のぶ代とは?/ ディック
[ 458] Yahoo!ブックス - インタビュー - 大山のぶ代
[引用サイト] http://books.yahoo.co.jp/interview/detail/31718003/01.html
国民的キャラクター、ドラえもんの声を26年間つとめていた大山のぶ代さんが、「ドラえもん」を卒業してから1年ちょっと。大山さんはドラえもんと歩んできた26年をふりかえった本を出版した。タイトルは『ぼく、ドラえもんでした。涙と笑いの26年うちあけ話』。テレビや映画の制作中のエピソード、さまざまな人々との交流、藤子・F・不二雄先生の思い出など、「ドラえもん」を見て育った人は読みのがせない内容になっている。 ――『ぼく、ドラえもんでした。 涙と笑いの26年うちあけ話』は、大山さんがドラえもんと一緒に歩んできた26年間をふりかえった本ですね。テレビや映画の制作中のエピソード、さまざまな人々との交流、藤子・F・不二雄先生の思い出など、盛りだくさんの内容です。 「とてもすてきな26年間でした。毎週お菓子と飲み物持って行って、誰よりも早く『ドラえもん』を見て、ワァワァ笑ったり泣いたりしながら声を録音して。仕事というより、みんなで楽しくピクニックをしている感じでしたね。いいお仕事に恵まれて、私は運がよかったのだと思います」 ――レギュラーの皆さん(のび太役の小原乃梨子さん、しずか役の野村道子さん、ジャイアン役のたてかべ和也さん、スネ夫役の肝付兼太さん)との仲のよさも伝わってきました。 「家族よりも長い時間を一緒にすごしましたし、私と小原さんと野村さんは女性3人で旅行にもよく行きました。まさかこんなに長くやるなんて、最初は思っていませんでしたけど。2代目のレギュラーに交代して平均年齢が43歳若返ったという新聞記事をみんなで読んだとき“ウッソー!”って。でも、計算してみたらほんとうにそうだったの。しみじみしちゃいましたねぇ。いつまでものび太くんたちは小学五年生だし、ドラえもんはあの調子だし、自分たちが年をとっているってことを忘れてしまっていたんですよね。だから“卒業したからって、老け込まないようにしようね”って話してます(笑)」 「いろいろお話は来たんですけれど、全部丁重にお断りしたんです。だって私、小原さんみたいにのび太くんをやりながらブリジット・バルドーの吹き替えやったり、『ヤッターマン』のドロンジョさまの声をやったりできないのよ(笑)。美女ものび太くんもできるってすごいでしょう。私は不器用だし、あんなに個性の強い、かわいい子をやっていたら、ほかの声の仕事はできないって思った。それがかえってよかったのかな。ドラえもんに集中できましたから。それ以外の仕事は、料理番組、コント、クイズ番組、時代劇、ドラマ……。全然ちがうし、お互いに影響されないんです。 ただ自分じゃわからないんだけど、何かの拍子に大きな声を出すと“今、ドラえもんになってた”って言われましたね。ドラえもんは地声に近い、無理につくらない声でやっていましたから。もともとの私は男か女かわからない声なので、人間と機械、大人と子どもの中間の感じが出せたのだと思います 「先生って大げさな褒め言葉はおっしゃらないんですよ。ちょっと横向きながら“ドラえもんって、ああいう声だったんですねえ”と。ほんとにうれしかったです。役者みょうりにつきますよね。 子どものころは、持って生まれたこの声を恥ずかしいと思ったこともありました。周りの大人に話しかけると変な顔されたり、友だちに笑われたり。でも母が“あのね、目でも、手でも、足でも、そこが弱いと思って、弱いからといってかばってばかりいたら、ますます弱くなっちゃうのよ。弱いと思ったら、そこをドンドン使いなさい”って言ってくれたんです。それからは声を張り上げられるようになって、大人になったら仕事にもできて。幸せなことですよね」 ――先生のお人柄を大山さんは“やさしさモワモワ”と表現してらっしゃるじゃないですか。“やさしさモワモワ”って、ドラえもんの道具の名前みたいで面白いなぁと思ったんです。 「“やさしさモワモワ〜!”って(笑)。私ね、重ね言葉が好きなんですよ。先生にはじめてお会いしたとき、やさしさがモワッと周りにただよっているなぁと思って書いたんですけどね。いい年して幼稚だと思われるかもしれませんが」 ――すごく雰囲気が出ているのではないでしょうか。初回の録音をしたとき、台本にあったセリフを変えたというエピソードも印象的でした。 「ドラえもんとのび太くんが出会ったときのセリフは、台本では“お前がのび太か”という感じでした。でも私は、あの子は子守り用につくられたロボットだから、乱暴な言葉はインプットされてないし、目上の人には敬語を使うはずだと。そう考えて、“こんにちは、ぼく、ドラえもんです”に変えたんですよ。 ドラえもんだけじゃなくてみんないい子なんだから、“バッキャローとか、ぶっ殺してやるとか、悪い言葉を使うのはやめようよ”って話しあいました。それでジャイアン役のたてかべさんは困って、“コノコノ、のび太のくせにィ〜”という言い方を発見したんです。 ずっとあとに私たちは正しかったんだと思えるできごとがありました。2005年、『ドラえもん』の録音が全部終わったときに海外旅行に行ったんですよ。小原さんはたまたま来られなかったから、野村さんと2人で。その旅の途中でハンガリーのブダペストに住む日本人の子どもたちと話す機会があったんですね。ドラえもんとしずかちゃんが来るということでお茶会を開いてくれたんですが、子どもたちが“こんにちは、ぼく○○です。11歳です”って、みんなドラえもんと同じあいさつをするわけです。それは子どもたちが日本語を忘れないように、『ドラえもん』のビデオを見せていたから。野村さんと“きれいな言葉を、意識的に使ってよかったよね”“私たちって知らない間に誰かの役に立ってることがあるのね”って話しました。日本の次世代を背負う子どもたちにいい影響を与えたと思うとうれしいです」 |
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