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匿名とは?/ ディック

[ 211] はてな匿名ダイアリー
[引用サイト]  http://anond.hatelabo.jp/

最近彼女が出来た。大学までずっと一緒で、社会人になってからは違う県で働いている。告白は電話で言った。
確かに今回の彼女は、今までに無いくらいに大好きなんだけど、まだ彼氏彼女の関係になってからは1回も会ってないんだよ。ちょっと遠いから。
これってよくあることなのか?いわゆる恋愛あるあるなのか?だとしたらオレは今まで本当の恋愛をしていなかったことになる。
死にたがりの多い社会はこわれちゃうって思われてるのかもね。ネットだって社会の一部だし、みんなに影響するんだ。
生きにくい社会ってどうだろうね。死にたがり((ちょっと侮蔑的だけど敢えてこう呼んでしまうよ))は、生きるのをやめたいのであって、生きにくい社会で苦しみたいわけじゃない。まちがっても、ぼこぼこにリンチされたあげくに死にたいわけじゃなくて、きっと静かに死にたいだろうね。
「生きる」って全然当たり前のことじゃないと思う。ほとんどの人は、今生きているからそのまま生きているし、生き続けるためにがんばれるのはそのためでしかない。生きるか死ぬか、ほとんど同じ重みで選択肢が出てきたことはないんじゃない?
私は今、逃げながらでも「生きる」方を選べる境遇に感謝している。苦しくて死にたい人、どうか死ぬ前に、その苦しみから
逃げることを、選べるならでいいから、選んでみて。今逃げたら迷惑がかかる、逃げたところで結局自分に価値なんてない、思うところはあるだろうけど。
>最近の「女は男に痴漢の濡れ衣を着せるだけで男を社会的に抹殺することができる。女はずるい」と主張して女性の告発を封じようとするかのような動きは見てて辟易する。
「痴漢冤罪」の背後にはおびただしい本当の「痴漢」が行われているのに、なんか女性敵視の風潮になってきてるよね。
「痴漢冤罪」を気にして、女性が告発しにくくなると誰が得をするのかって考えると、「社会的に抹殺」だの「女はずるい」だのと女性にプレッシャーをかけてるのは痴漢の常習者なんじゃないかって気がするよ(陰謀論になっちゃうけど)。
「自分なんか価値がない」とか「もう生きていてもしょうがない」って決めて自分を殺すことは「価値がない人間は死んでもいい/殺してもいい/いない方が良い」ってこと。自分だけ死ぬつもりでも、実はすべての命を軽視することになっちゃう。
自分はガリガリで体型には自信をもてないので、逆にまつげは自慢ポイントにしてますが、自慢する機会がありません。
まあ、目以外も正当に評価してほしい、という気持ちもわかるんですが、「目以外も、体型もおしゃれも全然オッケーだよー」とか言われてしまったらどうするのか。
「評価もできない」っていうのは自分の中で面白いかどうか判断できない(機会がない)という意味でそれ以上のものを含めたつもりはないんだけど。
人を刺し殺したり、幼女を水に沈めて殺したりするのは怖いし、そんなことをするのにはものすごい勇気がいる。
それをしたら周りにすげーーー迷惑かかるけど、その怖さを乗り越えた勇気はすごいから、人を殺した奴はすごいって論理が通るか? 頭おかしいんじゃないか?
実行するのが躊躇われる様なことを実行することは、なんでもかんでもすべて勇気と言っていいなら、勇気があるんだろ。
逮捕されてもたいしたことないとあまり知られると抑止力がなくなるから声高には言われないのだろうが、最近の「女は男に痴漢の濡れ衣を着せるだけで男を社会的に抹殺することができる。女はずるい」と主張して女性の告発を封じようとするかのような動きは見てて辟易する。
あの「川田アナは自動車免許を持っていなかった」とか「靴はいてなかった」とか「練炭は普通後部座席でなく隣に置く」とか辺りのってどうなっちゃったんだ?
なんか電撃なんちゃらだかなんだかがあれくらいで自殺なんて(ryとか言って炎上してたがそもそも自殺なのか?
一度本気で、「もう死にたいー」とかいうレベルじゃなく、本気で今から自分の命を絶とうと、これで自分の生涯を終わらせようと、決意し、実行してみようとした事があるのか?
「自殺はよくないから」って観点で、その「勇気度」を下げる方がよっぽど「生きてるってことを美化しすぎだろ」って俺は思う。
最近の「自殺=絶対悪」「生きてる=絶対善」っていう割り切りはよく分からない。日本は宗教色が薄いのにこういった場面では本当宗教のごとき濃さで皆が口を揃えて「自殺はいけない!!」って言う。何を恐れているんだ、ってほどに。自殺はいけなくもない、って言っちゃったとき、誰かが自殺したらそれに責任を感じてしまうからなのか?よくわからんが。
国単位で「自殺はよくない」とするのは分かるし、建前上そうであるべきなのは分かるが、ネット上ですら「なんであれ自殺はいけない」という立場の人が圧倒的多数であるのが面白い。何故そこまで思い込んでいるのか。理由が分からん。
「後始末が大変」?「周りの人が悲しむから」?……そういった「俺ら迷惑するからやめろ」といった理屈は理解しがたい。俺はとてもとても、そんな「俺の迷惑」と「自殺するほどに苦しんでいる人」を天秤にかけ、のうのうと「俺の迷惑の方を優先しろ」とは言えない。全く皆優しいのか優しくないのか。優しいつもりで(自殺をとめてやるつもりで)優しくない(自殺者にとっては「俺の苦しみよりお前の迷惑を優先なんだ……あはは」って泣けてくるだけ)この分からなさ。てーか、「迷惑だから」とか主張してる暇があるなら自殺者の悩みに目を向けてやれよ。どこまで自分本位なのか。そんな自分本位が許されるなら自殺という自分本位は何故許されないのか。なんだかな。
ていうかこの増田でネタ元になってる事件でまさに、冤罪って分かる前でも別に人生終わってないんだけど。
当時の報道でも、勤務先からも家族からも信頼があってどうせ冤罪だろうと言ってもらえていて特に解雇などなかったと書いてあった。
以前増田かどっかで読んだ覚えがあるけど、痴漢で逮捕された前歴がある人が勤務先でその後海外出張に行かなければならなくなって出国の際に前科があるとどうなるのかっていう質問を人力検索がなんかでしてたっていうのがあった。

 

[ 212] ITmediaニュース:「ネットに匿名性は不可欠」――総務省
[引用サイト]  http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0507/01/news059.html

「総務省がネットの匿名性を排除しようとしている」――ある報道を発端に批判が広がった。総務省は、ネットの実名性を高める必要はあるとしながらも、匿名性を排除するつもりは全くない、と弁明する。
「ネットの匿名性を排除すべき、とは言っていないのだが」――総務省情報通信政策課の内藤茂雄課長補佐は、一部報道をきっかけにブログ界で盛り上がった「政府がネット利用の実名化を推進しようとしている」という議論に頭を抱えた。
報道は、共同通信が6月27日付けで配信した「実名でのネット活用促す 総務省『悪の温床』化防止」。「有害情報の温床」ともいわれるインターネットを健全に利用するために、総務省が匿名性を排除して実名利用を促す取り組みに乗り出すとし、匿名性が低いブログやソーシャルネットワーキングサイト(SNS)を小中学校の教育で活用するよう求めていく──と伝えた。
「報道は、誤りではない」と内藤補佐は話す。ただ、実名性の向上と匿名性の排除をイコール視し、総務省がネットの匿名を排除しようとしているととらえられていることに驚いたという。
「研究会の構成員全員が、ネットに匿名性は不可欠と思っている」と内藤補佐は強調する。匿名を利用し、現実社会の立場に左右されずに自由に振舞ったり、本音で語り合ったりできる場としてネットは重要。内部告発のように、匿名だからこそ公開できる情報もある。
ただ、匿名による無責任な発言がネットの信頼性を損ね、ネットの良さまで覆い隠してしまっている部分があるのは否めない。「私を含め、『ネットはジャングルだ』というイメージの人は多いのではないか」と内藤補佐は話し、匿名の発言が大多数のままでは、「ネットは怖い」というイメージが定着してしまうと心配する。
ネットを、実社会と同様の感覚で自然に使ってもらうことが、総務省としての目標。実名やハンドルネームを使った利用がもう少し浸透すれば、ネット社会のモラルが向上して安心感が高まり、ネット利用が活発化するだろうと期待する。
ネットの安心感を高めるための具体策の1つとして、研究会で挙がったのが、学校でのSNSやブログ活用だ。校内LAN限定のセキュアな環境で、実名やハンドル名ベースで交流してもらうという提案。発言に責任を持たせつつ、身近な人と交流する中で、ネットへの抵抗感を薄れさせたいという考えだ。ネット上でのプライバシー侵害など、個人情報保護への考え方も同時に学ばせたいとしている。
私たちは、今後の教育現場における取組に期待したい。学校とは人と人の間のコミュニケーション手法を学び、他人と交流する能力を養う場でもある。ICTを活用したコミュニケーション能力は学校で学ぶことが望ましい。いわゆる情報検索・探索技術やネットを介した互学互習のやり方の習得といったことに加え、ICTにより実現されるバーチャルな環境を、現実社会と同じ感覚で活用すること、すなわち、サイバースペース上で実名又は特定の仮名で他人と安全に交流することを自然の術として身につけるための教育が必要である。
具体的には、ブログやSNSの仕組みを学校に導入することを提案する。学校の中でセキュアなネットワークを整備した上で、児童・生徒が自らのアカウントを持ち実名でブログやSNSを用いて他の児童・生徒と交流することでネットワークへの親近感を養うとともに、ネット上での誹謗中傷やプライバシー侵害等に対する実地的な安全の守り方も同時並行的に学ぶことが重要である。
報告書の中で、ネットの実名利用について触れたのはこの1カ所だけ。報道されたような「ネットの実名化を推進する」「ネットの“悪の温床”化を防ぐ」といった内容の記述はなかった。
報告書は、さまざまなITサービスが一元管理から分散管理に移行するなかで、ITをどのように活用すれば経済・社会を活性化できるかといった視点でまとめたものだ。P2PやWebサービス、セマンティックWeb、オフショアリング開発の可能性などについても言及している。「役所にしてはリベラルな報告書ができたと自負していたが、まるで実名化やブログ利用を推進する報告書のようにとらえられてしまった」と内藤補佐は話す。
ブログや掲示板を通じて急速に広がった誤解だが、逆にブログをきっかけに議論の軌道修正がなされるという動きもあった。ある個人ブログが「報告書を読まずに批判するのも、賛成するのもリスクのある行為」だと指摘。報告書をHTMLに変換して自身のサイト上に掲載し、報告書について言及したブログにトラックバックを張って回ったのだ。
トラックバックを受けたブロガーの多くは、報告書を読んだ上で再度意見を表明し、ネット上の議論の爆発は終息しつつあるようだ。「一次資料を読まずに批判・賛成するリスク」──図らずも、研究会が考えるネットリテラシーの深化を一連の騒動が促した面もあったのかもしれない。
“官製SNS”で地域コミュニティー復活 行政スリム化も総務省が地域SNSの実証実験を始める。SNSで住民同士の交流を深めてもらい、地域の活性化や行政スリム化につなげるねらいだ。
ニュース番組作れる「ニコニコニュースメーカー」公開ニュース番組風の動画を作成できる「ニコニコニュースメーカー」が公開された。テキストを入力すれば、3Dキャラ「棒読子」「棒読男」が音声で読み上げる。
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