ブクマコメントとは?/ アイフル
[ 228] Life is beautiful: 『恋はブックマーク』−ブックマーク・コメントはシャイな日本人向け?
[引用サイト] http://satoshi.blogs.com/life/2005/06/post_5.html
リーダーシップについて恋はブックマークジョブスに学ぶプレゼンスキルGoogle OS を妄想するアップルにして欲しい次の革命ソウルのあるもの作りプロトタイプの効用 [プロローグ]A子「ねえ、今度営業部に配属になった田中くんってイケてると思わない?」B子「え、あなたもブックマークしてたの?彼は私が先にブックマークしたんだから手を出しちゃ駄目よ!」 [本編] このブログを始める前は、英語でブログを書いていたのだが、英語圏の読者はものすごく気楽にコメントを書いて来るので驚いた。それと比較すると、日本の読者がコメントを残すことはとてもまれである。エレベーターに乗り合わせ時に、「5月なのにまだ雨だね〜」だとか「かっこいいTシャツですね」などと初対面の人に平気で話しかけてくるアメリカ人と、じっと黙っている(=知らない人に突然話しかけてはいけない)日本人の普段の行動の違いを見ればうなずける。 「そんなシャイな日本人には、トラック・バックが向いている」という話をどこかで聞いたことがある。しかし、「読みましたよ」という足跡を残すだけのために自分のブログにわざわざ新しく記事をおこしてトラック・バックするというのも面倒な話だし、そんなことをしていると自分のブログが「ブログ読書日記」になってしまう(そんな人は、ブックマーク・コメントで『ノ』と手をあげてください)。トラックバックやコメントに変わる、何かもっと自然に足跡を残せるような仕組みを見つけなければいけない。 そう考えていた矢先に、はてなの伊藤直也氏の今日のブログを読んでハタと気が付いた。はてなのブックマーク・コメントがまさにその役目を果たしているのだ。指摘されるまで自分でも気が付かなかったが、伊藤氏と同じく、私自身も自分の記事のブックマークにつけられた一行コメントは楽しく読んでいるのである。 例えば、私のブログで一番はてなブックマークの多いのは「日本語とオブジェクト指向」の記事であるが(現時点で132個のブックマーク)、ブログ記事そのもののコメント欄への書き込みは少ないが、「ブックマーク・コメント」という間接的な手法でコメントが沢山寄せられているのである。例を挙げると、以下のようなものである。 『なるほど。IT用語として小難しく考えず文法用語として「Object=目的語」という見方をすれば簡潔だ。』 『恋もオブジェクト指向。』 『分かりやすく面白い。限定されることは不自由ではないというのは安部公房。』 『なっとく〜』 『まあ楽しい話題ではあるが、まずはオブジェクト指向がなぜ重要かを哲学抜きで語らないとこの国はやばい。』『アイルランド語はVSO。つーか「ダブルクリック」という作業がすでに「動詞」だと思う。』 『日本語は情報を先に選ばせることにより選択の幅を狭くして動詞を類推することが容易→オブジェクト指向的。』 『ふむー、ふむー、ふむー』 『視点が変わっていて新鮮でした。』 『これがはてなブックマークで多数ブックマークされているのは理解できる』 『なるほど。てことは戸田奈津子はオブジェクト指向型字幕翻訳家だったのか!』 ブックマーク・コメントを通して多くの人たちに楽しんでもらえると分かると、書いている方としてもはげみになる。『恋もオブジェクト指向。』とか、『ふむー、ふむー、ふむー』なんてコメントは、何が言いたいのか本人しか分からないところがまた良くて、想像を膨らまして楽しんでしまう。こんなコメントは決してブログのコメント欄には書き込んでもらえない。 そう考えて見ると、「はてなブックマーク」に代表されるソシアル・ブックマークという仕組みは、エレベーターにたまたま乗り合わせた知らない人に話しかける習慣がない日本人にはピッタリの仕組みなのかも知れない。「あ、かっこいいTシャツだな」という素直な気持ちを、本人の目の前で口にださずに、さりげなく相手に伝えられるのだ。前に「ブログの楽しみは、ゆる〜い人と人の繋がり」と書いたことがあるが、ブックマーク・コメントはまさにそれにぴったりの仕組みだ。 そこで一つ実験をしてみようと思う。ソシアル・ブックマークのユーザーの方で、この記事を読んだ方は、ここで書かれている私の意見に賛成であれ反対であれ、一言コメントをそえてブックマークしていただきたい。『俺もそう思う』という賛成意見でも、『くだらないこと言ってんじゃない』という反対意見でも良いし、『ふむー、ふむー、ふむー』みたいなものでも、単に『ノ』でも結構である。ここで、ブックマーク・コメントをつけるように明示的にお願いし、「私が楽しんで読みます」と宣言することにより、どのくらいの比率でコメントが付いてくるものか、そのわずか一行コメントを通してどんなコミュニケーションが生まれるかを試して見たいのだ。私が「読みます」と宣言することにより、コメントを付ける人が期待した通り増えるのか、逆に減ってしまうのかにも興味がある。 ちなみに、この記事のタイトル『恋はブックマーク』は、ソシアル・ブックマークがもう少し広まった時点で、フジテレビあたりにそんな題名のトレンディ・ドラマを作ってもらいたいな、という思いを込めて付けた。主人公は結婚願望の旺盛なOLたちで、かっこいい男を見るたびに、『ブックマークしちゃう』という恋愛ドラマである。 A子「ねえ、今度営業部に配属になった田中くんってイケてると思わない?」B子「え、あなたもブックマークしてたの?彼は私が先にブックマークしたんだから手を出しちゃ駄目よ!」A子「いいじゃないのかぶったって。たががブックマークなんだから。だいたい、B子のブックマーク・リスト、長すぎるからかぶるのよ。経理の鈴木君でしょ、総務の高橋君でしょ、…」B子「いいの、まだ私は22なんだから。今のうちに男をたくさんブックマークしておいて、その中から誰にリーチをかけるか選ぶの。」 [P.S.はてなの伊藤直也さんに提案] かっこいい男性やすてきな女性に『目をつける』ことをこれからは『ブックマークする』と言い換えるのをはやらせませんか?特に、ブックマークしたことを本人やまわりの教えてしまうことを、『ソシアル・ブックマークする』と呼ぶのです。ソシアル・ブックマークの認知度をあげるのにも役に立つし、はてなブックマークの宣伝にもなると思いますが、いかがでしょう。 [ブックマーク速報]さっそく、沢山のブックマーク・コメントをいただいた。最初ははてなブックマークしか見ていなかったが、del.icio.us ブックマークにもコメントが入り始めたので、そちらもリストする。 ソーシャルブックマーク的な用法で「つばをつける」を定義するのであれば「あの新入社員は私が彼氏にするからヨロシクね」という宣言行為かな? 実際にまわりで「俺あの娘、ブックマークしよ」と言ってるやつがいます。でその後を尋ねると「リンク切れしちった」とか「嫁対策で履歴は7日で消去」とか。 もう使ってる人がいるんですか。私の発明だと思ったのに…。同じようなことを考える人はいるものですね。 昔、恋人に振られ、電話とか出てもらえなくなったときに「突然インターネットに繋がらなくなった」と例えたことはあります。 日本人はシャイなんじゃなくて、人目を気にしすぎるだけだと思います。ブックマークなど、2chなど、写真をネットに乗せることに敏感なのも(アメリカなどではみんな気にせず自分の写真を載せる)、人にエレベーターで話しかけないのも、恥ずかしいからではなく、人にどう思われるかが心配だからだと思います。 後、いまいちなぜブログにコメントをする「ブックマーク」が異性に「目をつける」につながるかがいまいちまだわからないのはブログやブックマークの仕組みをわかってないからなのかな?だったら「お気に入りに追加」のほうが適切なのでは?「ブックマーク」の発想を簡単に説明するサイトでもないですかね? のコメントに対しての、エントリーへのトラックバック代わりに、こちらへコメントさせていただきました。(ややこしい) そうですね。Web拍手とか、へーボタンとか、その国の文化に合った物が出てくるべきなのでしょうね。Webだからなにもかも世界共通でなければならない理由もありませんから。 「日本人は自分の意見を否定されると自分の人格を否定されたように感じてしまう」との御指摘からも、この「Web拍手」の日本人的利点が透けて見えますね。何も意見を言わなくていい、面接技巧でいうところの「共感的態度」を「示すのみ」に止まるという、文化にフィットしたツールかも。 海外から公演に来日した方々が、日本人の観劇の際の拍手のタイミングを「オペラのように指揮者が舞台袖にいるのか?」「やはり開場前に練習するのか」などと驚くのもさもありなんです。意見なく態度あり、の拍手こそ日本人向けの安心Yes道具(?)なんでしょうね。愛想笑いと並んで。 ソーシャルブックマーク的な用法で「つばをつける」を定義するのであれば「あの新入社員は私が彼氏にするからヨロシクね」という宣言行為かな? 私のところだと馴染みの方が代わる代わるコメントつけてくれてますが…ある意味空気が出来上がっちゃってて一見さんには踏み込みづらい、なんて話を聞いた覚えがあります。空気を読む事を意識しすぎるのが日本人らしさの一端のように思いました。 |
[ 229] はてなブックマークにコメントするくらいならブログにコメントしろ!! - ネット小説家の小さな書斎
[引用サイト] http://d.hatena.ne.jp/novelbloger/20080524/1211634714
ブログで集めた情報から小説を書くというのを目的にしているのにまたもや脱線なお話です。ちなみにこのタイトルは釣りで、ホントのタイトルは、はてなブログがコメントされないようになったのはなぜか? なのであしからず。 最初の、記事の中にある印象的なキーワードを取り出すコメントは、後から見るヒトに、こういう記事なんだよ、と言うある種ネタバレ的な要素もありますが、説明を受ける側にしてはいい舵取りになりますし、後からそれを元に記事にしたときにも役に立ちます。共有ブックマークの良さが出ています。 次の、大喜利の如くボケてはてなスターをもらうコメントは、おもしろい! その発想はなかったわと思い、スターをつけっちゃったりします。この大喜利っていうのは人々の風刺であり、世間はこう考えているんだなと思う塩梅として見る場合があります。(ただし誰かを中傷誹謗していると思ったコメントには通報します) では最後の、記事についてのコメント、は、はてなブックマークのコメントの役割として正しくないのか? 個人的な意見としてはある程度まではオーケー、でもある程度からは記事内でコメントしてくださいという考えです。今のところ、グレーゾーンなので、ちょっとした線引きをしたいと思います。 一つ目、ニュースサイト内のニュース記事。これははてなブックマークコメントをしてもオーケーです。 色々なヒトの考えも見えますし、また自分の意見も言えます。ただブックマークは一つしか書けませんので、掲示板のような役割は持てません。もし、そのニュースで話したい方がおりましたら2chにでも行ってください。あくまで一つの意見だけを添えておいてください。 面白かったとか、なかなかいいこと書いているなどそう言ったのもいいと思います。ブックマークコメントを見ているブロガーも多数いますので、モチベーションがあがるはずです。(ただし、悪いことは書かないように、将来、ブクマスパムは流行ると考えていますのでここで注意します) でも、ホントによかったと思う記事にはコメントをあげてください。今のところ、ブログ記事の感想としてコメントがあるのはタレントブログぐらいです。(ほとんどミーハーなコメントばかりです) 三つ目、ブロガーと仲良くなりたい。これははてなブックマークコメント、ブログコメント……ではなく、メールやtwitterなどにしてください。もしくはブロガーが日記という項目を設けて、コメントオーケーな場所を作る気づかいをすべきです。 四つ目、ブログ記事の意見。これはブログコメントにしてください。ここの記事の部分について詳しく書いているURLはこちら、や、私もそう思いますなぜなら○○だからといったブログコメントを重なることでブログはよくなります。 五つ目、ブログ記事の批判。これもブログコメントにしてください。感想程度の批判ならいいですが、この記事はおかしいじゃないか? この部分は○○だと思うんだけど、などブログコメントに書いた方がいいと思います。(とはいえ、かなり難しいと思いますので、まずは匿名から言うのをオススメします) さて、ここまで書いてきましたが私が言いたいことがわかりましたか? 私は、ブログ記事の価値を上げるためにはブログコメントをすべきだと唱えているのです。 ブログは自己の情報配信局であり、色々な情報を集約してそれについて意見を述べる場でもあります。ほとんどの場合、ブロガーは一人であり、偏っている場合が多いと思います。そのため、自分が常識だと思って発言したことも意外と世間では非常識だったこともあります。 私が思うブログ論に、ブログ記事でコメントを重ねることで、ブログの記事の価値が上がる、と考えています。足りない情報を補強してもらえたり、集めきれなかった情報の穴を埋めてくれますものだと、ネットユーザーの性善説を信じている派でもあります。 しかしながら、ほとんどのコメントはネガコメが多く、ブロガーの記事を著しく損ねたり、自己満じゃねえの? のブログコメントが多数見受けられます。ブログは自己満足のツールであると思い込むのはこのコメントのおかげであり、ネットユーザーの性悪説を蔓延させるログであるとも言えます。 ――でも、こういったネガコメの裏側にあるはてなブックマークコメントにはいいコメントが並んでいる場合があります。私はこのはてなブックマークコメントをブログコメントに移動した方がいいと考えてます。ブログは価値を下げるよりも上げた方がいいと思いますから。 確かに、ブックマークコメントの方がハードルは少なく、コメントに発言の責任がかかりません。事実上、はてなブックマークコメントは免罪符であり、ここに書けば、許されると思う方がいっぱいいると思います。 また最近ブロガーはこういう議論を重ねたくて、わざと、ブログ炎上を狙ってきています。自分はわざと、そんなこと知らない、そんなものいらない、と言わんばかりな言い回しのブログ記事でコメントを狙ってきます。(ホントにそうだったブログの方が多いですけど) でもこういったブログはうまいこと沈静化に成功し、色々と面白いコメントが並ぶ場合もあります。うまく手玉に取られた気がします。 そもそもブログコメントとは何か? 一言で言えば、ブロガー相手とブログ記事で話をするのがブログコメントであり、みんなとブログ記事で話をする場ではないからです。それに加えて、みんなと話をする場とするのなら、本人がいない場でしたがるものです。 例えば、本人に聞かれたくない話があるとします。本人にはとても言えないことも、本人がいないとなると好き勝手に話せます。そう、日本人にはこの、本人がいないと自由に物が喋られる、といった文化があります。 どうして、本人がいないと自由に物が喋られるのか? そもそも本人に聞かれたくない話っていうと何なのか? たいていの方は陰口や悪口を想像するはずです。しかし、はてなブックマークコメントには悪口や陰口といったものはありません。自分が必要な記事をブックマークするわけなんですから、わざわざ切り捨てたい悪口をいつまでも引きずっていたい趣味の方はいません。 また、ブロガー本人のことに気づかって、ブロガーについての話をするってこともしません。コメントでブロガーが話題にあがるってことはまず、ありません。 では、他に本人に聞かれたくない話というのは何なのか? それは自分達が話す雑談に参加してほしくないからです。その理由は話を提供したブロガーはもう既にブログ記事内で話し終えているからです。 ほとんどのブログは問題提起、考察、根拠、結論の順序を踏んだ記事であり、そこでブログのテーマは終結します。となるとネットユーザーに残されるのは質問か感想しかありません。 しかし、ここ、はてなでは感想を書かなくてもいいです。はてなスターでスターを与えれば、感想がそれで終わります。(これもブログコメントがない理由のひとつかもしれません) 質問だとブロガーさんはよりよく答えてくれますので大変助かります。つまらないものだとググレカスと言われますけど、ね。 ブログ記事から議論を色々と重ねたいヒトもいるかもしれませんが、ブロガーはどうしても自分が問題提起したブログを自分が書いた結論へと導きたがるものです。コメントに書いたら、いえ、それは○○なので言い訳をしたり、○○読めとか、相手にしてくれません。つまるところ、自己完結になってしまい、コメントをするだけ無駄だと思われてしまいます。 たいてい、話題を提供したがるヒトっていうのは自分の話を主軸にして、先導権を持ちたがります。それが具体的なものであればあるほど、自分の話は価値があるものとして聞いてもらいたいものです。(ブロガーがネガコメだと思うのも自分の話にうんと言ってくれないと思う傾向にある) ……ネットユーザーがブロガーを外して、他の人の意見と話したいのは、ブロガーがどうしてもそのブログ記事内での結論へと持っていくのではないかと懸念するわけです。だったら仲間はずれにして他の答えを模索した方が面白いと言えます。 はてなブックマークコメントは本人も見られますがどうして本人が見る可能性がある場所で話すのか? それは本人のブログからワンクッション離れていて、なおかつ本人の意見に束縛されないからなんです。そのため、話題の提供者が持つ独特の先導権が存在しませんし、誰でも自由に発言できるわけです。 多くのブロガーはブログコメントで色々なことを話してほしいと思っています。でも、ネットユーザー、ブログを見る側にいるヒトにとっては色々なブロガーにコメントを書いて、ブログ記事の結論以外のことを書いちゃいけないのかな、と、ブログコメントのハードルが高くなっています。どんなコメントが入ってきても最後には自分の書いたブログ記事で帰結してしまうからです。(――消しゴムをとられているのに自由なことを書いてもいいなんて言われても書けないわけです) これは結論がないブログにも言えたことで、最後のくくりで、このブログ記事グダグダですいませんと書いていて、ここんどころおかしくないかって、コメントがよせられても、ええすいませんとグダグダで返事されたら、のれんに腕押しってところです。(ある種、万能的な言い訳ですけどね) そのため、ネットユーザーは話題の提供者であるブロガー以外で話し合える場を求めたがっているわけで、はてなブックマークコメントに逃げ込む傾向にあります。 ブログ記事の価値を上げるためにはブログコメントは必要。だがブロガーは寛容でならない限り、その記事に進展はない。そういうことになります。 ブログのコメントとほとんど近しいのに、書いてある意見は2ch的なノリ。著者に対して言うんじゃなくて、裏で……悪く言えばコソコソと言うノリ。 廊下を隔てて、本人のいるすぐ近くで本人の事を言う感じに近い。噂してる方は廊下があるから聞かれてるとかあんまり思ってないけど実は本人はしっかり聞いてる。 ブログのコメント欄には書かず自分には反論させず、でも、著者が見ようと思えばワンクリックで見れちゃうような場所に書く。 何にせよブックマークコメントって、僕みたいな小心者にはうってつけなんだけどw(反論されずにすき放題いえるから)、でも、相手はいやだろうなあと思った。 違う目的の場所なのだから、どっちがいいとかの結論はない。あるとしたら、どちらが好きかという好みの問題。ブログコメント欄でブロガーと交流する道か、はてブを使ってのネットウォッチ的な視点での感想・意見の表明か。 コメントはブロガー以外の人にも見えるので書き込むための心理的抵抗がかなり大きいし、トラックバックはいい仕組みだけどトラックバックスパムに押されてトラックバックという仕組み自体に諦めてる人も多い。 書き込みの権限が自分(ブクマユーザー)側にあるため、書き込みへの抵抗が少なくてコメントしやすく、多くの人が感じたこと、思ってることが一覧という形で見られるという。本来のコメントの意味に近いのはこっちなのかな。ブクマコメント欄でのコミュニケーションを嫌う人もいますが、あそこで行われているコミュニケーションはやりとりできる情報が少なすぎてコミュニケーション足りえていないと思います。 はてなブックマークコメントについて パソコンはおもちゃ箱さんのはてなブックマークを使っていないヒトの意見 はてなユーザーではない人たちに、「はてなスター」から「はてな」を覗いてもらうという試みをしたところ、はてなブックマークエントリページに書かれていたコメントを曲解されてしまいました。『人ではなく、その書いたものに反応し共鳴する』という発想に自ら気がついてくれた人もいました。 コメントがあることでソーシャルブックマークの観点からは問題があるということも理解したうえで、はてブのコメント欄は同じ記事をブックマークした同士でのその場限りのSNSみたいな感じが面白いと感じています。 自分がどこまでの世界の複雑さに耐えられるか、どこまで「自分にかかわりのない世界」に自分から足を延ばせるか。世界の広がりと関係があるのはそれだけだ。だから、大事なのは「知らないこと」や「理解できないこと」について、どこまで自分の心を開けるかだと思う。 私にとって「優しい記事」とは「形式的操作」の上、「シナジー思考」レベルの記事のことを指す。人の良さを引き出すというと陳腐だが、つまり読んだ人に「世界はこんなに広いんだ」とか、「もっと自由に考えてもいいんだよ」と伝える記事のこと。 果たして削除権を持つブロガーが物事を広げていけるのか? というのが問題点。特に結論を出したブログほどコメントの転がし方が難しいと言えます。(ブロガーがコメントの流れをブログ記事の結論へと戻してしまうから) 秋田氏は、はてなブックマークの人気記事を、ブックマークに付けられたコメントとともに連続表示する「はてブTV」などのサービスを提供している開発者だ。今回発表したブクシィは、ブログ記事などに付けられたはてなブックマークのコメントを、ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)「mixi」の日記風に表示するサービスとなる。 今回の記事にかぎり、ネットユーザーさんとコメントしません。ネットユーザーさん同士で好き勝手なこと話してください。 私の記事は参考程度見てください。今回はあまりまとめていませんし、結論も出していません。幾らでも答えが出ると思うので自分なりの意見を述べてください。 ――ブログはコメントを重ねて記事の質を高められる。これが私自身が持つブログ論のひとつだと考えています。 ブログ記事が高められると言いましたが、自分の持つ記事だけではなく、それをテーマにしたブログ記事全てが高められると言ったつもりでした。すいません。自分が始発点って意味ではありませんのでご了承してください。 「ブログ記事の価値を上げるためには(ユーザが)ブログコメントをすべき」→分かります。ただしユーザにとってそのブログ記事の価値を高めたいというインセンティブはどこから来るのですか?>「ブログ記事の価値を上げるためにはブログコメントは必要。だがブロガーは寛容でならない限り、その記事に進展はない。」「寛容であること」は必要最低条件であって、十分条件であるとは思えませんが。私が書いた記事はそういう点を意図しているつもりなのです。▼「具体的操作」までならはてブまでしかコメントもらえなくても仕方無い (はてブコメを書く人は、自分の意見がただの「直感」であることは認識している)▼「形式的操作」なら相手の意見を受けて「ユーザーが自分の為」に考えてみようという意識は持てる。 しかし大抵の場合その形は「トラバ」になるでしょう。他のブログに書き込んだコメントは管理できませんから。本当に「ブログ主の記事をコメントを書いて盛り上げよう」という意識に持って行くのは難しいです。「書くべきだ」というレベルではなく、「書いてみたいと思わせるにはどうすればよいか」というレベルまで考えてみてはいかがでしょうか?私はトラバがもらえればよいと思ってます。ブログ記事の質を上げるという意味なら「自分が作業して」追記などの形で「相手の意見」をブログに反映していけばよいと思います。どうしても相手に「コメント欄に書かせよう」というのはちょっと傲慢ではないでしょうか? 今回、私のブログ記事はいささか傲慢に書いたつもりですし、問題点(自分の書いた記事の不完全さ)を多くして指摘されているのを待っていました。その点については反省にするつもりはありませんし、これが自分の記事だと強く言える自信もあります。また、その際に使わせていただいたリンク先には深く感謝し、これからもユニークユーザーとして通い続けるつもりです。 また、トラックバックとブログの関係については後日やる予定でした。そのトラックバックとブログの関係についてお話します。 確かに、Aのブログから引用したBのブログだとコメントの削除はできません。しかも、ブログは画像やリンクも貼りつけることもでき、色々な発展もできます。 しかしながら、Aのブログから引用したB、C、Dブログが派生し続けたとき、どのブログを見ればいいのでしょうか? 一つや二つでしたら、まだリンクして見ることが出来ますが、それが無数なものになれば、段々と見なくなります。 また、Aのブログにある問題点が浮上したとき、どのブログを問題点にすればいいのでしょうか? そうなったとき、ネットユーザーは有名なブロガーか、ブクマの多いブログ記事に依存します。 要するに、ブログは誰も意見が言えるとはいえ、誰にでも平等に意見を述べられるわけではないのです。自由な発想のある記事も誰も読まなければ、言葉が重なり合うこともできません。発展がないのです。 それに対してブログコメントは文字でしか表現できませんが、その場に文字や名前を残せるのは大きいことかと思います。事実上、先着順です。 また、ミニブログや掲示板のような短いメッセージで話題を転がしていくコメントだと一箇所に集まって、話しあえます。そうなれば、多くのヒトが参加できると思いますし、多くのアイデアが生まれると考えています。 発達心理学を用いて、私が考える理想的なブログコメントとしては、ネットユーザーはブログ記事内で直感的思考(アスキーアートや一言)や具体的操作(一、二行程度の文)で話し合い、そこから形式的操作(原稿用紙分の文章)を見つけていくのが理想かと考えています。 ブログコメント内にある名前から自分の記事にリンクできますし、直感的思考、具体的操作から見つけた形式的操作のブログ記事が見ることができ、ネットユーザーもすんなりと自分のブログ記事内で言ったことに理解を深めることができるはずです。(相手に自分の論理思考の階段を上らせることができる) これが私の思う、ネットユーザー、またはブロガーにとってのインセンティブ(人々の意思決定や行動を変化させるような誘因)、ブログ記事の話し合いで見つけられるネタってわけです。 勿論、これは、自分からアプローチしなければ見つけられないもので、なかなかインセンティブとは言えない代物です。しかし、それを感じたとき、相手にも自分にも強い刺激となり、ブログ記事を強く書くことができます。書く動機が見つかるわけです。 はてなブックマークコメントは今まであまりしなかった直感的思考、具体的操作を再びするようにしたシステムだと考えています。 しかし、一言(100文字程度)でしか言うことができず、話はそこで完結していまう。それでは話を重ねることができない。ちょっともったいない。そこから派生する新たな考えもあるのではないか? だからはてなブックマークコメントで見つけた小さな疑問や意見も、ブログコメントの中に転がせば、色々なヒトが食いついて、話しあい、ブログでは見なかった展開見えて、そこからまた新たなブログ記事が生まれて、価値が上がるのではないかと考えたわけです。 最後に、書いてみたいと思わせる記事作りは難しいです。ぶっちゃけ、人力検索はてなでヒトを集めた方がいいかもしれません。……インセンティブはやっぱりポイントなのかな? エントリでも書いたように、情報散逸があったとしても、それを「引き寄せる」「自分のものとする」のは、やはりその意志を持った者にしか出来ません。散逸した情報を一覧にしたければ纏めという手段もありますし、はてなブックマークコメントにトラックバックを飛ばす方法もあります。一つの場所で情報が閲覧出来ることは有意義なことではありますが、情報というのは一つの場所に集まる性質を持ってはいません。沢山の情報群の中から「何をみつけて」「どのように向き合うか」は常に情報を収集し、且つ集約する側にのみ委ねられているのです。 [プロット] 子供にケータイを持たすな、というので、仮にそういう未来が来るとして小説にすることにしました 三乗玲 : ノベルブロガー はてなブックマークやRSSからネタ集め、そこから小説を書くというスタイルを取るネット小説家である。あえていうなら、ブログ小説家かもしれない。なお、このブログで稼いだお金はすべて小説出版のために使います。 【2ch】日刊スレッドガイド : 自分が逮捕されてニュース番組で取り上げられた際、昔の同級生にインタビューで自分の印象について喋られるのが怖い |
[ 230] 「ブクマコメントではなく、ブログのコメント欄を使え」という主張は無断リンク禁止と同質のブロガーの我侭だ
[引用サイト] http://ekken.blog1.fc2.com/blog-entry-303.html
「ブクマコメントではなく、ブログのコメント欄を使え」という主張は無断リンク禁止と同質のブロガーの我侭だ 共に言及されたことに対して、その応答の義務感を背負い過ぎ、また、相手に応答を強制していると感じました。 ここギコ!: 議論を喚起し得るコメントをソーシャルブックマークにつけることへの違和感ソーシャルブックマークみたいに各人1回1行しかコメントを付けられず、かつトラックバック受付機能もないようなところで意見書いたって、議論が広がりようがないやん? 「議論を広げたい」と思っているのは、被ブクマサイドであって、ブックマーカーの方ではありません。「このエントリについて俺はこう思った。以上」というのがブックマーカーであって、そこから話題の広がりを期待していないのです。 議論として追求をしたいのなら、被ブクマサイドのねねさん(上記引用元・ここギコ!の運営者)が工夫すれば良いのです。 そのためには「トラックバック機能が必要」とねねさんは言いますが、「あれば便利かも」と僕も思うものの、トラックバック機能があったって、議論する気のないヤツはスルーするだろうし、そもそも書き捨てコメント程度に考えているブックマーカーが、自分のブクマした物を見返すなんて保証はどこにもないのです。 元々「議論の喚起が必要」と考えるブロガーは、該当エントリのコメント欄を利用するなり、トラックバックを送りつければ良いだろうし、相手の応答を求めていない者はブックマークを利用すればよいだけではないでしょうか。 寄せられたブクマのコメントに対して、被ブクマ者が「これは議論の必要性がある」と感じたのなら、ブクマコメントを引用して新たなエントリを挙げれば済むのであって、自分が「議論が必要だからブクマなんか利用するな」なんてのは、自分が作ったわけでもないウェブツールを「自分の理想通りに使ってくれ」という我侭だと思います。 はてなブックマークをネタの情報源とする人への話題提供(相手のブログに書き込むよりも議論が広がる可能性もある) はてなアイデアはほとんど見たことがないので、既出の要望にあるかもしれないですけど、ブックマーカーが登録した「自分のウェブサイト」にセルフブックマークした場合、そのIDの部分がマーカーによる強調表示されれば便利かも、と思いました。 書き忘れた。「議論を喚起するコメントはブクマコメントではなく、ブログのコメント欄を使え」と言うようなことを仰るここギコ!のコメント部分、文字が小さすぎて読みにくいぞッ! |
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