、警察などとの事前の連絡・調整が不可欠です。必要であれば統合訓練も行うべきでしょう。国際的には、災害が多発する途上国などと事前に災害救援国際協定を結んでおく必要があります。このような協定があれば要請なしに出動でき、緊急時における迅速な対応が可能になります。地震、津波、暴風、大雨、洪水、土砂災害、火山の噴火などの自然災害は、突発的で迅速な救助活動が求められます。常設部隊があって常に出動可能な状態で待機する体制がとれれば、これまで以上に効果的な災害救助が可能になり、多くの人命が救われることでしょう。(前掲拙著、195〜196頁) 未曾有の大災害となった中国の四川大地震やミャンマーのサイクロン被害に対して、このような部隊や体制があり緊急に出動していれば、と切に思います。そうなっていれば、どれだけ多くの人命を救うことができたでしょうか。 中国への救援物資の輸送にしても、軍事組織だから問題になるのです。救助のための専門部隊であれば、問題にはならないでしょう。 残念ながら、現在の日本政府は、このような形での国際貢献について、どのような意思も構想も持っていません。早急に、「今、そこにある危機」への対応策を具体化するべきではないでしょうか。
「やっとのことで繁忙期を抜け出した」と書いたのは、5月26日のブログでした。「やれやれ、これからは少しゆっくりできるかな」と、その時は、そう思ったものです。 しかし、それは幻想でした。たてつづけに、新しい仕事の依頼が舞い込んできたからです。 このままですと、繁忙期から抜け出した「脱繁忙期」は、昨日までの3日間だったということになりそうです。いや、『日本労働年鑑』の実際の責了は昨日でしたから、本当は、「脱繁忙期」などは無かったということなのかもしれません。 新しい仕事の中心は、拙著『現代日本政治−「知力革命」の時代』の改訂作業です。この本は、2004年5月に「21世紀の若者たちへ−新しい社会のありようを考える」というシリーズの一冊として、八朔社から刊行されました。 それから4年。「現代日本政治」の様相は、大きく変化しました。 この変化を踏まえて、改訂してもらえないかという要請がありました。大学の教養課程などで教科書として使ってくださっている先生がおられるようで、改訂すれば今後も需要が見込めるというわけです。 研究所では、『大原社会問題研究所雑誌』という月刊誌を刊行しています。社会・労働問題についての学術的専門誌です。 この雑誌の割付をお願いしてきた方がこの春に交代し、4月から新しい方にお願いすることになりました。その方が、何と、私のこの本『現代日本政治』を出していただいた八朔社の社長さんだったのです。 拙著『現代日本政治』の編集を担当されたのは田島さんという方だったため、新たに割付をお願いすることになったのが、その会社の社長さんだということに気がつきませんでした。後から知らされて、驚いた次第です。 このような事情もありますから、改訂の要請を断るわけにはいきません。というより、拙著が改訂を必要とされるような形で需要があるというのは、私にとっては、大変、嬉しいことでもあります。 内容を刷新し、さらに読み継がれて多くの読者を獲得することができれば、これほど嬉しいことはありません。ということで、進んで、この改訂作業に取り組むことにしたわけです。 それに、この作業は、夏休みに予定しているもう一つの作業の準備にもなります。というのは、法律文化社から刊行される現代政治についての入門書を執筆することになっているからです。 このほか、6月から7月にかけて、論文を1本、研究会やシンポジウムでの報告が2本、講演会での講演が3本などの予定があります。そのうえ、急遽、もう一冊、本を書くことになりそうな雲行きです。やはり、依然として「繁忙期」は続いているということになりましょうか。 ということで、相変わらず、このブログの更新は飛び飛びにならざるを得ません。更新回数や内容ともに、ご期待に添うものにはならないと思いますが、以上のような事情ですので、ご了承いただければ幸いです。
この間、ずっと取り組んできた業務が次々と片付きました。やっとのことで繁忙期を抜け出したというわけです。 それにしても、先週は忙しい1週間でした。滅多に行かない都心に、木曜日から日曜日まで、4日連続で出かけたのですから……。 すでに、22日(木曜日)のブログにも書きましたように、2月から取り組んできた『日本労働年鑑』の再校が終わり、基本的に責了となりました。「基本的に」というのは、まだ、出版社から疑問箇所の問い合わせがあるかもしれないからです。 印刷に入るまでは、息を抜けません。完全な責了となるのは、恐らく今週の水曜日でしょう。 また、これも22日のブログに書きましたが、この日、都心に行ったのは、研究所のプロジェクトである「戦後社会運動史研究会」に出席するためでした。この研究会は、2ヵ月に1回のペースで開かれています。 その翌日、23日(金)にも、午後から都心に出かけました。研究所の事業活動と方針についてのプレゼンテーションを行うためです。 これもあって、この間、研究所の07年度事業報告(案)を書いてきました。それを元にパワーポイントの原稿を作るなど、準備を進めてきたわけです。 研究所の新米所長としては、理事会との初の「対話」ということになります。総長や理事会が変わって「政権交代」が実現したため、「対決」にならずに済んでホッとしております。 そして、土曜日(24日)は、いよいよ社会政策学会での報告の日です。共通論題「雇用・労働政策の変容」の3番目の報告者として、私は「新自由主義下における労働の規制緩和−その展開と反転の構図」について報告しました。 「報告時間は33分。時間が来たら、途中でもやめるように」というのが、遠藤公嗣座長のきついお達しです。共通論題の準備会で、「報告時間が長い」と大沢真理座長から注意されたことのある私としては、時間内に終わるようにと、ひたすら、そればかりを考えて報告しました。 早口でまくし立てましたので、分かりにくい部分があったかもしれません。それでも、多くの方から「面白かった」という感想をいただき、この報告を元にした原稿執筆の依頼も受けるなど、それなりに評価していただいたようです。 昨日(25日)は、社会政策学会の2日目です。サボるつもりだったのですが、午後には労働組合部会のテーマ別分科会「『グローバル化』時代における労働組合の国際活動」が予定されていましたので、午後から出かけました。 サービス産業の国際産業別組織であるUNI(ユニオン・ネットワーク・インターナショナル)と公務公共部門の国際産業別組織であるPSI(国際公務労連)について、UNIアジア太平洋地域組織郵便ロジスティクス部会の伊藤栄一部長と自治労の井ノ口登中央執行委員の報告がありました。普段、このような組織の活動について直接当事者から話を伺う機会がありませんので、私としては大いに関心を持って参加したというわけです。 報告は大変興味深いものでしたが、時間が無くて十分な質疑ができなかったのは残念です。すぐに答えられるような簡単な質問をしましたが、もっと大きな問題、例えば、国際自由労連(IDFTU)に代わって国際労働組合総連合(ITUC)が結成されたが、それをどう評価しているのか。それによって国際産業別組織の活動に変化が生じているのか。あるいは、国際産業別組織は現在、GUF(グローバル・ユニオン・フェデレーション)と呼ばれているが、以前は国際産業別書記局(ITS)だった。このような名称の変更は内実の変化を伴っているのか、それはいかなる変化なのか、などという問題です。 グローバル化の進展に対応して、この間、国際労働運動も大きな変容を遂げています。そのような変化がそれぞれの国際産業別組織の活動のあり方にどう影響しているのか、それは日本の労働運動にとっていかなる意味を持っているのかなどについても議論したかったのですが、残念ながら、そのような時間はありませんでした。 ということで、4日連続で都心に出かけ、土曜日は日付が変わる頃に帰宅しましたので、かなり疲れました。とはいえ、年初から取り組んできた課題に一応の区切りがつき、今のところ、ホッとしております。
──────────────────────────────────────── 拙著『労働政策』、ついに刊行。349頁、本体2000円+税で。 ご注文は、日本経済評論社http://www.nikkeihyo.co.jp/contents/list/index.htmlまで。──────────────────────────────────────── 研究所のプロジェクト「戦後社会運動史研究会」に出るため、市ヶ谷キャンパスに行ってきました。報告されたのは南雲和夫法政大学社会学部講師で、テーマは「戦後沖縄社会運動の軌跡」です。 そういえば、昨日の『日本経済新聞』に掲載された谷川健一さんの「私の履歴書」にも、沖縄の話が出ていました。薩摩藩支配下の266年間、沖縄の人々を苦しめ1903(明治36)年に廃止された「人頭税」についての話です。 驚いたのは、この「人頭税」廃止に力を尽くしたのが、私のふる里である新潟県中頸城の人だったということです。谷川さんは、次のように書いています。 ……そのうちに宮古島で人頭税廃止運動を組織し指導した中村十作という白面の青年の存在が浮かび上がってきた。中村十作は新潟県中頸城郡板倉町稲増(現上越市)の出身で、明治25年11月に、真珠養殖の事業を開始するために宮古島にやってきた。30歳にとどかない青年であったが、宮古農民の苦悩をつぶさに見て、人頭税廃止運動の先頭に立った。彼は官憲の妨害を廃し、宮古農民代表をひきつれて上京し、帝国議会に請願をくりかえし、ついに人頭税廃止をかち得た。 嬉しいじゃありませんか。我が郷土の先人が、遠く離れた南の島で人々の苦悩を見て放っておけず、一肌脱いだというわけですから……。 谷川さんは、板倉町に住む中村十作の甥を訪ねて史料を見せてもらい、それを元に「北の旅人」という論攷を『中央公論』70年7月号に発表されたといいます。そのうち時間ができたら、是非、読んでみたいものです。 さて、昨日の続きです。昨日は、06年以降の「反転攻勢」にもかかわらず、規制緩和や民営化の「残り火」が燃えていることを指摘しました。 実は、同じような「残り火」は、厚労省の領域とは別のところでも燃えています。それは、経済産業省の領域です。 経済産業省と関わりの深い機関に経済産業研究所(RIETI)があります。08年4月4日、この研究所によってRIETI政策シンポジウムが開かれました。 そのテーマは「労働市場制度改革―日本の働き方をいかに変えるか」で、場所は経団連会館の国際会議場です。主催者もテーマも場所も、その目的にふさわしいものだと言うべきでしょうか。 規制緩和や民営化という目的にふさわしかったのは、それだけではありません。報告者もまた、その趣旨に沿ったものでした。 というのは、「労働市場改革の課題」という招待講演を行ったのが、八代尚宏国際基督教大学教授だったからです。経済財政諮問会議の民間議員として「労働ビッグバン」を打ち出したご当人が、「労働市場改革の課題」を明らかにしたというわけです。 ここで「八代尚宏教授(国際基督教大学)は、労働市場における経済学無用論、労働市場悪化の構造改革犯人説、さらには、労使対立による労働分配率の低下といった俗説に反論」したそうです。 このほかにも、皆さんご存知の方が報告されています。その一人は、「労働市場改革と労働法制」という講演を行った小嶌典明大阪大学教授です。 小島さんは「過去10年の規制改革の現場を振り返り、特に、請負・派遣の指揮命令や有期社員の正社員化などを例に取りながら、企業ができないことまで一律に押し付けられているのではないかという問題提起を行い、一律適用ではなく緩衝材・潤滑油としての適用除外を認めるべきと強調した」そうです。 「請負・派遣の指揮命令や有期社員の正社員化など」は、「企業ができないこと」なのだから、「一律に押し付け」るべきではないというのが、小島さんの主張です。これらの人々は、「緩衝材・潤滑油」だから「適用除外」にするべきだというわけです。 さらに、「解雇規制や長時間労働など正社員にまつわる問題を経済学的な視点から議論する第2部」では、八代さんの盟友である大竹文雄大阪大学教授も報告されています。 ただし、大竹さんは「長時間労働を促す要因について仕事の中毒の影響を強調した上で、アンケート調査を利用した実証分析を報告」したそうです。「特に、男性については、過去長時間労働を行った人は継続しやすい、また、後回し行動をしやすい人ほど(勤務時間はさぼって残業するため)、長時間労働になりやすいことを示し、定時に仕事を終わらせる強制的なメカニズムが必要と指摘した」といいます。 長時間労働を防ぐために、「定時に仕事を終わらせる強制的なメカニズム」を主張されたというのであれば、問題とするにはあたりません。解雇規制の緩和については言及されなかったのでしょうか。 いずれにしましても、このRIETI政策シンポジウムは、規制緩和によって「労働市場改革」を目指す動きが依然として続いているということを示しています。「労働ビッグバン」を目指した人々は、未だにその望みを捨てていないということでしょうか。ただし、「労働ビッグバン」という言い方そのものは捨ててしまったようですが……。 とはいえ、このシンポジウムを主催した経済産業研究所は旧通産研究所の後継組織で、シンポジウムが経団連会館で開催されていたように、経済界や産業界の要求が前面に出てくるのは当然だと言えます。 拙著『労働政策』でも書きましたが、戦後日本の労働政策は、労働者保護を掲げながらも、基本的には産業政策の従属変数でした。したがって、労働の規制緩和に向けての動きもまた、このような旧来の枠組みに立ち戻ったということになりましょうか。 ということで、06年以降の転換について検証した連載は、一応、今回をもって終了させていただきます。今後も関連する問題を取り上げることがあると思いますが、それは「単発」の論評ということにさせていただきます。 長い間のご愛読、ありがとうございました。
──────────────────────────────────────── 拙著『労働政策』、ついに刊行。349頁、本体2000円+税で。 ご注文は、日本経済評論社http://www.nikkeihyo.co.jp/contents/list/index.htmlまで。──────────────────────────────────────── 『日本労働年鑑』の執筆・編集はヤマを越えましたが、相変わらず、多忙な日々が続いています。今週末までは、余裕がありません。 今週の土曜日、5月24日に、社会政策学会の共通論題「雇用・労働政策の変容」で報告することになっています。テーマは「新自由主義下における労働の規制緩和」ですが、「その展開と反転の構図」という副題を付けました。 新たに副題を付けたのは、最近の変化に焦点をあてようと考えたからです。このブログでも連載しているように、06年以降、明らかに「潮目の変化」が生じました。 新自由主義政策に対する「反転攻勢」がさまざまな領域で始まっています。私の報告は、労働の規制緩和の分野における「反転攻勢」の「構図」を描くことに焦点を絞りたいと考えています。 15日(木)には、その報告ぺーパーに手を入れました。16日(金)に、若干の手直しをしたうえで印刷し、開催校である國學院大學の事務局に発送しました。 とはいっても、印刷と発送は簡単ではありません。共通論題の報告ペーパーは500部作成しなければならないからです。裏表8枚、16頁になりましたから、全部で4000枚も印刷し、ホチキスで閉じなければなりません。 研究所のスタッフにも手伝ってもらって、半日もかかってしまいました。その内容がどのようなものか、興味と関心のある方は、24日(土)11時頃に渋谷の國學院大學にお出で下さい。私の報告はその頃になると思います。 昨日は、またも都心での用事です。午後は、総評会館で行われた一橋大学フェアレイバー研究教育センター主催の「労働ビッグバン」研究会に顔を出しました。 報告者は伊藤みどりさんで、テーマは「女性労働者の現状と運動−女性ユニオンから働く女性の全国ユニオンの全国センターに関わって」というものです。報告者やテーマにも興味がありましたが、同時に、拙著『労働政策』のPRという目的もありました。 会場に入ったら、驚きました。受け付けに、大分大学での学会で温泉巡りと分科会報告をご一緒した、田端博邦先生がおられるではありませんか。早速、先生にごあいさつして、拙著をさし上げました。 研究会が終わったあと、すぐに法政大学市ヶ谷キャンパスに向かいました。夕方から、教員有志による「増田新総長を励ます会」が開かれたからです。 御茶ノ水駅から中央線に乗って飯田橋駅で降りたら、バッタリ、村串仁三郎先生にお会いしました。立食パーティーが行われたボアソナード・タワーのスカイホールには、旧知の先生も多く参加しておられます。 何人かの先生があいさつされましたが、私も促されて壇上に上り、一言、お祝いの言葉を述べさせていただきました。「増田新総長は水戸黄門のようなものだ。黄門様を支える角さん、助さんも揃っているので、体勢は盤石。何かあったときには、私も『風車の弥七』のように多摩から駆けつけたいが、1時間以上もかかる。『番組』が終わってしまうので、その役割は市ヶ谷の皆さんにお願いしたい」と話しましたが、今ひとつ受けなかったようです。 新しく総長になられた増田寿男先生と総長の指名で常務理事になられた浜村彰先生は、ともに、大原社会問題研究所の運営委員をやられたことがあります。また、増田先生とは研究会などで顔を合わせることもあり、労働法の浜村先生とは専門が近いという関係もあります。 これらの先生方が新たに総長となられ常務理事に就任されたというのは、私としても大きな喜びです。所長として旧理事会と対峙するなどということにならずに、ホッとしております。 研究所の担当理事となられた社会学部の徳安彰先生とも知り合いで、会場でもお会いして話しましたが、旧理事会の「問答無用」のような対応とは大きく異なるでしょう。いずれにしましても、法政大学の将来にとって明るい希望をもたらす大きな変化が生じました。 レセプションの最後に、増田新総長が壇上に立ってあいさつされました。その姿を見ていて、法政大学において本当に「政権交代」が実現したのだということを実感しました。 法政大学で可能だったことは、日本でも可能でしょう。このような形で、日本の政治においても真の政権交代が実現して欲しいものだとの思いを強くしたものです。
──────────────────────────────────────── 拙著『労働政策』、ついに刊行。349頁、本体2000円+税で。 ご注文は、日本経済評論社http://www.nikkeihyo.co.jp/contents/list/index.htmlまで。──────────────────────────────────────── 先ほど、都心から戻ってきました。田町駅前にある「女性と仕事の未来館」で開かれたJILPT(労働政策研究・研修機構)の労働政策フォーラム「グローバル化と労働組合の『いま』−主要国の経験と対応」に出席したからです。 ご存知のように、7月には北海道の洞爺湖で先進国首脳会議(G8サミット)が開かれます。それに向けて各レベルの閣僚会合が開かれていますが、その一環として労相会合が新潟で開催されました。 これに向けて、労組の主張と要求を反映させるための労働組合指導者会議(レイバー・サミット、G8労働サミット)が開かれます。同時に、G8サミットの議長と会見して要求を申し入れるわけですが、今日の夕方、福田首相と会見する予定になっているとのことでした。 このようなレイバー・サミットは77年から始まり、毎年、サミットに合わせて繰り返されてきました。日本では5回目になりますが、ここに参加した国際労働組合運動のお歴々を集めて、JILPTがフォーラムを開催したというわけです。 フォーラムは午前10時からですので、8時過ぎに家を出て満員電車に揺られていきました。京王線でいきましたが、府中の辺りから込んできてギューギュー詰めです。 毎日、このような生活を繰り返している都心に通うサラリーマンの方の苦労が忍ばれます。幸い、私は職場の近くに住んでおり、毎日通う必要もありません。 会場近くの地下鉄三田駅に降りたときは10時10分前です。時間ちょうどに会場に入ったら、250人のホールはほぼ満員でした。何とか席を見つけて座った途端に、JILPTの稲上毅理事長のあいさつが始まりました。 稲上先生には、この3月に研究所の総会で記念講演をお願いし、久しぶりにお会いしたばかりです。稲上先生のあいさつは「グローバル化の負の側面が目立ってきており、雇用に深刻な影響が生じている」ことを述べ、このフォーラムの意義と重要性を指摘するものでした。 続いて、ITUC(国際労働組合総連合)のガイ・ライダー書記長による「課題提起」がなされました。テーマは、「グローバル化が世界の労働者に及ぼす影響」というものです。 ライダー書記長は、「グローバル化の加速によって労働の世界にも変化が生じ、勝者と敗者が生まれている。権力や影響力のバランス、所得は労働者から資本家に移り、労働の不安定性が増大し、経済的持続可能性の危機が生じている」と指摘しました。このような状況に対応するために、「労働組合は、決意を持って素早く行動し、変化していかなければならない。非正規労働者を組織化すること、国内で活動するだけでなく国際戦略を持ち、それを日常化し、国内外の活動を融合することが必要だ」と、労働組合活動の国際化を強調しました。 ところで、ITUCとは何でしょうか。これは、06年11月に、ICFTU(国際自由労連)とWCL(国際労連)が解散し、その他のナショナルセンターも加えて結成された国際的な労働組合中央組織です。 日本では連合が加盟組織になっていますが、全労連も加盟を目指しているようです。しかし、日本国内での知名度は極めて低く、『日本労働年鑑』の執筆・編集の際に参照した08年版の『世界年鑑』にも『読売年鑑』にも出ていませんでした。 このITUCは、国際労働運動はもとより国際政治においても大きな力を持っており、今後、ますます重要性を高めることでしょう。この組織については、6月25日刊行予定の『日本労働年鑑』第78集(08年版)で特集していますので、その詳細については、この特集をご覧になって下さい。 このライダー書記長の「課題提起」の後は、「グローバル化がもたらす各国労働者への影響と取組」というパネル討論でした。司会はJILPTの江上寿美雄国際研究部長です。 ここで壇上に上がったのが、G8労働サミットに出席した各国のナショナルセンターの幹部たちです。G8ですが、カナダのCLCの代表は来日されなかったそうで、日本労働組合総連合会の高木剛会長はじめ、フランス民主労働同盟(CFDT)のアヌーシュ・カルヴァール全国書記、ドイツ労働総同盟(DGB)のイングリッド・ゼアブロック副会長、イギリス労働組合会議(TUC)のブレンダン・バーバー書記長、イタリア労働総同盟(CGIL)経済社会研究所(IPES)のアゴスティーノ・メガレ所長、ロシア独立労働組合連盟(FNPR)のミハイル・シュマコフ会長、アメリカ労働総同盟産別会議(AFL・CIO)のジョン・スウィーニー会長の7人が並びました。 このうち、フランスCFDTのカルヴァール全国書記とドイツDGBのゼアブロック副会長は女性です。また、アメリカAFL・CIOのスウィーニー会長は、経済協力開発機構(OECD)の労働組合諮問委員会(TUAC)の会長を兼ねています。 G8各国には、ナショナルセンターがいくつか存在している国があります。というより、一つだけというのは、ドイツとイギリスくらいじゃないでしょうか。 フランスには、CGT、CFDT、FO、イタリアには、CGIL、CISL、UILという、それぞれ三つのナショナルセンターがあります。今回のレイバー・サミットには、フランスとイタリアの三つのナショナルセンターの代表が参加しており、この日のフォーラムには、各国1人ということで、相談して出席してもらったそうです。 そればかりではありません。イタリアの三つの組織は、団体協約、賃金の引き上げ、経営参加などについての新しい文書をまとめて政府に提案することにしたそうです。 各国代表の発言では、司会の江上さんがまとめられたように、労働者への配分の低下、労働と雇用の質の低下・不安定化、社会的対話の重要性などが共通していました。このようななかで、ロシアの代表が最低賃金の倍加を勝ち取ったと気を吐いていましたが、それもロシア経済が好調であるからでしょう。 このほか、ディーセント・ワークの重要性が共通して語られていましたが、特に、ドイツの代表が「G8声明に盛り込まれることを期待したい」と述べたのが印象的でした。というのは、昨年のドイツで開かれたハイリゲンダム・サミットでは、ディーセント・ワーク課題に対する支持が表明されたからです。今年の洞爺湖サミットでは、果たしてどうなるでしょうか。 いずれにしましても、持続可能な経済のためにはディーセント・ワークの実現が重要であり、労働政策はそのためにこそある、というのは、拙著『労働政策』で強調したところです。国際労働組合運動の指導者たちの口から同様の主張が繰り返されたのは、私としては、まさに「我が意を得たり」というところでした。
──────────────────────────────────────── 拙著『労働政策』、ついに刊行。349頁、本体2000円+税で。 ご注文は、日本経済評論社http://www.nikkeihyo.co.jp/contents/list/index.htmlまで。──────────────────────────────────────── 5月11日(日)から3日間、先進国首脳会議にあわせた主要国首脳会議(サミット)労働相会合が新潟市で開かれています。これに合わせて、国際労働組合総連合(ITUC)のガイ・ライダー書記長と経済協力開発機構(OECD)労働組合諮問委員会のジョン・エバンス事務局長などが参加するシンポジウムが開かれました。 このシンポジウムに出席したITUCのライダー書記長の講演会が、明日、行われます。これには私も出席するつもりです。 さて、昨日の続きです。07年12月28日の厚労相の反論に、規制改革会議は面食らったかもしれません。思わぬところから「鉄砲の弾」が飛んできたからです。 規制改革会議は、この反論を黙殺することができませんでした。2ヵ月ほど経ってから、釈明の文書を出すことになります。08年2月22日付の「『規制改革会議「第2次答申」(労働分野の問題意識)に対する厚生労働省の考え方』に対する規制改革会議の見解」という長い表題の文書がそれです。 この文書には、次のように書かれていました。 ……労働契約について、当会議が単に労働者と使用者の「自由な意思」のみにゆだけるべきであるなどと主張した事実はない。「労働市場における規制については、労働者の保護に十分配慮しつつも、当事者の意思を最大限尊重する観点から見直すべき」と主張しているのである。 したがって、労働者の保護に必要な法的な手当を行うべきことは当然である。 このように規制改革会議は弁解しました。ここで、規制改革会議が「労働者の保護」の必要性を認めたことは重要です。そのための「法的な手当」の必要性についても……。 しかし、それが「労働者の権利」の強化に結びつくことがあっても、なお必要だというところまで認めているかという点では微妙です。「法的な手当」によって「労働者の権利」を強めれば、「労働者の保護が図られるという考え方は誤っている」と主張していたのですから。それは、「一部に残存する神話」にすぎないのだと……。 これについて、規制改革会議「第2次答申」には、次のように書かれていました。よもや、お忘れではないでしょう。一部に残存する神話のように、労働者の権利を強めれば、その労働者の保護が図られるという考え方は誤っている。……真の労働者保護は、単純に「権利の強化」をすることによって達成できるわけではなく、むしろ、労働者が望まない雇用契約を押し付けられることがなく、知ることのできない隠された事情のない契約を、自らの自由な意思で選び取れるようにする環境を整備すること、すなわち、労働契約における情報の非対称、つまり、使用者側の情報が労働者に十分に開示されていない点を改善することこそ、本質的な課題というべきである。 つまり、「本質的な課題」は、「労働者の権利」を強めることではなく、「情報の非対称性」を改善することであるというのが、規制改革会議の中心的な主張だったのです。「労働市場における規制については、労働者の保護に十分配慮しつつも、当事者の意思を最大限尊重する観点から見直すべき」と主張していたわけではありません。 少なくとも、規制改革会議の主張が正当性を得るためには、使用者側の情報の十分な開示が可能なのかどうか、情報が開示されさえすれば「労働者の保護」が図られるのか、その場合には、「労働者が望まない雇用契約を押し付けられる」ようなことはなくなるのかなどの問いに、全て「イエス」と答えることができなければなりません。 「サービス残業」「名前だけ管理職」「肩書きだけ店長」「偽装請負」「違法派遣」などの脱法行為や違法行為が横行している現状において、そのようなことが可能だと考えるのは「空想」にすぎません。規制改革会議の主張は、「空想的規制改革構想」にほかならないと言うべきでしょう。 実は、「真の労働者保護」にとっての「本質的な課題」は別のところにあります。それは「情報の非対称性」を改善することであるよりも、「交渉力の非対称性」を改善することです。 一般の契約がそうであるように、労働契約もまた、当事者間の交渉によって結ばれます。労働契約の当事者は労働者と使用者ですから、労働契約は労使交渉によって取り結ばれることになります。 このとき、十分な情報が開示され、労使間において「情報の非対称性」がなくなり、「知ることのできない隠された事情のない契約を、自らの自由な意思で選び取れるようにする環境を整備」すれば、労働者にとって不利な契約を結ばなくても良いようになるというのが規制改革会議の主張です。 しかし、たとえ「情報の非対称性」がなくなっても、労使交渉における「交渉力の非対称性」はなくなりません。それは、情報の不均衡によるだけでなく、労働力商品の持つ特性から発しているからです。 「情報の非対称性」が解消されるようなことがあっても、保存が利かず競争相手が多いという労働力商品の特性がなくならない限り、「交渉力の非対称性」は解消されません。そして、労働力が多数の働く人々の肉体に宿る限り、その特性がなくなることはないでしょう。 「真の労働者保護」にとっての「本質的な課題」は「情報の非対称性」にあるとして「交渉力の非対称性」を不問に付しているのが、規制改革会議「第2次答申」の最大の問題点なのです。それは、労働力商品の特性を無視している、つまり、働く人々が生きた人間であるということを忘れた議論だといわざるを得ません。

 

[ 325] 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/

トリアージ騒動でティプトリーJr.の「たった一つの冴えたやりかた」が話題になっていた。最近の若い人では知らない人もいるかもしれないので、あらすじを紹介しておきたいと思う。
自称・平凡な小学3年生コーティー・キャスは誕生日に両親からもらった宇宙船で冒険旅行に出発した。その途上、遭難した調査船からのメッセージ・ポットを発見したキャスは、救助の為に遭難ポイントである惑星に急行した。パイロットは既に事切れており、助けることは出来なかったが、そこで、言葉を話す不思議なフェレットと遭遇する。小動物はシロベーンと名乗った。シロベーンの正体は異世界ミッドチルダからやってきた使者で、発掘したロストロギア(異世界に存在した高度な魔法技術の遺産)「ジュエルシード」が散らばってしまったためであった。成り行きから事情を知ったキャスは、シロベーンと共にジュエルシードを集め、封印する事を決意した。
キャスは、キャスの住む世界では非常に珍しく、魔導師として「天才」と呼べる素質があった。シロベーンを師として実戦を繰り返す中で、急速にその才能を開花させてゆく。魔力の放出・集束と制御を得意とし、圧縮・縮小は苦手。正式な訓練を受けないまま、「ジュエルシード」封印の過程における実戦の中で「単騎でも戦闘を行える砲撃魔導師」としてのスタイルを確立させる。
しかし、この戦いは、キャスの才能を開花させるとともに、その幼い体に大きな負担をかけていた。特に、自身の限界値を無理やり引き出すエクセリオンモードの使用が、彼女の肉体へのダメージを深めていく。ついに今まで溜めてきた無茶と負担のツケがまわり、キャスは瀕死の重傷を負ってしまう。キャスは復活することが出来るのだろうか?最終決戦のゆくえは!?
という感じの魔砲少女的なはなしなのです。少女と異世界の小動物の組み合わせという、現代の定番的なキャラ設定の先駆的な作品であります。作品の萌え的なポイントとしてはシロベーンとキャスのちょいエロなやりとりが有名です。ちょっと引用してみよう。
違う世界で生まれて遺跡発掘という地味な作業をして飽き飽きしていたところに、都合よくジュエルシードを発掘、輸送中に紛失してしまう。「無くしちゃったからさがしてくるわー。」と異世界女の子はめはめツアーへと出発した。
小動物だと思われているため、気にせず着替えるキャスの下着姿および全裸や乙女の秘密の禁則事項ですなどもその目で見て脳に焼き付ける。
後々のことを考え、ちょっとだけ抵抗するふりをしつつ、一緒にお風呂に入る。もちろんキャスの裸を隅から隅まで記憶する。
あんまり、アクセス数の話とかは触れないほうなのですが、ちょっと流行っているっぽいので便乗して。っていうか、実は最近一日のアクセス数の当ブログの最高値を更新したので。今まで、ダンコーガイ氏と喧嘩したり、ノビーと喧嘩したり、猫猫先生と喧嘩したりと*1、アクセス数がアップした日はいくつかあったけれども、ここまではなかった。
むしろインターネットが普及すればレイプは減るのではないかという話 - 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!
の記事。アップした理由は、エログちゃんねるニュース*2に捕捉されたから(笑)いやあ、一日で7000オーバーですよ、お客さん。一昨年辺りの一月分と変わりませんよw しかし、俺のスタンスではコンスタンスにエログちゃんねるニュースに補足されそうな記事を書くのは難しいなあw
もう今更なので、取り立ててもはや僕なんかが付け加えることはないんだけど、トリアージがあんまり経営と関係ないと思う理由を、「理由はいろいろ」とかでごまかすのはいくないのでw とりあえず、語られつくされている感もあるんだけど、最初に僕が感じた違和感がなんだったのかを簡単に書いておきたいと思う。
トリアージというのはマネジメントがそもそも不能な状況で如何に現場をコントロールするかという話ではないのか?
まず、これ。第一にこれ。既に、より具体的な現場での運用の情報も交えて、もっと深い考察がなされているのであえて僕がここでごちゃごちゃいうこともないかと思う。全体のマネジメントを考えて、最終最悪の場合にはこうするとか言うならまだ経営だと思うけど、この最終最悪の状況では経営のしようがない。本当の経営の場合は、ここまで危機的な状況になった場合は、そもそももう経営できないと思うのだよね。
経営の話でトリアージを持ち出した場合、変な風に拡大解釈されて、「トリアージだから」とか「潰れちゃ困るでしょ」とか「危機的状況だからここは切り捨てないと」とか言うことで、その限界状況を招いた経営の失態を隠蔽しかねない。それってマネジメントを学ぶ的にまずくね?ってことです。まあ、実際の経営者的には従業員ごまかす話術の一つとして実用的ですけどね。
実際にトリアージが行なわれる危機的な状況において、それが実行されるのはマネジメント不能な状況下において、出来うる限り命を救うという目的に集中するためであるわけですが、実際のマネジメントはもっとややこしいものだと思う。*3例えば福祉施設の現場で、人的リソースが足りない場面で、緊急を要する事態を迎えた要介護者とそうでもないけどケアが必要な要介護者がいた場合、リソースを前者に集中することはいたし方がないですが、ここでトリアージ、トリアージと唱えても仕方がないわけです。後者の要介護者へのフォロー、人的リソースが足りないことへのフォロー、足りないことにより溜まっているはずの現場へのフォローなどが発生するはずです。「トリアージ」の現場だけ取り上げることでは、ちょっと単純化しすぎではないのか、ということです。特にすぐわかったとか言ってる学生が、俺には大変にヤバイと思う。彼らには、現場のマネジメントの厄介さは伝わっていないように思う。
てな感じで、俺にはマネジメントを考える上で、トリアージって関係が薄いし、特に初学者にはトリアージは事例として考えるきっかけとしても不適であると感じました。
*3:これは、トリアージが持つ様々な問題が単純なものというわけではありません。トリアージは現場で実行する人、遺族の人、治療を受ける側の人に、様々なトラウマを残しかねないことは言うまでもありません。
死刑の話なんかはほんのちょっと前の話なんだけど、そういうことを無視してこういうことを首相が言えちゃうということは、結局、国民なんかはすぐに全部忘れちゃう生き物と思ってるってことなんだなあ、なめられてるなあ、っておもた。
キリスト者の立場から統一協会を批判してきた。対統一以外では、イザヤ・ベンダセン=山本七平の欺瞞を暴いた「にせ日本人とユダヤ人」で知られる。
孤高の心理学者ウィルヘルム・ライヒの思想をマンガで紹介。一編の物語のように壊れていくライヒ。雨を降らす機械とともに旅する姿は想像すると泣けてきます。筋肉少女帯のファンの方は是非。
思ったことケロロ軍曹ウルトラマン映画おもちゃ教育問題仮面ライダーアニメセキュリティIT語源今日の絵本Mac哲学脱線事故Wiki二階堂のデマサッカー探偵ファイル奈良小学生女児殺人事件パソコン履歴ゲームはてな新興宗教研究ガンダム歌まんがブクマがわりリンクはるぞう欲しい応募TV拾い物パチスロ北斗の拳メモお買い物音楽おもったこと酒プレゼント超映画批評パチンコ教育光市母子殺害事件キーワード編集秋田児童連続殺傷事件猫猫先生
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[ 326] 2008-04-30 - 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080430

いや、つい最近でも似たような事件が日本でもあったような気が……。なんていうか、世間の記憶力の無さ加減にはいつも感服するよ。*1なんか変な脳内切断処理しないで、人間というのは稀にこういうことを起こす生き物だってどうして素直に理解したほうがいいぜ。
他にも最近だと……中学生ということでやや年齢が高いけれども、事件の構造としてにた雰囲気を持つものとして「旭川女子中学生集団暴行事件」がある。
被害を受けた女子生徒は1994年の2学期頃から、男子生徒述べ11人により身体を服の上から触られるなどの被害にあっていた。初めのうちはスカートめくりなどの軽い性暴力から始まったと言われる。
1996年6月に、その女子生徒が担任教師に性被害を告げた。だが、担任教師は男子生徒たちに少し注意しただけであった。この事をきっかけにして、その性暴力はエスカレートした。12月には男子生徒10人に取り囲まれ男子トイレに連れ込まれ、6名が身体を触るなどしさらに1名が女子生徒を強姦した。被害直後、友人と泣いている被害少女を見た教師が通報しこの事件は発覚した。
その後、3人が少年院送致、6人が試験観察、1人が保護観察処分を受けた。男子生徒達は他校の生徒との暴力事件や、喫煙や窃盗などの非行を繰り返し起こしていた。また、被害は被害少女だけではなく他の女子生徒にも及んでいた。
韓国の事件は以前から事態を把握していた学校関係者がいたにもかかわらず、事件が継続したようだが、その点でもこの事件は似ている。
しかし、共対委はこの事件が起きる前に、このような性的虐待が行われていることを学校側や教育庁が知っていたと主張した。
「このようなことが昨年11月から起きていることを彼ら(記者注:学校と教育庁)に報告した。しかし、適切な対策を取ってくれない。責任者は全員責任を負わなければならない」(共対委)
担任教師らは女子生徒から被害の相談を少なくとも3回は受けたほか、わいせつ行為を目撃したこともあった。担任は被害少女が「笑みを浮かべながら」相談した等と主張した。また、事件後教頭は事件について公表をしなかった。
もちろん、過去においてもある程度の頻度でローティーンが性犯罪を起こしていたりするわけで。定番の少年犯罪データベースからご紹介:少年犯罪データベースドア:小学生がレイプする
近頃「男女中学生が桃色グループをつくって性遊戯にふける」との記事が目につく。警視庁少年課でも取り締りに頭を痛めている。だんだん集団化する傾向があり、捕導された少年の親は「うちの子に限って……」という自信から警察に呼ばれて始めて事実を知って驚き嘆く例が多い。原因は大半家庭の不注意が一番多く、学校のあいまいな性教育、社会の挑発的な出版物や興業にあるという。最近の主な桃色遊戯を拾うと
兄弟の両親は昨年離婚、バー経営の母親が勤めに出る夜はマンションを好きに使え、また大卒初任給24,890円の時代に月10万円のこづかいをもらっていた。仲間もすべて豊かな家庭で有名私立高校に通っている16歳までの少年だった。7台の自動車を盗んでドライブも楽しんでいた。
もう一度繰り返すけど、人間というのは稀にこういうことを起こす生き物だってどうして素直に理解したほうがいいぜ。この現実に絶望する必要も無いし、開き直る必要も無い。「稀に」こういうことがあるっていうこと、そのレア度も含めて受け止めるべきなのだ。
小学生のときに内容を超期待(性的な意味で)して買ってきてがっかりしたことを思い出した。なんてダメな俺。
andalusia 氏のどたばたの事でもいいたいのだろうが、政府は「先住民や先住民族の定義が明らかでないのでアイヌがそれだとは認めない」というスタンスを貫いていることは全く何の間違いもないので、そこにデマなどといわれるべき要素は一切無いね。
オースペ君、「あれは別人」ってしれって書いているが、オースペ2はオースペ君じゃねえってこと?そういういいわけは信憑性無いぞ。オースペ1〜3夢の競演*3とかやってたじゃんか。それはいくらなんでも信じられないぞ。
キリスト者の立場から統一協会を批判してきた。対統一以外では、イザヤ・ベンダセン=山本七平の欺瞞を暴いた「にせ日本人とユダヤ人」で知られる。
孤高の心理学者ウィルヘルム・ライヒの思想をマンガで紹介。一編の物語のように壊れていくライヒ。雨を降らす機械とともに旅する姿は想像すると泣けてきます。筋肉少女帯のファンの方は是非。
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