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過密とは?/ ディック

[ 230] ダイヤは過密ではない (さくらインターネット創業日記)
[引用サイト]  http://tanaka.sakura.ad.jp/archives/000309.html

しかし、福知山線のあのあたりでは、一番本数の多い7時代でも1時間に16本程度しか走りません。これは、大阪や東京などの大都市においては、それほど多い数字ではありません。
増してや、今回の9時あたりの列車は、1時間に12本程度です。これは、大して大きい数字ではありません。
東京のJR山手線とか大阪の地下鉄御堂筋線は、2分未満の運行間隔であり、1時間に30本以上やってきます。これに比べれば「過密」ということは言えません。
東海道本線は複々線で、福知山線と東西線が複線、すなわち同じ方向に3列車が同時に走ることが可能です。その為、併せるとかなりの数の列車が行き来します。一番多い、朝の7時代では53本の列車が大阪/北新地方面に向かうことになります。
さらに、大阪と北新地という2つの方向と、普通・快速・新快速という3種類の列車に尼崎で効率よく乗り換え出来るようなダイヤを組んでいるため、多くの乗り換えが発生します。
その為、ダイヤは非常に「複雑」です。一つ一つは過密でなくとも、全ての乗客が移動という列車の利用目的を達成するには、遅れが許されない状況となってしまいます。
ただ、複雑なだけなら、運転士に遅れないように運転してもらおうと言うことです。ここから先が、JR西日本の作成するダイヤグラムの問題の本質が見えてくるところです。もちろん、日勤教育によるプレッシャーと言うのもありますが、これは別の話なので置いておきます。
15年前は篠山口から大阪まで標準的な列車で1時間半、一番速い快速でも1時間10分でした。それが今では、快速の停車駅が増え西宮名塩や中山寺に停車することになったにもかかわらず、59分に短縮されました。
そして、線路のカーブなど、速度制限の要因となる箇所の改良工事は、複線化の際の一部を除いて全く行っていませんから、諸条件としては大きな変化はほとんどありません。
そもそも、車両の最高速度が増えても、福知山線はローカル線出身ですから、連続して最高速度が出せるところなど、三田?宝塚間くらいのものです。(その区間も西宮名塩快速停車により抑制された)
ということは、ダイヤ作成時に机上の計算によって、ぎりぎりまでダイエットした結果が今のダイヤといえます。ダイヤは通常、定時運行に対する少しの安全率を加味します。でないと、乗降客が多くて停車時間が定刻より延びた場合に、回復運転が出来ません。その為、各地点の最高速度ぎりぎりを出発駅から尼崎まで継続する状況では、定時運転を継続することは非常に難しいのです。
今回の運転士も、伊丹駅より以前の駅ですでに遅れていた可能性は高いと思いますし、それが伊丹駅でのブレーキ遅延によるオーバーランにつながったともいえます。
わかりやすい例としては、都会の快速列車と、田舎の普通列車の対比があります。田舎の場合は、時に30分くらい停車するダイヤもあり、少々列車が遅れても、終着駅までには定刻に到着します。しかし、都会の快速列車では、少しの遅れでも取り返しがつきません。
福知山線の快速ほか、東海道本線の新快速などでは、もともと定時性に対してノルかソルかわからないダイヤで、遅れが発生した際の回復の見込みがつかないわけです。それで、尼崎での乗り継ぎに問題が出るのなら、そもそもダイヤグラムの組み方が問題であって、運転士に日勤教育をさせても意味がありません。
「日本人の性質」などとまとめているマスコミもありますが、定時性が悪いのでしょうか?時間に厳しい日本人は悪いのでしょうか?
私は海外との仕事も多いですが、相手は平気で10分も20分も遅れ、悪いと微塵も考えない人種が日本と比べて圧倒的に多く、良い印象はもてません。ビジネスの上で外国人に押し付けることが良いかどうかは別として、「日本人の定時性を見直そう」「列車は遅れても仕方が無い」はおかしいと思います。
しかし、遅れに腹を立てないことと、定時性を求めることは話が別です。定時性を求めるが、何らかの理由(乗降に時間がかかったとか、侵入者がいたとか、鉄道会社のミスでもそうです)があるのであれば、許容する気持ちを持てと言うことです。
しかし、多くの場合に1時間くらいかかります。たったの3分ですが、JR西日本は「新快速なら1時間かかりません」という文句で宣伝しています。到着時分は選択の際の重要な要素です。
もちろん「しょっちゅう遅れるのに1時間は不当表示だ」と言うつもりはありません。しかし、定常的に遅れるダイヤは、それ自体が異常です。
そこで、前に自身でも少しイタいなぁと思いつつ、キク象コーナーに投稿したことがありますが、「遅れるなら、ダイヤを1時間に延長して、1時間と表示してくれ」と言いました。安全性云々と言うよりは、表示に納得がいかないからでした。しかし、返事は「ご理解とご協力を」でした。
無理なダイヤを作成して、遅れたら運転士の責任になるのが、今までのJRです。安全推進部長もダイヤ見直しに言及していました。やはり密度(列車本数)は今のままだったとしても、もう少し余裕を持った時間でダイヤグラムを組む必要がありそうです。
列車密度や遅れの以前に、余裕のあるダイヤ作りを行い、安全面でも定時性というサービス面でも、もっと勉強していただきたいものです。
ところで、運転士や車掌、駅員など、現場の職員に、列車の遅れを追及する人も多いと聞きますが、やはりキク象ボックスや株主総会など、現場ではなく経営側への圧力でないと、結局何も解決しないと思います。
「人殺し」などと罵ったり、突き飛ばしたりする乗客がいると言うことを聞きますが、現場の職員の心労たるや想像を絶するものであるでしょうし、このような行為は大変残念です。結局、内勤社員は現場にいないわけで、このような乗客の態度は許されるものではありません。
ボーリングや懇親会、温泉旅行に行った話など興味も無いし、それに行かなかったら事故が防げたのだろうか?マスコミの方々は、事故を起こしたJR西日本の体質を明らかにするためとか [詳しくはこちら]
マスコミでは,ダイヤが「過密」という点になぜか力点がおかれていますが,たなかさんは,ダイヤが「複雑」である点が問題であると指摘しています.
私の文章と毎日新聞の記事で「なぜR300の急カーブになったか」わかっていただければ幸いです。専門用語も多いですが。
それから何故こんなに「スピードをアピールするか」は実は京阪神間の東海道本線でも97年以降「乗客が減りつつけている」からです。
。東西線快速は基本的に宝塚折り返しですが、なんと2分での折り返しです。つまり下り上りどちらかで中山寺での遅れがあればそのまま尼崎入線時間が遅れてしまいます。宝塚は2番線ホームでの折り返ししかできませんから15分ピッチの東西快速は17分折り返しができません。このあたりの無理なダイヤが事故の背景にあります。夕には一部新三田往復があるので、宝塚で余裕をもって折り返しています。
尼崎列車事故の件で、ワイドショー的な騒がしいマスコミ報道に正直うんざりしていたところですが、貴兄の記事は、オーバーランの背景や、事故現場のR300カーブの経緯等を冷静かつ丁寧に分析されており、センセーショナルなマスコミ報道よりも、はるかに当を得ているように思いました。
マスコミ報道でひどいと思ったのは、事故直後、原因なんてすぐに軽々にコメントできるワケが無いのに、記者会見で「事故の原因は?」と金切り声をあげて詰め寄る報道陣のアホさ加減。その後も、「置き石の可能性」といえばどこも一斉に「置き石」と報じ、オーバーランといえば、わずか2mでも全国ニュースに仕立てる。事故列車の運転士と「ゲーム脳」とを関連づけた、根拠不明の感情的な記事もありました。悲しくなってしまいます。
昨日あたりからは、対向の特急列車が寸前のところで2次衝突を免れたという記事が、各社一斉に報じられていますが、事故現場の前後に、駅間で停止したままの列車が居ることぐらい、取材ヘリコプターからの中継映像で視聴者はとっくに気づいています。
爆音で救出作業の妨げになるというのにヘリコプターをこれでもかと飛ばしたり、撮影用に高所作業車をチャーターしたりしてまで「高見の見物」的な取材をしていた彼らが、今の今まで気づかなかったのでしょうか。おそらく、対向の特急列車や後続列車の、多数の乗客が列車を降りて線路づたいに最寄り駅まで歩かされたのでしょうが、そういった目線の違った取材は皆無だったですね。
さて、貴兄の「ダイヤは過密ではない」を拝読しました。主旨ごもっともと思います。過密ダイヤと報じられていますが、確かに、事故現場付近では過密ダイヤとは言えませんよね(通常、過密ダイヤと言うとき、朝夕のラッシュ時に多数の列車を走らせるために、前後の列車間隔が詰まりすぎているような状態を指すのでしょうから)。しかし、尼崎での列車接続に極端に重きを置いた結果、いわゆる過密ダイヤ以上の緊張感を運転士に強いていたのだろうと推察します。
私は通勤にJR東日本と京浜急行を使っていますが、まず、山手線はよく遅れます。「間隔調整のため」と称して、平気で1?2分停車は当たり前です。ですから宝塚駅で、ラッシュ時間に、しかも主要な乗り換え駅であるにもかかわらず、決められた停車時間がわずか15秒というのは、どういう神経でそうなるのかと耳を疑いました。JR職員(走らせる運転士、ドア扱いの車掌、ホームの駅員、等々)のみならず、乗客にも素早いロボットのような乗り降りを強いていたことになります。ひどい話です。
また、毎日のようにオーバーランがセンセーショナルに報じられていますが、京急では少々のオーバーラン(と後退)は日常茶飯事で、乗客もそういうものだと思っています。では京急の運転士は下手くそで安全教育がなってないのかと言うと、そうではないと思います。京急の乗務員を見ていると、通過列車の待ち合わせ時には、車掌のみならず運転士までもが電車を降りて通過ホームの安全確認をおこなっています。おそらく昔からの伝統なのでしょうが、こういった面は徹底しています。
申し遅れましたが、私は以前大阪で育ち、今は関東に住んでいる者です。たまに大阪に帰るとJRに乗るのですが、以前に比べて運転にゆとりがなくなったというのは感じておりました。何ぶん古い車両が多いので、加速はさほど変わりませんが、駅停止時のブレーキさばきが以前より急になった気がしていました。また、「新快速」は、以前の117系・221系の頃に感じた、ゆとりやくつろぎといった感覚が、223系に変わってから消え失せたのを感じておりました。とにかく速いがよく揺れる。「揺れすぎで怖い」、そういった感覚を抱いておりました。
他にもそういう方がおられるかなと思い、「新快速 怖い」でYahoo検索を掛けてみましたら、かなりのページがヒットしました。ちなみに「新快速 速すぎ」でも検索しまして、トップに表示された貴兄のページにたどりついたという次第です。
一昨日、JR西日本の事故対応窓口に電話をしてしまいました。べつに怒りの電話ではなく、もっとゆとりのあるダイヤを組んでほしいという主旨の要望をしました。窓口の男性は、ごもっともですと言われました。
被害者の怒りや悲しみは如何ばかりかと思います(当事者でない私が、こう簡単に書くのもはばかられます)。しかし、サラリーマンとして突然、電話対応窓口に配属されて、関係者からも、そうでない人からも、日々罵声を浴びせられているであろう彼らもまた、ある意味で気の毒な立場であると、ふと思いました(まぁ、組織とはそういうものでしょうが・・・)。
しかし、おっしゃるように、定時運行の日本の鉄道の良さであり、そこまで否定するつもりはありません。そんなことをしたら、これまでの技術的な蓄積が無意味になってしまいます。一度の事故ですべてを否定するようなマスゴミの論調には賛成しかねます。
それにしても、確かに今回事故のあった福知山線の区間は過密とは言えません。マスゴミの誰かが過密ダイヤと書いたら、検証もなしに一気にそれが広まってしまったということでしょう。
関東圏では基本的に「接続」という概念がないように見えるのでこの関西の秒単位の遅れに対するプレッシャーは関西独特のものなのだな?と思います。過密ダイヤと聞くと何となく間違っているような気はしませんが適切ではないかもしれませんね。基準があいまいですが普通が15本/時走るのと快速と普通が10本/時走るのでは接続の考慮の必要から単純な比較をするべきではないと思います。自分のブログでも少し書いていますが、大阪駅や尼崎駅の接続を考えるとプレッシャーは結構なものがありますし、その原因はダイヤにあるので過密ダイヤという表現になったのかもしれませんね。
本数が多く、かつ接続が上手く出来ているところであればJR以外にも同様のプレッシャーを抱えていることでしょうから、そういうところにもしっかり対策をして欲しいものです。
同じ趣旨の記事を書いている方がいてこころ強いです。今後もこの話題を記事にしようと思っています。また参考にさせてもらいます。
マスゴミも首都圏の中央線や山手線がATS-PやATCだけで維持されているかどうかを検証して欲しいものですね。
もちろん、終電同士の接続は列車を待たせるなどの対策が必要ですが、日中の電車を全部接続保証していてはきりがないと思いますよ。
また、東京でいうと複数の線区をつないだ「湘南新宿ライン」が極めて遅れに弱い点も今回の問題点から参考にすべきだと思います。
「湘南新宿ライン」が乱れたときは、JR東日本はある程度割り切って動かしているように見えます。その点、片町線の遅れか何かがJR京都線や神戸線に遅れが波及し、ダイヤがぐちゃぐちゃになった事もあったように記憶しています。
ですから、「本数減」という対策よりも「接続保証のとりやめ」と「運行系統の単純化」が対策のキモだと思います。
宝塚線の207系を使う電車は東西線乗り入れに絞って独立させ、丹波路快速と北近畿など遠距離系だけを大阪に入れる、というように簡略化し、同じ207系を使う路線だからといってJR京都・神戸線×東西・宝塚線をパズルのように接続保証してやりくりするのをやめれば、ダウンタイムを切りつめなくても遅れが他線に波及する事もなくなり、無理なダイヤを組まずに済むのではないでしょうか?
私は十数年前、旧キリンビール尼崎工場に行く為、短期間ですが東海道線(大阪?尼崎間)を利用していました。
知人から、福知山線の転覆・衝突事故に関して、冷静な分析をしているブログがあると聞いて、やって参りました。
『過密ではなく、ダイヤの複雑さと余裕の無い運転時分が問題』とする、たなか@さくらインターネットさんの考えには、唸らされました。
乗客の立場で言うと、JR尼崎駅で新快速に乗り換えようとすると、階段を上り下りして、別のホームに行かないといけません。
昔のJR尼崎駅は、地下の通路を通って東海道線のホームと福知山線のホームを行き来するという、のどかな駅でした。
乗客の利便性と、阪急への対抗策が行き過ぎて、今回の事故を誘発する要因の一つになったのか?と、感じています。
今朝の朝日新聞・天声人語に、「尼崎駅発JR神戸線大阪方面行きの電車は朝ピーク時は1時間に40本あり、山手線に比べても多く、かなり密だ」との趣旨の記事がありました。しかし、これは線路条件(JR神戸線は複々線・山手線は複線)を無視したものでかなり強引です。現在、山手線はピーク時に2分30秒間隔、1時間に24本の運転ですが、現在では保安装置の性能によりこれ以上増やせない、まさに「過密ダイヤ」の状況です。対して、JR神戸線は本数こそ多いが、複々線の活用により、新快速電車が三ノ宮?大阪間で昼間時と比べて3分ほどしか遅くならない程度なので、十分に本数面での余裕を持った運行が行われています(本数の余裕がなくなると、優等列車の所要時間が大幅に増加します)。また、過密ダイヤだからといって安全性が損なわれることはないと思います。問題のATSも(過密時でも)前方の安全を確保するためのものでもありますし。実際問題として、事故が朝ラッシュ時に起こったわけではないので、朝ラッシュ時の話をマスコミが持ち出すのも不自然とは思うのですが。
また、中山寺に快速が停車するようになっても、所要時間は変わらなかったとの報道がありましたが、これはおそらく一般向けの時刻表を見て判断したのだと思います。一般向け時刻表には、秒単位は切り捨てて表示されるため、50秒短縮しても、見かけ上は同時刻の発車(例:改正前9時00分00秒発→改正後9時00分50秒発など)になる場合があります。阪急との競争を意識しているJR-Wだからこそ、改正前のダイヤが、停車駅を増やしたときの所要時間の増加を、余裕時分の削減のみで抑えることができるほど時間的余裕のあるものではなかったと思うのです。マスコミが何を根拠としてこの報道を行ったのかも是非知りたいです。
1.各駅停車の京都線?宝塚線・東西線?神戸線の直通を廃止し、京都線?神戸線・東西線?宝塚線に統一(遅れが他線に波及するのを防ぐ)
2.京都駅・大阪駅・三ノ宮駅・北新地駅での停車時間の見直し(競合区間での競争力(所要時間)と、芦屋・三宮駅での新快速と各停の同時到着による緩急接続のサービスはそのままで、定時性を確保する。1駅で60秒停車時間を増加させれば、遅れやすいJR京都・神戸線でも2?3分程度の遅延は吸収でき、接続他線(特に宝塚線・東西線)への影響も抑えられる)
なお、JRは減便も含めて検討するそうですが、減便により安全性が向上するわけではなく、それよりは余裕時分の増加で対応すべきでしょう。実際、どの程度の余裕をダイヤに乗っけていたかを知りたいものです。
私が改札を通るわずかな間にも苦言を呈する人がいました。でも、彼らに言っても個人のうさ晴らしにかならないでしょう。
そういう人が日頃から1分程度の遅れに文句をつけたりしていたのか?と思ってしまいます。そんな行為が事故誘発の一因と私は考えています。
そういえば、列車の余裕時分を伸ばすとか、いまさらながら報道されていますが、当然今までの時分では組めないわけで。

 

[ 231] 過密スケジュールの合間の素晴らしいひと時 - My Life Between Silicon Valley and Japan
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20071121/p1

こんな過密スケジュールは過去になかったというほどの東京での八泊九日を何とか乗り切り(本当にギリギリだった)、昨日帰国した。リアル世界での時間の流れでいえば、丸善での講演は過去にない経験だった。抄録やCNET記事もすごいスピードでウェブ上に上がり、時代の変化を自ら実感した。リアルで僕が忙しく働いている間も、ネットは眠らない。次々と本の感想が書かれる。ふらふらになってホテルに帰ってもネットに向かい、朝はリアル仕事の準備の前にネットに向かう。ほとんど眠ることすらできなかった。ちなみに、主だった感想はブックマークしてある。相変わらずすべての感想を読んでいる(ブックマークしていないもののほうが圧倒的に多いが、それはプライベート空間に記録済み)。出張中に溜めてしまったら、絶対に全部読むという一年半以上続けてきた営為が途切れてしまうと思ったからそうしたのだが、しかしこれは身体に悪かった(笑)。
そんな過密スケジュールの中、佐藤康光棋聖と二時間対談した時間は(これはお正月に産経新聞に掲載される、たぶん長文バージョンがMSN産経にアップされるのではないかと思う)、僕にとって、仕事や本のことを忘れて楽しむ素晴らしいひと時だった。羽生さんといい佐藤さんといい、人間としてきわめて良質な人たちが将棋界の「高く険しい道」のトップにいて、後輩たちに良い刺激を与え続けていることが、これからの将棋界を、過去とは一味違った、より魅力あるものにしていくことになるだろう。
「将棋のルールができて何百年もの間、まったく同じ問題をこれだけ多くの人が解き続けて、いまも百人以上のプロが必死で考え続けて、まだ誰も解けない。解ける気配もない。そんな問題を果たして人間が作れるものなのだろうか」
なるほど、人間の限界までいき、無限性と対峙する日常を続けると、そういうことを考えるようになるのかと、じつに感慨深かった。
2007/11/21 11:00 恥ずかしいぐらいにエゴイズム丸出しの人達がいる反面で(笑)、日本人の小ささからすると信じられないレベルで善意と良心を持った一群の人々が存在する、そのことがアメリカのイノベーションの基礎になっているのだということが梅田さんを通じてもっと広まってくれたら本当に嬉しく思います:デイジー・ウェイドマン『ハーバードからの贈り物』(ランダムハウス講談社)所収「ラシュモア山での問い」より<私たちは他の観光客に混じって、モニュメントのふもとに立ち、岩肌に刻まれた、ワシントン、ジェファーソン、ルーズベルト、リンカーンの4人の巨大な顔を見上げた。「ねぇパパ、どうしてこの4人が選ばれたの?」キャサリンが聞いてきた。勇気があったからだよ、私は自信をもって答えた。4人とも危険をいとわず人のために尽くそうとしたんだ、そして何より、みんなの生活を変えてくれたんだ。「パパは誰かの生活を変えたことがある?」キャサリンがまた聞いた。娘の素朴な問いに私は不意を衝かれ、そして答えを探しあぐねた。(中略)結論はこうだった。私は、自分の周囲の人間がリスクをいとわず新しいことに挑戦し、他の人間や組織にプラスの影響を与えられるよう、チャンスを提供したい。私の日々の行動によって、彼らがそのチャンスをつかむために必要な変化を起こせるように促したい。そして彼らが、私との日常的なやりとり――私の話し方や態度、彼らの自己イメージに私がどんな影響を与えるか――を通して成長し、自信をつけ、目指す方向に進めるようにサポートしたいのだ、と。>
あれくらいの長い年月を費やさなければ、これくらいの作品は書けないのだということが、また、この喜びを味わうための四十数年の助走であったということが実感された。(日経新聞4/20/08)
ぶっ飛んだ小説を、原始的で、呪術的で、異常なまでの吸引力を秘め、それでいながら格調の高い大叙事詩のごとき長編小説を無性に書きたくなった。膨大な資料を読みあさりはじめたのが二年ほど前だった。そして、昨年の暮れに千三百枚を脱稿した。(日経新聞4/20/08)
日本が最も日本らしく、底抜けに自由で、生き生きとしていた室町時代を背景に、かの有名な「日月山水図」の屏風絵と、それを描いた作者が不詳であることを想像の起爆剤に用い、極めて大胆な発想によって、小説の原点とも言うべきめくるめく物語を構築し、かつてどの書き手も為し得なかった形式と、漢語と大和言葉との融和を図る文体を存分に駆使しなければならない、新境地だった。六十代に入ってまもなく、今ならそれが書けるという自信を得た。(日経新聞4/20/08)
四十代後半に狙いをつけた長編小説があった。テーマも構想も充分だったが、敢えて書かなかった。なぜなら、その大空を飛翔するだけの翼の力が具わっていないという自覚があったからだ。(日経新聞4/20/08)
「塞翁が馬」という故事がある。(略) このように人生の吉兆や禍福は簡単には定めがたいことを、述べたものである。私の場合もその通りで、当座は不運と見えたものが長い目でみると、むしろ幸運だったと思う場合が少くない。この年まで生きながらえると、人生は最後まで勝負の決まらないマラソンのようだとつくづく思う。(日経新聞5/1/08)
私は五十歳近くなって物書きになった。終列車の最後尾の車輌に飛び乗って、やっと間にあったという思いであったが、それも、考えようによっては、不利とばかりはいえなかった。(略) 柳田の弟子たちの間には、柳田批判を許さない雰囲気があった。(略) しかし時は氏神である。(略) その頃になると、柳田の威を借りた弟子たちの力もおとろえ、黙殺されることなく、かえって賞賛される始末であった。(日経新聞5/1/08)
才能を磨かず、才能を育てずして、注文のまま書きつづけていると、けっして卵や雛以上には成長せず、時間の問題で朽ち果ててしまうのは自明の理である。(日経新聞4/20/08)
こんな手はいけないという心理的なくびきがなくなり、新手に挑む気風が将棋界に広がっている。もう出ないと思っても新戦法は現れる。将棋は奥が深い。(日経新聞4/8/08)
タイトル戦を見て、これはいい手、これは悪い手、あーだこうだと言うのは楽しいのですが、集中度、真剣度が違う対局者の読みに勝てないことはわかっているので、虚しさも感じます。「負ける」という恐怖がある対局時と、気楽な観戦時では考える手や、感じ方が全然違ってくるので、仮に実戦より優る手を見つけたところで、あまり意味を持ちません。(渡辺明ブログ3/28/08)
国際的なコミュニケーションで大事なのは、意味がある言葉を話せるかということである。この基礎は母国語のなかでどれだけ「意味の含有率」が高い言葉を構成できるか、という能力にかかっている。(日経3/25/08)
序盤から読み合って、その都度折り合って、シーソーの水平を保っていたが、ここで均衡が崩れてしまった。水面下の押し引きで、時間も気力も体力も少しずつ削られ、正直バテた。藤井さんを含め、上位棋士の真の強さはこういう部分にあると思う。(日経3/19/08)
昨日の将棋、試しにボナンザ先生にお伺いをしたら、僕が間違えた局面2つで、先生はピタリと正解手を示されました。昨年3月の凄腕コンピューターではなく、家庭用パソコンでの先生の読みに負けているようでは、楽観うんぬんという問題ではないかもしれません。(渡辺明ブログ3/22/08)
険しさ自体に変わりはないが、その中にドラマティックな場面が出てきたりする。そういう意味では楽しいという感じがする。将棋は5、6手進んだだけで、思ってもみなかった展開に変わったりする。その面白さはずっと変わらずある。(将棋世界2008年3月号)
以前、数学者という職業の人は周囲の人から「大変ですね」と言われてもピンとこない、何故なら当人にとってそれは遊んでいるにすぎないから、という話を聞いたことがあるんですよ。それって少し羽生さんに通じるものがあるなと思いました。羽生さんも考えること自体が楽しくて仕方ないのではないか、と。(将棋世界2008年3月号)
数学的に可能な局面をすべて並べて、片っ端から形勢判断をしてくれと言われたら、かなりの確率で答えられると思いますよ。(中略) でもそれをわかっているとは言わないでしょうから。全然わかっていない局面でどのくらいわかっているのかと問われたら、全然わかっていないのかもしれない。局面自体を把握できれば、正解も見つけられると思うんですけど・・・。羅針盤がきくかどうかというのは、ものすごく大きいんですよね (将棋世界2008年3月号)
先入観をもたない、ということです。(中略) 先入観をもたないで見るのは、なかなか難しいんですよ。先入観をもってみるほうが簡単だし、楽だし、しかも効率がいいんです。でも、先入観をもたないということは、一番大切なことだと思っています。(中略) それは逆に、年齢を重ねれば重ねるほど難しくなります。邪魔するものがいっぱい出てきますから (将棋世界2008年3月号)
(羽生マジックについて) 私自身がどうこうということではなく、将棋は”最後までわからない”ということが大きいのではないかと思います。終わりに向かって可能性が小さくなるゲームでは逆転は少ないでしょうけど、将棋は、常に可能性は低くならない。その意味で、将棋には”最後までわからない”という要素がふんだんに含まれています。だから、私がやっているからということではなく、将棋はそういうゲームなんだ、ということだと思います。たとえば囲碁は、終わりに向かって可能性が低くなります。(将棋世界2008年3月号)

 

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