sociologbookとは?/ アイフル
[ 234] sociologbook
[引用サイト] http://sociologbook.net/
泣き言であるが、腰が痛くてたまらない。通勤が片道1時間半以上かかるのだが、JRでも座っていられなくて(俺の場合は椅子に座っていると悪化する)、ずっと立っている。常に体に力が入っているので、朝、研究室に着いた瞬間には、すでにどっと疲れている。そしてこういう時に限ってトラブルばかり多発する。特に今週はひどかった。俺ひとりではさばけない事案が3件ぐらい連続で発生して、対応に追われていた。そのあいだもずっと腰骨が折れそうであった。 まあ俺なんか下っ端の若造のペーペーの使いっ走りなんで、文字通り雑用しかしてないんやけど。しかしどの組織にも何もしない人がいて、のんびりと会議中に居眠りなんかしているのを見ると殺意をおぼえるが、そんなとき同僚の教授からメールが来て「嫌な仕事も頼まれるうちが花」……が、がんばります。 まあ、このご時世、雇ってもらえるだけで天国なんですが。いやほんと、俺は年を取ってから博士課程に入ったから、実はそんなに長く専業非常勤をやっていたわけではなく、むしろ博士号を取ってから2、3年で就職できたので、そういう意味では人生順調である。人様と比べるとたいした業績もないので、お恥ずかしいかぎりなのだが、まあ今年度こそは本書きますよ。できるだけ地味で、実証的で、ちゃんとしたデータが揃ってて、無理のない穏やかな議論をしているような本を書くのが目標です。 まあそれはそれとして、いつかソシログで「この業界における就職」について書きたい書きたいと思ってるんですが、「高学歴フリーター」みたいな本も出ましたけど、ずっと書けないでいる。俺なんかまだ恵まれてるけど、実際に悲惨な奴はいっぱいいるし、同じ時期に大学院にいた連中の、そうやなあ、9割ぐらいは文字通り消えた。どこで何してるかも知らん。比喩的な意味ではなく精神を病んだ奴もいたし、(家の中ではなく)「放浪生活というものにひきこもった」奴もいる。あとの人たちは本当に知らない。実は俺もそうなると思い込んでいたが、偶然が重なって大学にポストを得ることができた。 そうかといって俺を含めて就職できた連中が、そうやって消えていった連中よりも、ほんとうに高い価値があったかというとぜんぜんそんなことはない。また他方で、完全に運とかコネだけで決まるかというとそうでもない。 まあそういうことを昔からここで書きたい書きたいと思ってるんだけど、就職する前に書くとなんか負け惜しみしてるみたいだし、就職した後で書くとなんか特権的な立場から偉そうなことを言うみたいなカタチになるので、ずっと書けないでいる。ああなるほど、こういう問題って、こういうふうにして書きにくくなってて、そういうふうにして誰も書けなくなってて、そのおかげで結果的に世間の皆様の目から隠蔽されているんだなあ、と思う。 大学院に入った時点で自業自得、もとい、自己責任であるといえばそれはそうなのであって、自分でわかってて入ったくせに今更何を、ということは、俺もそう思う。まあでも、就職できずに自殺した奴もいて、あと、40代後半で就職できなかった奴が若くして就職できた奴にネチネチと飲み会で嫌味を言うのを何度か目の当たりにして、まあ、いつか何か書きますよ。あと逆に、「ああ忙しい忙しい、キミたちみたいな自由な院生がうらやましいよぅ」などと涼しい顔でのたまう関西の団塊の世代のフランス系理論社会学者とかも、いた。ほんまにぶっ殺したろか思たわ(笑)。 むかしむかし、かなり前、ある「行政が主催する人権文化イベント」に行ったんですが、まあ今でもお付き合いでたまに行きますけども。同和行政が叩かれてて予算も削られたせいか最近はこういうのもぐっと減りましたな。それで、そんときは「日本の少数民族」みたいなのがテーマで、アイヌと、在日コリアンと、沖縄と、あと何か忘れたけど、そういう人たちのグループが連続で出演して、それぞれの伝統的な音楽や舞踊を披露した。それがまたみんなめっちゃ下手。もう笑えて笑えて見てられなかった。何やねんこれあらびき団かよ。当時はまだあらびき団っていう言葉なかったですが。いずれもみんなそれぞれの領域でちゃんとした活動をしているグループではなく、なんかそのへんの当事者でもないただの学校の教員とかが勝手に集まってやってるようなグループで、ステージに出てきたときの挨拶だけは一人前で、アイデンティティだの侵略だのって言うんだけど。基本的に人前で演奏するときに下手はダメでしょう下手は。それで、そんときに会場に集まってたお客さんはどういう人たちかというと、みんな一人で来てる年配のサラリーマンとか公務員で、スーツで来てぼーっと座ってるわけですよ。要するにこれみんな企業とか行政から動員されて来させられてるわけ。そういうことがあるんだよ関西だと。で、興味なさそうにただ上司から行けって言われて来て、ぼけーっとしてるわけ。その前で、ろくに三線も弾けないような連中が、しらけてる客に向かって差別だの基地だの人権だのを演説しながら、ブームの島唄(笑)とかめちゃくちゃなリズムと音程で演奏してるわけですよ。何なんだよこの妙な空気は。何やねんこの空間。 解放同盟のある活動家で、とても信頼できる人がいるんだけど、その人がこういうのを内部から痛烈に批判してて、言った言葉が「それは人権割引だ」って。中身がともなわない文化活動でも、人権人権いうたら割引されて、素人でも人前で偉そうなこと喋りながら演奏できるわけですよ。 なんでこういうのを俺が許せないかっていうと、けっきょくこういうことするとみんなからバカにされて、運動にとって邪魔になるだけなんだよな。だいたい、差別差別いうたら人前で下手でも沖縄民謡弾けるって、それって沖縄そのものに対する最大の侮辱でしょう。やるんなら真剣にやれよ真剣に。 鈴木芳樹さんがお亡くなりになったらしい。詳細は知らない。言葉もない。かなり前からネット上で交流していただいていた。現実ではお会いしたことはなかったが、ネットで頻繁にやりとりをするようになってから、もう何年経つだろうか。10年ぐらい? というわけでこの二ヵ月ぐらいで那覇行って台北行って長崎行って、またこの三日間那覇行ってきました。出張だよ出張。台北はゼミ旅行だけど。 今回の出張もハードでした。まず金曜日、いきなり軽めのぎっくり腰。無理を押して伊丹から飛行機に乗り那覇へ。1時間だけホテルで休憩したあと大田昌秀氏の事務所へ。そう。あの大田昌秀氏である。あの、元沖縄県知事の、少女暴行事件の県民大会の、代理署名拒否の、名著『沖縄の民衆意識』の、大田昌秀氏である。たいへん緊張したのだが、ちゃっかり2ショットで写真を取って『民衆意識』も持っていってサインしていただいた。単なるファンである。今回はウチの大学で講演会をしていただくので、その打合せをかねて、ご挨拶に訪れたのである。 そのあとお食事をともにするということになり、たいへん光栄であった。いやあ人生どうなるかわからんな、あの大田昌秀氏と二人で飲むことになるとはねえ、ほんと光栄でした。前島の沖縄小料理屋の個室でえーっと6時間ぐらい飲んだですかね。しかし大田先生語る語る、驚異的な体力と記憶力であった。もう「沖縄戦後史そのもの」の方なので、いちいち驚くようなお話ばかりである。それでえーと生ビール3杯ずつ飲んだあと二人でウィスキー半分ぐらい空けて泡盛飲んで、大田先生も酒席3日連続ということで、10時ごろお開きになりました。そのままタクシーでホテル帰って休憩する間もなくジャズピアニストの久万田さん(副業は大学教授)が演奏する店にタクシーで。別件の仕事の段取りを相談させていただきつつテキーラ3杯空けて気がつくと飛び入り参加でベース弾いている俺。2曲ほど弾き倒しました。夜中2時ごろボロボロになって帰る。 そして昨日、土曜日。昼まで死んだあと例のいつも行く「ちょっとかわったすき焼定食」の「みかど」っていう大衆食堂に行ったら異様な光景。ナイチャーのホストが二十人ぐらいいた。そのあとちょっと時間が空いたので沖縄県立美術館はこないだ行ったからその隣に併設されている沖縄県立博物館へ。入ったとたんに港川原人がお出迎えである。両手をあげて「うりゃー」と声を出してるみたいなポーズでシカを追いかけていた。もちろん原人もシカも骨格標本である。そのあと与儀の県立図書館で資料探し。思っていたとおりの資料があったのでコピー。そのあとホテルに帰って1時間だけ死んだ。琉球大学の大胡兄貴から電話、またもやタクシーで宜野湾の「カメ」(漢字難しい)へ。琉大学部生女子、院生のF谷さん、ぎんねこ姐さん(いつもありがとうございます)、大胡兄貴と俺の5人でそうねえ、同じ店に6時間いたかな。飲んだ飲んだ。ビール飲んだあと、あれって2合瓶なのかな、泡盛3、4本空けたような覚えがありますが。ほとんど大胡さんと俺。またしてもべろんべろんになって2時ごろ帰って意識不明。今日は早めの飛行機で昼過ぎには大阪の自宅に。強烈に腰痛い。そして三日酔い。 毎度毎度飲み過ぎであるが、今回の出張はいろいろと収穫の多い、良い出張であった。調査実習の段取りもなんとかなりそうである。さて明日は授業したあと重要な書類作って夕方から大阪で調査実習の聞き取り調査@大正区、明後日火曜日は2コマ授業したあと4回生ゼミの飲み会、水曜日はたぶん8時間ぐらい会議と打合せデー。木曜日は普通に2コマ授業。金曜日の朝にポルトガル語レッスン(宿題やるヒマがない)したあと、三日間ぐらい寝ます。 李くんちの子猫シリーズ。今回が最終回である。なんと里親さんが決まったそうなのである。いやあ、残念ですが、かわいがってもらえそうなとこに決まってよかったね。ウチでほしかったなあ……。 リンクされているとこの他の文章もいろいろ読んでみた。個人ブログに対して批判はしたくない。でも、これはちょっと、いろいろ考える。 いやちょっとこの子、かわいいんちゃう? どんな猫ちゃんでもみんなかわいいけど、この子は特別かわいいような気がする。 バイト先で拾って連れて帰ったらしいんだけど、家族から嫌がられて、部屋で閉じ込めて飼ってるそうなんだよね。はやくみんなと相談してちゃんと自由にさせてあげないと、かわいそうだ! こんなかわいい子なら、いくらでも里親になってくれる人はおるで!!(笑)>李くん というわけで最近忙しい。先週の週末は学会出張で長崎に行ってたので、2週間ほど休みがなかったのである。というわけでこの週末は2週間ぶりにお休み。金曜日は朝イチでブラジル人の先生にマンツーマンでポルトガル語を習っている。これがまた強烈に楽しいのである。なんかもう社会学とか経済学とかの本読むのは仕事だし、たまにデイヴィドソンの何言うてるか一言もわからん抽象的な哲学の本とか、ポルトガル語とか、ふだん使わない頭を真剣に使うのって、ぼーっとするよりリフレッシュになるよね。まあまだレッスンも3回目ですけど、長年ブラジル音楽聴いてるおかげで発音は完璧らしいので(笑)、発音すっとばしてser動詞からすぐにestar動詞に入りましたよ。そーいやさいきん齋藤がアホのくせにスペイン語がかなりわかるようになってきて、ホセまりの新婚旅行のスペイン土産の(ありがとう!)雑誌のフアネスの記事も、けっこう辞書なしで読んでてくやしい。アホのくせに!! で、レッスンの後は櫻田竹内夫妻宅にてホセまり夫妻と一緒に6人ですき焼大会。うまかったですな。しかしアレだ、当事者当事者いうてきれいごとばっかり言う医者に限って大金持ちのくせに当事者をボランティアでタダ働きさせるのはあれは習性か? 本能か? 泣きたいのはそっちじゃなくてこっちやわワーーン! ごめんねわからん話書いて。続きは匿名でこっそり書いてるはてなの方に書くわね。誰にも教えてないけどね。そして土曜日は再び仕事なのであったチーン。さいきんの学生って「終わった」みたいな話のときに「チーン」って言うのが面白い。休日に仕事をするのはいっこうにかまわんが(雇ってもらえているだけで十分幸せです何でもやります)スーツだけはいまだに苦手だ。 そして今日。一日ヒマなのは何日ぶりだろう……。2週間か3週間ぶりぐらいでしょうか。昼間リビングのフローリングの板の上で2時間ほど気を失って昼寝してたら体冷えた冷えた。夕方からきしさいとうの最大の趣味娯楽「近所の散歩」である。今日は長柄方面の下町を歩いた。戦前からの由緒ある下層地域だったのが、戦後きれいな住宅地になったんだけど、ところどころでまだ極端に間口の狭い長屋街とかが残っていて、歩いていてたいへんに楽しい。バス路線以外はちょっと不便なので、いまのところに比べると住みにくいかもしれないけど、こういうところに住んでみたいなあと思った。まあどこ歩いてもそう思うんですけど。そしてそのまま北まわりで淀川沿いに歩いて帰ってきた。ほんといいよな淀川……。好きだ。宇宙でいちばん好きだ。20年前にひとりで大阪に移り住んだときにもよく歩いた淀川。城北大橋のあたり。いいよね淀川。宇宙で一番好きな場所ってたくさんあるけどほとんど大阪で、淀川。万博公園。中之島公園。源八橋。関西大学周辺。あと北浜らへんのレトロビルも好きだ。天王寺から四天王寺のあいだとか。あと上町大地。いいよなあ大阪。うっとりするわ。 追記! いま3時!! 近所のショットバーをハシゴしていま帰ってまいりました。今日もテキーラ飲んでべろんべろんです。さいとうも誘ったんですが「もう寝る」ということでひとりで飲んできました! というわけで、4時間後には起きます! 仕事頑張ろうね、みんな! |
[ 235] sociologbook | 2008/03
[引用サイト] http://sociologbook.net/log/200803.html
というわけで、ヒマがあると日記系を見てます。あいかわらずハマってます。こういうのが人生っていうもんだよな。思想とか哲学とか要らんよ。 他人にはどうしようもないんだけど。犬も可哀想。まだ5日分しか書いてないけど、すでに人の一生分の不幸が書いてある。 教務委員というお仕事を仰せつかっておりまして、それなりに忙しいんですが、民間の金融とか不動産とか旅行会社とかマスコミとかに比べたらぜんぜんマシだと思いますが、まあ忙しいことは忙しいです。うーん、どうなんかな。やっぱり忙しいんかな。原稿の締め切りとか抱えながら新年度のカリキュラムをいろいろアレするとか、履修登録のアレをアレするとか、雑用ばっかりなんですけど、まあ忙しいんだろうなあ。しかし大きな組織で正規雇用されるのが人生初の体験なんで、なにしろ今までバーテンとかバンドマンとか土方とかそんなんしかやったことがなかったんで、毎日が発見です。あと失敗。そりゃあもう大失敗とかしてますよ。まわりの皆様に助けてもらってます。 というわけで、まあ忙しいのか忙しくないのかわからんままに毎日働いておりますが、そんななかポカンと午前中ヒマになった日があったので、さいとうと近所をぶらぶらと散歩した。春だねえ。木蓮が満開で桜が五分咲きだった。 いやほんと、いま住んでる街が好きでね。桜ノ宮っていう名前もなかなか良いよね。さいきんゆっくり散歩する時間がなかなか取れないんで、ちょっと春の街を満喫してきました。 で、犬を撮るわけですけど。これは大阪市長公館のあたりだっけ。この子かわいい……。一緒にいたでかいレトリーバーがホームレスのおっちゃんの自転車と激突してたけど、おっちゃんは犬の心配してた。春の川沿いの公園ではみんないい人になるんだろうか。 そのレトリーバーにおっかけられていた猫の大家族のひとり。猫という生き物は犬なんかには捕まりませんよ。レトリーバーがガウガウ言うて茂みに入ったら、バッタの大群みたいに子ネコがいっぱい出てきて散らばったのがめっちゃ可愛かった。 OMPと帝国ホテル。そーいや、ここの帝国ホテルで去年「保護者懇談会」というものがあって、教務委員なんで出たんですが、近所なんでスーツで自転車に乗っていったところを他の学科の先生に見つかって爆笑された。俺って自転車似合わんらしい。 桜ノ宮の川沿いにいた、おはぎに似た子。えらい人なつっこい子だった。たくさん触らせてくれた。おはぎ「ちゃんと手を洗ってくださいよ」 源八橋あたりにホームレスがたくさんいて、犬とか猫とか飼ってます。NPO釜ヶ崎の貼り紙がしてあった。こんな天気の良い桜の咲く公園なら野宿もええかなあ、と、つい不謹慎なことを思う。すまん。 おまけ。男子小学生か男子中学生の心の叫び。野江にて。このへんは、戦後すぐの航空写真にもちゃんと今のままの街が写ってる。どうも空襲で焼け残ったみたいだ。迷路のような路地がつながっている。そして、ちんこ。 ちょうど台湾の旧正月で、各地で花火大会やらパレードやらやってましたが、これは永康街の公園でみかけたいかにも「町内会」って感じの小さなかわいらしいパレードで、真ん中にいてはならないキャラが堂々といます。 どっかの路地にある小さな公園で。なんかこういう健康遊具がいっぱいあって、台湾っぽい。みんな体にいいことが大好き。 ここが今回ハマった、路地裏の庶民向け小吃。梁家嘉義鶏肉飯。めっっっっっっちゃ旨かったです、この鶏飯。二回行った。そして安い。高級なとこも行ったけど、所詮きしさいとうは庶民向けの方が舌に合ってるみたいです。いやほんと旨かった。 帰り。中正国際空港って、今言わないんだよな。そういえば故宮も名前が変わってた。たしか中正記念堂も名前変えてたような気がする。いろいろあるんだよ、いろいろ。でも総統が変わって、また名前戻るんかな。 関西国際空港に帰ってきました。おっさんヨレヨレに疲れきってますが、学生さんたちは元気でした。いや楽しかったねえ。プライバシーのこともあるのでサムネールだけね。 というわけで、先日ゼミの卒業旅行で台湾に行ってきた。なぜかさいとうも付いてきたのであった(笑)。みんなでわいわいと写真撮ったけど、顔さらすわけにもいかんし、例によって街の写真としょうもないものの写真と食い物の写真。などなど。総統選挙とか無関係にやっぱり安くて旨くて人が親切で治安が良かった。いいねえ台北は。歩いて食ってマッサージ。歩いて食ってマッサージ。あと、なぜかビルケンが安いので、さいとうはお土産も含めて3足買ってた。いやしかし旨かったなあ、飯。 台北の町並み。迪化街ってとこ。レトロな下町でなかなかよかった。台湾スイーツの豆花荘ってとこに入ったんだけど、これがバカ旨。大当たり。 迪化街の路地。台北の街のテンプレ。上が事務所とマンションで、下が屋根付きの繁華街。ずっと繁華街。どこまでも歩ける。 どこも再開発。広告写真とその後の建物のギャップがナイス。なんか知らんけど屋上に並んでるのは自主制作の家か?(笑) 路地裏の名も無い(あるやろけど)商店街。若干シャッターが閉まってるとこの写真ですが、奥の方でたくさんの店が元気に営業してた。 えらいピンぼけですが、おされ台湾ベッド。おもいっきり合板。こういうの見るとああ台湾やなあと思って和む。 というわけで、ばたばたと仕事してますが、合間にコンビニ弁当の昼メシ食いながらネット見てて見つけた、今日の「人生劇場」 昨日のも恐かったけどこれも恐いねえ。途中で息子が泣ける発言をして、トピ主が別れる決意をするんですが、どうもちゃんとはっきりはよう言わんみたいですな。「借金は浮気と暴力とセット」っていうコメントが……。カネ借りる奴は調子のいいこと言うんだよね。途中でトピ主が何度か出てきて事態が動いていきますので、ぜんぶ読んでください。しみじみするわ。 子どもを使ったおかげでまさに袋だたき状態(笑)。コメント欄の途中で夫に殴られたとか書いてます。他にもいくつかトピ主が続き書いてるのもおもしろい。いろいろ考える。いろいろ、うーーん。しみじみするよな、人生。 というわけであいかわらず仕事ほったらかして日記系をうろうろしてたら壮絶なものを見つけた。ほんとに壮絶としか言いようがない。一個ずつ遡っていって、とにかく読んでいってください。まだ一ヶ月分ぐらいしか書かれていないんですが。 えーとこれ何とかできないですかね? やっぱり他人にはどうしようもないのかな。想像を絶する日記です。何もできないけど頑張れ! 「子犬の里親探し」のチェーンメールに見事に引っ掛かった(笑)。検索してみると出るわ出るわ。他のことでは引っ掛からないんだけど、犬とか猫とかの話になると、あかんねえ。ついつい、「1%ぐらい本当かも」って思っちゃうんだよね、って、それって引っ掛かる人の心理やな、やっぱり。 いろいろ鬱。鬱っていうか、何だろう。ダメだねえ俺。いろいろ。公私ともに(笑)。というわけで、昨日は夕方から久しぶりに会うお客さまで、いろいろ話して楽しかったな。食事はあいかわらず穴場に行った。穴場っていう名前の店です。えーとほんで、家帰って結構テキーラ飲んで、お客さまを見送ってから、さいとうとなぜか「歩き飲み」(笑)。コンビニで缶ビールと缶入りウィスキー水割りを何本か買って、歩きながら飲む。これ、やってみてください。べろんべろんになります(笑)。なんでかしらんけど、歩きながら飲むとなんぼでも飲めます。 なんかアレだ、じっと座って飲んでるのってヒマなんだよな。このへん街中なんでいくらでも散歩するところがあって、いい気分で飲みながらぶらぶら歩いてるとほんと楽しい。 というわけで深酒した日の恒例行事ですが、またまた早朝覚醒して今にいたる。風呂入ろうかなあ。おはきなは足元の電気ストーブの前をふたりで占領してのんびりしている。 ところで、そうやって夜の街なんかを歩いてると、特にこのへんは人口密度が高くて、いやあいろんなところにたくさん人って住んでるんやなあ。マンションひとつにでも何十人も住んでる。ほとんどみんな知らない人だ。みんなどういう暮らしを営んでいるんだろうなあ。明かりのついた窓を見ながらいろいろ想像する。そういえば小学生のとき、当時日本でまだ珍しかったミニチュアシュナウザーを飼ってたんですが、夜中にこいつを散歩してて、よく汚い運河の堤防沿いを歩きながら、マンションの窓の明かりを見て、あれぜんぶ人が住んでるんだなあと思ってとつぜん感動してたりしたな。 ふだん、はてな界隈のブログやブックマークばっかり見てるんですが、たまに携帯とかで書き込むような日記を読むと、これがまたすごい面白くてハマる。なんかすごいリアルだ。 前にちょこちょこ伊勢崎の風俗のことを調べていたときに、そこの風俗嬢がここで日記書いてるの見つけて、面白くてずっと読んでたんですが、彼氏のホストに殴られたり店で干されてお金がなくなったりしてきた時点で閉じられてしまって、今どこで何してるんだろう。 そのあともここでちょこちょこ覗き見をしている。みんな人生にいろいろあって、みんな面白い。どれも面白いけど、たとえば昨日読んだのはこのへん。個別にリンク貼るよりも、カテゴリー別なのをリンクしときますので、そこからひとつひとつ見つけていってください。どれもほんまに面白い。関係ないですが、ちょっとおもしろいなあと思ったのが、このブログってユーザーを「作家さん」って呼んでます(笑)。 はてなとかばっかり見てたら、何もわからんね。同じネットでも、パソコンから入るのと携帯から入るのでは文化がぜんぜん違いますな。 チベット亡命政府によるレポート。かなりひどい状況。「暴動」という言葉を使うべきではない。僧侶と市民による抗議活動を中国政府が実力で鎮圧しているのだ。 チベット市民による抗議活動はラサだけではなく全土に広がっている。各地の寺院は中国軍によって封鎖されているようだ。14日だけで80人が中国軍によって殺害された模様。 いま風呂上がりになんとなくテレビつけたら爆笑問題が大学教授んとこに話聞きに行くやつがNHKでやってて、それが本田由紀さんだった。「おお」と思ってわくわくしてしばらく見てたけど、いま消した。これって再放送なのかそうでないか知らんけど、いろんなこれ系のブログで評されているだろうから細かいことは俺が言うまでもないやろけど、なんか知らんけどいたたまれなくなって見ていられなくなった。 太田光だっけ、あの痩せてるほう。芸人としてもそれほど面白いとは思わないが、何よりも「パッと見ラディカルなだけ」っていう底の浅い世界観が好きじゃない(って俺みたいな場末のチンピラにこんな好き勝手なこと言われてつくづく有名人も可哀相ですが)。貧困や格差や差別みたいな考えることが難しい問題から逃げて「あんなもん放っときゃいい」式の問題のズラし方で何でもスルーできると思ってるみたいだなどうやら。アレだ、「貧困が問題になるのは経済的なモノサシだけで測ってるからであって、モノサシを変えれば人はみんなそれなりに幸せ」とか「社会福祉はおせっかい」とか言うアレだ。ちょっと暗い目の男子学生に多いよねこういうの。 他方で本田由紀さんも、ものすごい意外だったけど、テレビカメラの前でもわりとはっきりと「前の世代が悪い」「今の若い人は犠牲者」って言っちゃう人だったんだなあ(って俺みたいな場末のチンピラにこんな好き勝手なこと言われてつくづく有名人も可哀相ですが)。「企業が勝手に非正規雇用を増やした結果……」なんていって、太田が「勝手にやったわけじゃないでしょう」と噛み付いてたけど、関係ないですけど「若い女性のインテリ」に対してどうもこの人は態度が悪いような気がしますが。それはさておき、確かに大企業といえども生き残りをかけたコストダウン競争をしているのであって、なにか悪巧みをして非正規雇用を増やしていったわけじゃないだろ。 だから、こう言えばいいんだよな。たしかに個々の若い人たちに責任が無いとはいえないけど、これだけ若者の就労状況全体が悪くなってるのは、じゃあどうやって説明する? 若い世代にとつぜん情けないヘタレが増えたっていうの? そうじゃないよね。でも、だからといって、個々の企業やもっと上の世代が悪いっていうわけでもないけど、とにかく若い人々のこの悲惨な状況をなんとかしようと思ったら、やっぱり国や企業や上の世代の人々が責任を取るしかないよね。って、単にこういう話なんじゃないですかね。 なんかこう、ある意味どっちもどっちで、「悪い組み合わせ」の一例を見たような気がして、とにかく最後まで見ていられませんでした。ただまあしかし、本田由紀さんが今までやってきた仕事はほんとにすげえなあと思います。スでそう思います。いい仕事してはると思います。 うわあああああこれ何とかならんのか……。てか、いつもいつも不思議に思うんですが、こういうところに住んでる地元の人は大丈夫なのだろうか。花粉直撃なんじゃないのだろうか。 あと、いろいろリンクしようと思ったけど、やめたけど、「エコナショナリズム」っていうのが最近気になる。中国の餃子とかはまあ論外ですが、たとえば黄砂でも「中国の工場が排出してる有毒ガスを吸着して」云々っていう話がよく言われます。 排他的な愛国心って、要するに民族主義なんで、「風土」とか「自然」、「季節」、あるいは「血」という言葉で語られがちだ。でも最近は特に民族や人種をあまりにも表に出すといろいろマズいので、そのぶん自然やエコの文脈で語られているような気がする。日本の輸入食材に関する語りだけではなくて、たとえば欧米なんかのクジラなんかの野生動物を守る活動に、どれくらいナショナリズムが混ざってるか知りたいなあ。そんなもん検索すればいくらでも出てくるだろって話だがな。 というわけで、前の日までずっといい天気、次の日からずっといい天気、で、昨日一日だけ大雨。そんな足元のお悪いなか、大学の卒業式がおこなわれた。一昨年に赴任してからずっと面倒をみてきた岸ゼミ一期生たちが巣だっていくのである。 卒業式のあと謝恩会。って言わないんだけど。いやーなかなか感動的な謝恩会であった。みんなで写真撮ったあと、いきなりサプライズででっかい花束と手作りの写真集をもらった! 泣くわ!! みんなの写真をコラージュした写真集には、ひとりひとりから俺へのメッセージが書いてあって、泣くわ! こんなん読んだら泣くわ! あと、当日配ったゼミ文集(自主制作版)の表紙のデザインが俺の顔(ヒゲと眼鏡)で、これは笑いました。というわけで、さんざん飲んで食ってふざけていっぱい写真撮って、謝恩会が終わってもまだ残ってたゼミ生の一部で終電までバーで飲んでいろいろ二年間の思い出について語りました。みんな優秀で仲良しの、いいゼミでしたなあ。人生のいちばん良い時期を一緒に過ごせて俺も幸せだったよ。 というわけでみんな社会人になるのである。人生これからである。これから長いのである。ほんとにしんどいのはこれからだが、ほんとに楽しいのもこれからである。なんか悩みがあったらいつでも相談しに来いよ。アフターサービスは永遠に無料ですよ。 兵庫県尼崎市の自宅で昨年11月、認知症の妻の首を絞めて殺害したとして、殺人罪に問われた同市西本町北通の無職、橋本幸夫被告(85)に対する判決公判が12日、神戸地裁尼崎支部であり、渡邊壮裁判長は懲役3年、執行猶予5年(求刑・懲役5年)の判決を言い渡した。 犯行当時、被告は大腸がんの疑いがあると診断されたばかりで、警察の調べに「先に自分が死んだら、残される妻がふびんだと思った」と供述していた。 渡邊裁判長は、判決理由で、殺害動機について「被害者を1人で介護していこうという強い責任感が判断を誤らせた」と指摘し、「残忍で計画的な犯行で正当化される余地はないが、動機は理解できないものではない」と述べた。また「被害者の親族も被告人の献身的な介護に感謝し、寛大な処分を求める嘆願書を提出している」などとした。 「被害者の冥福を祈り、正しく生き続けてください」。裁判長の言葉に年老いた被告は何度もうなずいた。認知症となった80歳の妻を、献身的に介護し続けた85歳の夫が殺害した事件の判決。公判の中では、行政に頼れず、周囲から孤立していく「老老介護」の厳しい現状が浮かび上がった。 医師の診察を拒み、食事や着替えなど身の回りの世話は橋本被告がこなした。だが、症状は進み、房恵さんは夫のことも分からなくなった。「はよ子供のとこにいきたい」。失った息子を思いだしては泣いた。 橋本被告は献身的に介護を続けたものの、昨年11月、医師から大腸がんの疑いを指摘される。「妻の面倒を誰がみるのか」。介護の大変さを知っているからこそ親類に助けを求めず、介護保険で申請できたヘルパーを行政に依頼することもしなかった。 逮捕後、親類の男性に対し「ことを起こす前に相談しておけばよかった」と語ったというが、自身の病気から妻の将来を悲観し、孤立感が深まる中で犯行に至った。 2人が住んでいた尼崎市によると、市内では民生委員800人以上が地域ごとに介護が必要な高齢者家庭や独居老人などを見回っている。しかし、介護認定を受けていない場合、実態把握は難しいという。 高齢化社会が進む中、加害者、被害者がともに高齢の「老老介護」事件は増え、加害者の多くは橋本被告と同じ男性介護者とされる。判決で、渡邊裁判長は「もう少し現代医学や社会福祉機関を信じてくれたら、この結果にはならなかった。残念な犯行」とし、先月6日の論告で、検察側は「(事件の)遠因には高齢化社会に伴う国の福祉制度、介護制度のあり方が含まれている」と指摘した。 ところで、産経関西っていろいろ詳しくて面白いけど、表記が年号なんだよな。読みにくくてしょうがない。昭和26年って今から何年前だ? 勝手に西暦になおしときました。 「ものぐさ言説分析」「ものぐさ会話分析」っていうフレーズを思いついたんだけど、ネタにまで膨らませているヒマと才能がない。欲しい人は勝手に持って帰ってください(いるんか?)。いちおうかぶってないかどうかグーグルしてみた。俺もマメだなあ。 あんまりモロに政治的な話をしたくないんだけど、もうこのへんのいきさつは「中の人」しかわからんようになってると思うので、ちょっと補足というか。 大阪府の橋下徹知事は7日、3日目となる府議会本会議の代表質問で、同和問題についての認識をめぐって、代表質問に立った共産党府議と激論となった。 代表質問で共産党府議団の黒田昌子政調会長は「同和行政を継続することは、かえって『逆差別意識』を生じさせるなど、同和問題解決にとって有害。同和行政を完全に終結することが必要では」と問いかけた。 これに対し、橋下知事は「差別意識はまだ残されており、同和問題は解決されていないと認識している。一般施策によりその解決に取り組んでいる。解決されていないとういうのは、私の経験でも実体験でもある。いわゆる同和地区というところで育ったが、現在、同和問題は全く解決されていない」と答弁した。 黒田氏が「知事は差別意識がまだあるといわれたが、同和行政と同和教育は終わるというメッセージを発することが最も必要では」と再質問。 知事は「机上の論にとらわれることなく、本当に差別意識があるのかどうかを肌身で感じている人たちの話を聴いてから判断してほしい。差別意識というものは私の周りで現にあるということを認識している」と強調。その上で「同和問題が解決されていない、差別意識があるからといって特別な優遇措置を与えていいのかは全く別問題。すべて一から総点検していく。ただし、同和問題が解決されたというのは全くの事実誤認、認識不足だ」と主張した。 共産党って左翼じゃないの? どうして同和行政を終わらせたがっているの? というと、実は日本共産党は部落解放同盟を目の敵にしているのだ。解放同盟のことを「解同」っていうときがあるけど、もともとは共産党が解放同盟を攻撃するときの言い方。「いわゆる『解同』」みたいな言い方をする。 この件に関しては俺自身の立場もあっていろいろ自由に書くのが難しいけど。とりあえずこのあたりの共産党系のテクストを読むと、共産党が解放同盟をどう思ってるか理解できるんじゃないかな。どちらも解放同盟を批判する組織。 もともとは水平社の時代から戦後の解放同盟の一時期まで、共産党系の人たちは部落の人たちの中に入って一緒にやってきた。でも、いろんなことがきっかけになって、共産党の人たちは解放運動から離れていってしまう。たとえばこれとか。 このあたりで詳しいのは『戦後部落解放論争史』全5巻。ネットでいろいろ言うやつはせめてこれぐらい読破しといてほしいな。 ちなみに解放同盟が社民党系かというとそうでもなく、社民党にも民主党にも自民党にもいろいろ付き合いがある。あと、解放同盟の方から共産党に向かってなにかを発言したり批判したりすることは滅多にない。 共産党の人たちにもいろいろ言い分はあると思うので、党の活動自体をとやかく言うつもりはないんだけどね。弁護士さんなんかで世話になってる人もいるし。 しかしこの場合橋下知事の言っていることは正しいんじゃないですかね。まずひとつめ。差別はなくなってない。ふたつめ。いまの同和事業はいろいろ見直した方がいい。 さて、大阪は静かな日曜日、とても良い天気だ。おはぎも明るい窓際で、前足で顔を隠して寝てる。眩しいなら暗いとこ行けよ。 うだうだ続けているボサノババンドですが、メンバーのいろんな大人の事情でこのたびまたしても再編成を余儀なくされまして、パーカッションとピアノが都合悪くなっちゃって、それでこの際思い切りシンプルにしてやれと思って、残ってるボーカル嬢とギター(俺)の二人に、アルトサックスの「隊長」に参加してもらってしばらく3人でやることに。昨日、京橋のスタジオに入って初顔合わせした。ほとんど初見に近い状態で「せーの」で演奏、ついでに録音もしてみた。一発録音なんで全員間違えまくっててお恥ずかしいですが……。 中国とロシア。大阪でロシア人は見かけませんが、中国人は増えたなあ。ここ数年ニューカマーの労働者が増えたのも実感としてありましたが、ここ一年は特に観光客が増えた。こないだミナミのそごうとか大丸行ったらほんとに客が中国人ばっかり。そのあと道頓堀行ったらまた中国人の団体観光客ばっかり。地味な服と髪型で大声でしゃべって写真撮りまくってた。ああ、40年ぐらい前、大挙してハワイに観光旅行に行った日本の「農協さん」たちって、こんな感じだったんかなあ。 富裕層のロシア人観光客やビジネス客の来日が増えている。モスクワからビジネスクラスで到着し、ホテルのスイートルームに宿泊。ヘリコプターで富士山を遊覧し、京都で料亭遊びも楽しむ。温泉付きのスキーツアーも人気だ。新潟県内のスキー場ではロシア人の宿泊客がこの5年で25倍に増えたホテルもある。 日本航空の東京?モスクワ便のビジネスクラスは、かつて日本人が大半を占めた。が、05年度から外国人が急に増え始めた。昨年度は、旅行客が目立ち始めた02年度に比べて3倍になる。現在、ビジネスクラスの外国人の8割がロシア人という便もある。11月1日の便では56席のうち55席をロシア人が占めた。 旅行会社「ユーラスツアーズ」(東京都)によると、人気の観光地は銀座、箱根、京都、奈良など。家族連れなど個人客が多く、同社のストリグノフ・セルゲイさんは「手配した客の3割程度が富裕層」。都内の高級ホテルの広報担当者は「昨年10月ごろからロシアのお客様を見受けるようになりました。1泊数十万円のスイートルームに1週間ほど滞在するケースが多いですね」と言う。 京都では料亭遊びを楽しむロシア人観光客も出始めている。旅行会社「ジェーアイシー旅行センター」(同)の林寛之さんは「月に1回程度、問い合わせがある」と話す。 苗場スキー場のある新潟県湯沢町の苗場プリンスホテルでは、02年度に延べ人数で約60人だったロシア人宿泊客が昨年度は約1600人になった。今年度は2000人以上を見込む。朝夕食込みでリフト券付きの宿泊代金は1泊1人約2万円。スキーのほか、露天ぶろも人気。ロシアの極東地方では設備の整ったアルペンスキー場はあまりないという。 中本信幸・神奈川大名誉教授(ロシア文化)は「ロシアでは和食のレストランが増え、日本のアニメも人気。日本への関心が高いなか、天然資源の輸出による好景気が追い風となり、観光やビジネスで来日する人が多くなった」と話している。 この秋、モスクワからやって来た40代のロシア人夫婦2組が、ロシアで雇ったカメラマンと共に東京湾に面したヘリポートからヘリコプターに乗り込んだ。目的地は富士山。 ヘリコプターは山頂に接近。カメラマンはさまざまな角度からシャッターを切り、2組の夫妻は上空から初秋の富士山の雄姿を堪能した。飛行時間は約2時間。手配したユーラスツアーズによると、費用は1時間あたり30万円という。 05年11月、成田空港にモスクワから自家用ジェット機が着陸。降り立った2人の若い男女は車で銀座に向かった。高級すし店を2時間貸し切り、その日のうちに帰国した。2人の父親は、モスクワで人気のあるすしと天ぷらなどを出す日本料理のチェーン店の会長で、ジェーアイシー旅行センターは「貸し切り費用は1000万円でした」と話す。 12月7日の成田空港。ビジネスクラスにチェックインした会社経営、ピスクノーブ・ミハイルさん(35)は今年、日本とロシアとの往復が10回目となる。日本製の建設機械の輸出を手がけている。「国や地方の財政が良く、ロシアは今、建設ラッシュ。今回は人気が出ている日本製バイクの取引でモスクワに行く」。搭乗直前まで携帯電話で商談に打ち込んでいた。 11月には晩秋の日本観光を楽しむ多くのツアーが組まれた。10日の日程で友人12人と東京、京都、奈良などを回ったモスクワの会社員エレーナさん(68)は「姫路城が一番良かった。費用は約50万円。招き猫を買ったわ。インド、台湾、インドネシアにも行ったけど、日本にもう一度来たい」と話していた。 〈好況にわくロシア経済〉 ロシアは原油、希少金属、天然ガスの産出量が世界有数で、天然資源の価格高騰を背景に03年以降、国内総生産(GDP)は6%以上の増加と高い伸びを示している。モスクワでは高級ホテルの建設が相次ぎ、ロシア人富豪による英国サッカーチームの買収もあった。 大阪を訪れる外国人が中国などアジア諸国からの観光で増加し、平成19年度は200万人の大台に乗る見通しであることが大阪府の推計でわかった。大型家電店や百貨店、ブランドやキャラクターのショップが密集するミナミが「短時間で買い物がしやすい」と人気を集め、店側も中国の銀行カード決済を導入したり、留学生をアルバイトに雇ったりと、“アジア・シフト”を強めている。東アジア経済の急成長を背景に、大阪は「観光商都」に姿を変えつつある。 「日本に観光で来る中国人はお金持ち。中国にないもの、特に玄米茶や煎茶(せんちゃ)は上海で人気です。何キロ、何十キロとまとめて買っていかれるお客さまもいます」 心斎橋筋商店街の大丸前の宇治園本店では昨年11月から中国出身の留学生、雷紅●(絹の糸が女)さんが中国、台湾から観光客の接客を一手に担っている。 創業130年の同店が、中国人スタッフを雇ったのは初めて。雷さん採用後、同店の売り上げは前年同期比で約10%伸び、日本人もなかなか買わない100グラム1万円といった高価なお茶も売れている。 大橋良弘店長は「うちに限らずミナミではアジアからの観光客に対応できるかがカギ。中国語のできるスタッフを置く店は増えていくでしょう」と話す。 商店街では中国の銀行が発行する銀聯(ぎんれん)カードの決済を導入する店が増加しており、観光マップには利用可を示すマークがずらり。堺筋周辺では中国人中心、韓国人中心などターゲットを絞り込んだホテルの色分けも進んでいる。 旅行会社の関係者によると、家電は秋葉原、ブランドは銀座、繁華街は新宿と分散する東京に比べ、ミナミは「団体の2〜3時間の買い物に最適」(旅行会社)で、心斎橋の大丸・そごう前などが集合場所になっているという。 これらの背景として見逃せないのは、府が17年度から取り組んでいるキャンペーン。「ビジット大阪」と銘打ち、中国や台湾、韓国などの政府関係者、旅行会社などに直接、大阪を売り込んできた。 日本の外国人観光に関しては長く「関西で観光、東京で買い物」というパターンが続き、「大阪には金が落ちない」のが定説だったが、府は周辺府県と協力して中国の旅行会社に広告費の一部を援助するなど、関西をツアーの最終地にするプラン作りを促進。「大阪の商売関係者も中国の観光客をより意識し始めている」(府観光振興課)という。 さっきねずみ王様に電話したら「ここんとこ忙しいみたいやな」「なんでわかるん?」「そらソシログの更新スピードでわかるわ! 更新しすぎや! よっぽど仕事たまってるねんな」ぎゃはははうるさいほっとけ。仕事たまってるどころか尋常じゃないぐらい切羽詰まってるわ。しかも夫婦で。おれもいなばさんとかやまがたさんみたいなアタマが欲しいよ。ほんと俺仕事できねーわ。頭悪い。で、切羽詰まってるときはブログ書いちゃうよね。 で、切羽詰まってるときは昔買ったマンガも面白いよね。今日もこれ読んでなんかしみじみしたんだけど。前にも紹介したと思いますけどね。 玄田有史の『仕事の中の曖昧な不安』が2001年、小杉礼子の『フリーターという生き方』が2003年だっけ。他にもいろんな人が21世紀に入っていろんな研究を報告し、メディアもいっせいにそれを取り上げ、フリーターに対する考え方がまったく逆転してしまった。フリーターの次はニートっていう言葉が輸入され大流行し、そのあとの格差やワーキングプアのブームにつながっていく。ただ、ブームとしては終わってるみたいで、こないだ出版社の中の人に聞いたんだけど、もう去年か一昨年あたりからは格差本も売り上げが伸びなくて、いくつか企画がポシャったりしてるみたいです。 ハルチンは23歳、地方から上京したフリーターの女子だ。普段はアクセサリー屋でバイトしながら、せまいワンルームに一人で住んでいる。最終学歴はおそらく専門学校卒。普段の買い物はコンビニで、食事はガストや回転寿し、マクド、ピザ、モス、たまのごちそうはフォルクスで。男前な外見と性格のおかげで恋愛とは縁がなく、最大の関心事は服とおいしいもの。安い給料で生活はカツカツだが、たまに衝動買いで浪費してしまう。 最初に読んだときいちばん面白いなあと思ったのは、一人暮らしのフリーターの女子のいい加減な暮らしが細かく描写されていることだ。とにかくカネがなく、部屋も汚く、行儀も悪い。でも女子らしいかわいいところもたくさんある。その辺のバランスがリアルで上手い。絵柄も他の魚喃キリコの作品とは違って、かなり明るい感じだ。都会で一人暮らしをする若いフリーターの女子の、特に何もドラマチックなことのないアホな日常をコミカルに描いた傑作。 たまたま現実逃避で今日久しぶりに読み返してやっぱり面白かったけど、初版が10年前ってところみて、なんか知らんけどしみじみした。さいとうとほぼ同じ世代である。今30代前半になっているはずだ。ハルチンはいま何してるんだろう。 大卒なら、この好景気に乗って派遣事務員から正社員に首尾よくなれたかもしれない。専門卒でも、手に職がついていたら何とかなっただろう。でも、だらだらと毎日を単純なバイトで過ごしていたハルチンには、どう考えても階級的な上昇のチャンスがたくさんあるとはいえないだろう。 全てが明るく楽しい、というわけではないけど、とにかく若いフリーターの気楽な生活を気楽なままに描くことができた時代だったのかもしれない。『ハルチン』が出版されたあとすぐに、フリーターやニートが深刻な社会問題として語られるようになった。『闇金ウシジマくん』におけるフリーターの描き方と比較せよ。 しかしでもなんか若いフリーターの生活が気ままそうでなんかうらやましい。というかなつかしい。俺も20代はずっとバイトばっかりやってたからなあ。自分の未来から大事な人生の時間を前借りして浪費してるようなもんだけど、今から考えると素晴らしい贅沢だ。 ただまあ、それでもやっぱりハルチンの現在が気になるんだけど。30代前半かあ、どうなってるんやろうなあ。あいかわらずバイトのままだったらけっこうしんどいかもしれんな。 さいとうと近所のショットバーでけっこう飲んで家帰ってからまたテキーラ飲んでへろへろ。いま3時。ところで先日さいとうが芦原橋の人権研究所の会議に行くためにJR大阪環状線(東京の山手線に相当)に乗っていたら、ひとりのおっさんがわりと混んでる昼間の環状線の車内でとつぜん大声で叫びだし、しまいに歌いだしたらしい。途中で下ネタ系放送禁止用語が出てきますが、資料的価値を優先させてそのまま掲載しました。ご了承下さい。 *3 あの「ジンギスカン」の歌とは別。どうもオリジナルっぽい。次の「闘いに敗れた」というところもおそらくオリジナル。 乗客はみんな蜘蛛の子を散らすように、まあ蜘蛛の子を散らすことはおろか蜘蛛の子自体見たことないんでどんな様子かわかりませんけども、モーゼの十戒の海並みの割れ方でざざざあっと引いていったらしいんですが、さいとうは面白さに負けてずっと近くで聞いていたそうです。ちなみに、俺にこの情景を説明するときでも下ネタ系放送禁止用語をちゃんと再現してました。 なんかこう、こういう人たちの自由な表現を自由に聞いてみたいんですがね。そういう場って与えられないのかな。アトリエインカーブみたいな表現場所って無いのかなあ。ココルームとか?(←勝手に書いてる)アールブリュットの絵も面白いけど、こういうパフォーマンスもじっくり見てみたい。 どうなんでしょうかね。どうも書くのが難しい話ですが、こういうのを作品として楽しもうという態度はやっぱり差別なんですかね。差別とは言わんまでも、どっかでこういう面白がり方は不謹慎なような気もするし。どうなんでしょうか。かといって医療や福祉の空間に閉じ込めて専門家の支配下に置くのもね? 昨日のエントリがえらいブクマされまして、いま80ぐらい。ページビューいつもより多かった。ふだん放ったらかしにしていない時で一日だいたい500から1000ぐらいのアクセスなんですが、昨日の24時間で3500。まあ人気ブログからみたら大した数じゃないですが。どうせ一過性だし。 まあ、もう大丈夫だと思いますけど、念のために書いておきますが、morewhite さんは最初から男性全体を悪くいったりはしてないですからね。あくまでも性犯罪の加害者の話。男性全体にひろげて一般化したのはあくまでも私です。って、そんなこと誰でもわかりますかね、心配しすぎですかね(笑)。 ウチのはてブのコメントでおかしいのがいくつかあって、さいとうとゲラゲラ笑いながら見てた。いえいえ、ネガティブコメントも歓迎ですよ。読んでいただけるだけで幸いです。 ただ、ちょっと面白いなあと思ったのは、たぶん男性が多いと思うんだけど、「男性全体を一般化してひとくくりにするな」っていう普通の当たり前のコメントがいくつかあって、そんな普通の当たり前のことをよく書くなあと思いながら見てたんですが、そういう普通の当たり前のことに俺がまったく思い至らずに書いてるとか思ってるんでしょうかね。 俺は男性の男性性については今んとこネガティブなことしか語れない。これは何でかっていうと、俺が男性っていう当事者だからだ。ヘテロだろうがゲイだろうが、男は男だ。他の男のことはよく知らんけど、好きで男に生まれてきたんじゃないけど、すくなくとも俺は自分が男であるということから逃れられないと思っているし、男であるということは、他人に誇れるようなことじゃないと思っている。それでは女はじゃあどうなのかというと、女でいたことが一度もないからそんなことは知らん。 えーとわかるかな。この場合、俺は男というものに縛り付けられているのであって、だから、「男とか女とかで分けるのはおかしい。悪いのは男でも女でも加害者になる奴ら」とか、そういう当たり前で真っ当なことはちょっと言いにくいんですよ。 こんなこと言うと今時の社会学者から笑われるかもしれんが(笑)、男性や女性の欲望が「社会的に構築される」っていうのは、別に反対はせんけど、ただ「構築」の言葉の意味を間違ってるだろそれは、とは思う。社会的に構築されるっていうことは、ただ根拠のないラベルを貼られるだけのことじゃなくて、もっと深くてもっと怖い何か。 で、男でいるということはどういうことかというと、まあちょっとまだよくわからんけども、ただ「どうして俺は女みたいになれないのか」とは毎日思う。なんでこんなものにちんぽ立ててるんだ俺は、とかも時々思う。 なんていうかな。悪いのは悪い奴であって、それは男も女も関係ない、みたいな、良識的で常識的な普通の当たり前のことを書けないんですよ、どうしても。なんか自分の当事者性から逃げてるだけじゃないですか。じゃあなんで大阪府警察安まちメールに出てくる痴漢や不審者や子ども相手に性器見せる奴は男ばっかりなんだ? なんで男子小学生におめこ見せる女性はいないの? 負の当事者性、って、勝手に呼んでるんですが、好きで男に生まれてきたわけじゃないのも確かなんだけど、もうそういう遺伝子を与えられた時点で何かの責任、じゃないけど、なんかのマイナスの当事者性が、押し付けられているわけです。生まれたときから借金してるんだよ、男は。 なんかこう、どう言うていいかわからん。わからんけど、「『男も女もない』って男が言う」っていうのは、たとえば在日コリアンの友だちにむかって日本人の俺が「国籍や民族なんか関係ないよね! ひとりの人間として友だちだと思ってるよ!」って言うみたいな感じですか。言われた方がどう思うかは言われた方の問題だろうけど、言う方としてはちょっとそれは言えません。 電車が空いていても、電車の外でも、痴漢は居る。露出していなくても、繁華街を通らなくても、強姦は起きる。自衛していたって、落ち度なんかなくたって、起きる時は起きるのだ。 自衛していない(ように見える)女がどうこう言う前に、世の中の男たちの、この自制心のなさはどうだ。まさかと思うけど、男が自制心をなくすのは当然のことですなんて言ったりしないよね? 逆に言えば、そんな男ばっかりで当たり前、なんて言い分がまかり通るんだったら、女性の自衛なんて無駄以外の何者でもないじゃないか。 ちょっと前の話なんだけど、ウチの大学の女子が夜道を歩いていたら、うしろから自転車で追い抜いていった男に後頭部を叩かれたらしい。男はそのまま自転車で逃げていった。痛いと思って叩かれたところを触ったら何かの液体が付いていたらしい。彼女はその夜のミクシ日記で「男はみんな死ねばいいと思います」と書いていた。 沖縄の女子中学生暴行事件に関する花岡某の例のエントリではてな界隈もかなり燃え上がってるみたいで、これに触発されていろんな人がいろんなことを書いてますが、ほんと男って何だろうな。男は空っぽですよ。男の本質は空っぽなこと。空っぽだから、そこに力を入れたがる。これはゲド戦記の4巻のコケモモのおばばの台詞だな。じゃあ、女は? 女はもっと、地中の深いところにつながっている。じゃあ竜は? 竜だって? わしらは竜について何を知ってる? 竜はただそこにいるだけ。うろおぼえですが、いやあゲド戦記いいですな。特に4巻。あれはいい。何度読んでもいい。ほんとしみじみといい。2巻と4巻。 俺だって例外じゃなくて、いつもびくびくしている。俺ももう40になったんだけど、いくつになっても変わらんなあ。 スティーブン・キングの『IT』に出てくるベヴァリー・マーシュっていう女性は、手元になくてうろおぼえて書いてますけども、父親から虐待を受けて育つんですが、成人してからもやっぱり自分に対して暴力をふるう男性を配偶者として選んでしまいます。で、この殴る旦那の内面描写がものすごいリアルで、『ローズ・マダー』でもそうですが、男のイヤなとこ描くのうまいですなあキングは。この旦那は、ベヴァリーにいろいろ命令する。それでその命令にひとつでも違反すると「おしおき」をする。という関係をずっと続けてきたんだけど、ある晩に「あること」があってベヴァリーはその命令に堂々と背いてしまう。そのとき彼のなかでは怒りよりもまず不安と恐怖がわき起こってくるわけです。俺の言うことが聞こえないのか? 俺のことが目に入らないのか? ……俺は存在しないのか? 女を殴る男は、殴ったことないからわかんないけど(笑)、たぶん被害者は自分だと思ってるだろうね。いちばん傷ついているのは自分だと思いながら相手の女を殴ってるよ。 男っていうのはまずアレだな、女に命令するんだよ。それで、女に言うことを聞かせて、それで初めて存在できるわけだ。だから、命令に背かれると、それは存在を否定されたと同じことなんだよな。 なんかでも、さいとう以外の女性をあまり深く知らないので勝手な推測ですが(本人に聞こうにも今はもう真夜中で、ひとりで寝室でぐうぐう寝てる)、さいとうなんか見てると、女性は最初から他人は自分の言うことなんか聞かないんだっていう前提から始まってるような気がする。違いますかね。相手に何か要求するときでも、ストレートに要求するんじゃなくて、なんかこういちいち交渉したりなだめすかしたりおだてたり、あるいはそういうコミュニケーションが生まれにくい環境、たとえばすっかり愛がなくなってしまった夫婦とかの場合は、環境全体を制御して相手を誘導していく、とか言うてこのへんになるとまったく当てずっぽうで書いてますけどね。よっぽどモテる人は別でしょうけどね。 男は馬鹿だな。女に何かしてほしいときはダダをこねるか怒るか拗ねるかしかないもんな。「まだ手に入っていない女」を手に入れるためにあれこれ画策するっていうのはまた別の話で、たとえば彼女なり妻なりといった安定した関係に入った相手の女性に対して何かしてほしいときに、お互い平等な立場に立って、言葉で交渉したりお願いしたり説明して説得したりという作業をすること自体を屈辱だと思ってる男性はけっこう多いぞ。簡単に言うと、女と対等になることは男にとっては負けなんだよ。 まあ要するにアレだ、女に言うことを聞かせるっていうのが、男の快楽やアイデンティティの核心的な部分の要素になっているってことだ。男は女に命令したいんだよ。女をいじめたい。無理強いしたい。わざわざ嫌がることをしたい。金の力で自由にしたい。独占して閉じ込めたい。自制心をなくしてついつい手が出るんじゃなくて、女を傷つけたり嫌がらせをすること以外で自分を保てないのが男だ。それぐらい怖いんだよ女が。 だからみんな痴漢より痴漢冤罪の方を怖がるのかもしれん。「男性差別」(笑)で検索すると怖がってる連中がいっぱい出てきます。 学校や職場でのセクハラが厳重に罰せられるようになって、ほんとうによかった。電車の中の痴漢が犯罪であるという当たり前のことが当たり前になって、ほんとによかったと思う。混んでる電車に乗るときは喜んでバンザイするよ。 夜中の3時半に何書いとんねん俺。しかし冒頭で書いた女子の体験だけど、そのあと他の学生にいろいろ聞いたら出てくるわ出てくるわ、ほぼ全員が似たような体験がある。なんかこう昼間の明るいキャンパスに似つかわしくない、人間の暗い部分を、女子はみんな体験してて、男子はみんなそのことを知らないのだ(いやほんとにみんな知らんよ、おなじ教室にいる女子がどんな体験してるか)。来年度の調査実習か演習でアンケートとってみようかな、こういう不愉快な事件の経験率。 もうどうしても仕事したくない。ところでNilufer という歌手がトルコにいて、有名らしいんですが、もっすごいいいです。めちゃくちゃ好きです。 どうですかね。演歌だよね。シルクロードと日本海を渡って全部つながってるんだろうね。基本的にはアラブ音楽の範囲内なんだろうか。ところどころでヒターノやインド音楽に近いフレーズも聴こえてくる。これ、Ojos de Brujo(オホス・デ・ブルッホ。バルセロナのミクスチャーバンド。フラメンコ+サルサ+ヒップホップ+レゲエ+ファンク+ジャズ。いま一番好きだ。ライブ盤めっちゃかっこいいですよ。またご紹介します)と競演してくれへんかなあ……。もっすごいぴったりだと思うんですが。 ぜんぜん情報が無いんだが……。地名や会社名と同じよくある名前なんで、なかなかグーグルでも探すことができない。 しかし日本人は何でも知ってるなあ……。扇町に「スイートココ」っていう小さなCD屋さんがあって、さいとうがいつもお世話になってるんですが、南米スペイン語圏の音楽がすべて揃っている。サルサやメレンゲといったわりとこっちでもポピュラーなものだけじゃなくて、バジェナートとか何とかとか、よっぽどのマニアじゃないと知らないような音楽がたくさん置いてある。その筋によると日本一だそうで、いやアジア一だな。南米以外では世界一かもしれない。たぶん世界一だろう。ちなみに店長さんのライフヒストリーがめっちゃ面白い。しかし日本人は何でも知ってるよなあ。 いやあ、いいですねトルコ演歌。なんで日本の演歌はあんなにダメなんだろうねえ。編曲がものすごい悪いよな。チャラチャラしたストリングスとかいちいち入れんでええちゅうねん。北島三郎や石川さゆりにアンプラグドで歌ってほしいなあ。いやほんと。一曲だけ、石川さゆりの「飢餓海峡」のギターバージョンっていうのがあるんですが、これについて語りだすと長くなってしまうのでまた改めて書くぞ!!! なんで更新頻度が上がっているかというと仕事が切羽詰まってるからであって、もうヤダ。仕事したくない。可愛らしい動物を愛でるだけの人生を送りたい。おはきなのような。犬と猫を可愛がって世話をするだけで年収3000万ぐらいもらえるとかそういう仕事ないですかね。犬と猫の世話ならもういくらでもやりますけど。一緒に散歩したり。じゃれあったり。ごはんあげたり。一緒に寝たり。 ところで唐突ですが下位文化って描くの難しいよな。いま書評書いてるんですが、都市下層地域の下位文化のフィールドワークものです。書けたらまたアップします。 「貧困の合理性」って勝手に名付けてるんですが、構造的劣位におかれてる人々のなかでは、経済的・社会的な条件を生き延びるために、独特の下位文化が発展することが普通によくある。いちばん有名なのがウィリスのハマータウン研究だし、あるいは俺が修論で取り上げていつか翻訳してやろうと思っていたら先に翻訳されてしまったこの本(ところでタイトルの意味を「どうせできっこない」みたいな意味だと思っていた……逆であったか……俺が翻訳しないでよかった)なんかでも描かれてて、日本語ですぐ思い浮かぶのは小笠原祐子の『OLたちのレジスタンス』ですか。まあ女性は「貧困」じゃないですけど、構造的に弱い立場にある人たちは、まわりの環境をまるごと変えてしまう(革命)よりも、最小限のコストで最大の利益を得るために、まわりの環境と一種の共犯関係を結ぶことがある。それによってゲリラ的に生き延びて利益を得ることができるんだけど、そのかわりに自分たちを抑圧しているまわりの環境や構造は相変わらず存続していて、それどころか弱者や貧困者たちのそういうゲリラ的な戦略によって、かえって環境や構造が再生産されてしまう。 下位文化が環境を利用して生き延びている、という積極的な側面と、下位文化が環境を再生産している、という否定的な側面をどのように評価するかは、きわめて難しい問題である。もちろん「どちらもある」という逃げ道は論外としても、どちらがどれほど、という評価は、調査対象や研究者の立ち位置によってケースバーケースとしか言えないかもしれない。しかし、今のところ下位文化の否定的な側面についてあまり掘り下げた調査研究があるとはいえないのではないだろうか。これはひとつには、現場や対象との「人間関係」の真ん中でしか仕事ができない「調査屋」の抱える限界が理由となっている。誰だって世話になった現場を悪く書きたくはないだろう。 また、もうひとつの(より理論的な)問題として、「貧困の合理性」にあらわれるような下位文化の否定的な評価は、ともすれば病原を探索する医者のような「治療的まなざし」による文化の剥奪論的な解釈を生み出してしまいがちだ、という点がある。たとえば臨床心理の領域では、ホームレス男性の生活の規範や意識を、「貧困の原因」とみなし、それを「治療する」という論文が実際に生産されている。 こうした現実からすれば、弱者の文化や貧困の合理性を、構造を再生産するだけのものとして否定するのではなく、主流の中産階級の文化よりも劣ったものではない「もうひとつの生き方」だと捉えることには十分な正当性がある。 だが、それはともすれば、貧困を「別の生き方」として誤摩化してしまうことになるのだ。それはどこかで、貧困が問題になるのは経済という基準でだけ社会を見たときだけであり、別の物差しで見ればそれはそもそも問題とはならない、という、ありがちな「ポストモダン保守」の劣化コピーへとつながってしまうのである。 さて。さいきん読んで面白かったもの。もちろんたったこれだけじゃないけど、たまたまメモしておいたもの。 不覚にも泣いた。反則や。他の「かわいそうなゾウ」ものと違うのは、生きていたって結局は閉じ込められるだけの生だってはっきり言うてるところかな。俺は昔から動物園が怖くていけないんだよ。狭い所に閉じ込められて一生を生きるって、ひどい話だよな。動物がかわいそうだ。まあ過酷な野生のなかで生きるのも大変だろうけど。 気持ちはわかるが落ち着こう。気持ちはもっすごいわかる。俺も何度もこれやられたことがある。俺はここまで罵倒はしないけど、まあしたくなる気持ちは痛いほどわかる。 むちゃくちゃ笑った。おすすめは「びょう気をふせぐ人工えい星」と「ごはん!!」かな。もう何が言いたいんだかまったくわからんやつもある。 マギポンよりもひそかに注目しているのがこの人。千葉県に住んでるらしいが、バックがめちゃくちゃ見慣れた和室なのが笑える。歌はかなりうまいと思う。関係ないですがMacユーザーだな。ガレバンってほんと楽しいですよね。 これいいなあ……地名がぜんぶよく知ってるところなのでなおさら楽しい。いいですな。都市を血管のように流れる道路を客という酸素を載せて運ぶ赤血球のようなタクシー。川のようなヘッドライトの金色の筋が目に浮かびます。ああ都市。ここは大大阪。いつかこの人のタクシーに乗ることもあるかなあ。しかし日報でjpgで出力されるんか? どうやって載せてるんだろう? さて寝るか。さいとうはすでに仕事放棄して爆睡しているようだ。これを書いている今、書斎のストーブの足下でおはぎがぺっちゃんこになって寝ている。 コザも久しぶりだ。那覇から遠いので、足がないよそ者は簡単に行けないんだよな。仕事は那覇でしかできないし。 ちょうど中学生暴行事件の直後で、米軍と沖縄県警の警備車両ががんがん走ってて、ものものしい雰囲気でした。 琉大の大胡アニキとぎんねこ姐さんと一緒にコンディション・グリーンの川満勝弘氏のライブハウスへ。店内もほとんど米兵。しかしアレだな、黒人と白人って今でも別々に行動するんだなあ。はっきり写ってないけど客席にいるのは5?6名の黒人米兵と、なんかそのまわりにたくさん集まってたきれいなお姉さん方。お姉さん方はフィリピン人ぽい人もいたけどだいたい日本人。 バンドのメンバーはみんな超絶テク。ひさしぶりに生演奏を堪能。ロックバンドというか、どっちかというとセッションバンドぽい。俺も飛び入りしたかった(笑)。なんかこれ見て帰阪したあと一日中ベースの練習してた。いやあいいですな音楽。と酒。テキーラがぶ飲みしてべろんべろん。 チャージ表。ところで、軍をリタイアしたあとそのまま沖縄に移住してる謎の爺がブルースハープ吹いてた。そしてその横にいたこれまたきれいなお姉さんお二人。聞いたら横須賀から来てるということで、米兵にくっついて基地から基地へ渡り歩いてるんか? 歳はさいとうぐらいだった。写真撮ったけどさすがにプライバシーのアレなんで載せられませんが。人生だよ人生。 というわけで、渋いぜコザ。3時まで飲んで4時に宿に帰って5時に寝て7時に起きて9時の飛行機で帰阪。ネットで新聞見ると同じ朝にマリーンが二人逮捕されていた。 ちょっと無遠慮な写真ですが……。那覇のモノレールの某駅の真下にある不思議な一画。中心にあるのは巨大な沖縄風のお墓。この集落に入って行く道がない。どうやって出入りするのだろうと思ってみていたら、細い隙間のような路地を歩いて帰ってくる人がいた。そしてまたこういうところには大量の猫がいるんですよね。写ってないけどたくさんの猫が自由にうろつきまわっているのを何度も見て和まされた。都心部の割と一等地にあるんですが、那覇っていうのは一等地の路地裏にこういう一画がたくさん残っている不思議な街だ。 沖縄名物「ちょっとそれは違うんちゃうかメニュー」シリーズ。前に地元のスーパーで売っている独特の「親子丼」を載せましたが、これは那覇でいつも昼飯を食いにいっている大衆食堂の「すき焼き定食」。これはすき焼きというよりも、何だろう。肉と野菜の薄い煮物っていうか。生卵付き……。旅先ではついつい「コンビニおにぎりと酒」みたいな食生活になりがちなので、安くてうまくて量が多くて野菜がたくさん取れるこういう店はありがたい。松山の「みかど」っていう店です。ちなみにこのボリュームで650円なり。ところでこの写真を撮ってから気がついたんだけど、同じ店で同じ写真を以前も撮ってるわ。ひょっとしてここにももう載せたかもしれん。 昼間に二時間だけ時間が空いたので駆け足で見て来た、できたばかりの県立博物館と県立美術館。美術館の方で開館記念企画として戦前からの沖縄美術史レビューをやっていたので見たかったのだ。遠目でみるとなんか白っぽいのっぺりとした建物だけど、近寄ってみるとシンプルで痛快で気持ちいい。展示も面白かったです。しかし沖縄っていう場所でアートとかやってると、なかなか政治的な問題との距離の取り方が難しそうだなと思った。政治というものを意識しても無視してもアートとしては不自然、というか。意識するにしても無視するにしても結局は沖縄の「いろいろなあれこれ」に回収されて解釈されがちで、作り手もその重力から自由になれない。そもそも自由になるべきかどうかすら見えない。開き直って純粋なアートを目指すのもよくあるパターンだし。なにかと難しそうですな。おれ素人なんで何もわからんと書いてますけど。 広場というか中庭というか。しかしなかなかいい美術館だ。これから時間があったらなるべく行こうと思う。関西の地元で美術館なんかめったに行かないんだけどな。民族学博物館は別ですが。あそこは私の心のふるさとですからね。 年金族。いや沖縄てスナック多い。気のせいかな。独特のネーミングも多い。こんど桜坂にある伝説のスナック「母子家庭」を写真撮ってきます。 「ぎんねこ」さんとこの外猫ちゃん。ウチ猫が5匹、外猫が3匹いる。ウチ猫ちゃんには会えなかったけど、外猫ちゃんたちはみんなかわいかった。 A&W。くわしくはこちら。これは屋宜原(やぎばる)の一号店。「エンダー」行ってて面白いというか好きなのが、けっこう夜中でも年配のおばぁが一人でふらりとハンバーガー食べにきたり友だちとルートビア飲みに来てたりすることで、なんか自由だなあ。 先日、科研の出張で那覇に行ってきた。那覇には年に2?3回行きますが、いつ行ってもいいところですなあ。観光とは縁がない俺だが、やはり那覇はイイ。 これもおもろまちのモノレールの駅かな。見事な虹だった。二重になってて、足が山のふもとにつきささっている。滞在中はずっと降ったり晴れたりだったな。いちいちこういうものを携帯やデジカメで撮ってるのはナイチャーばっかりです。 モノレールの駅。イリオモテヤマネコ。かわいい。実際にこいつらがいる西表島は沖縄本島からはるか彼方なのだが。 宿が前島ってとこで、「社交街」っていう言い方をする場合もあるんだけど、復帰前からの古いスナック街。こういう店がいっぱいあった。夜は別の場所で飲んでたので宿の周辺は歩いていない。キューティーハニー。いいねぇ。俺にとっては沖縄は「白い砂浜と青い海と太陽」じゃなくて、ぐずついた天気とくすんだ空と、ボロボロの民家に手書きのペンキ看板、いいかげんな造りの安スナックや居酒屋、波打つアスファルトに擦り切れた横断歩道の白い線、売春街、基地、失業、明らかに不必要な公共事業のハコモノなどなど。 いいですなあ。見にくいけどモデル。この写真なんか、いかにも「俺にとっての那覇」。一部は大阪に、また違う一部は台北につながっていて、ここ数年はその3カ所をぐるぐるまわる俺の人生だ。 これはさすがに潰れていた、那覇ミュージック。ストリップ小屋に「○○ミュージック」をつけるのは日劇ミュージックホールが発祥なのだろうか。全国に広がっていたらしいのだが、いまでも元気に活躍中なのは大阪の十三ミュージックと天六ナニワミュージックぐらいですかね。あと四国にもあるらしい。 というわけで、今回は「イイ味の那覇」を中心にお送りしました。あと15枚ぐらい載せる予定です。ぼちぼち更新します。 |
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